「性善説、性悪説を日常生活で殆ど意識したことはありませんでしたので、この間の話は大変参考になりました」
「人を見て法を説けという言葉もあります。意識すると、まだ違った発見や、見方が出てくるかもしれません」
「例えば、具体的にはどういう場面で意識すれば良いですか?」
「その人の能力を伸ばす必要がある場面では性善説を使い、その人の本能を抑えたい場合は、性悪説で対応するのが基本です。だから、教育や福祉関係の場面では性善説、警察や治安関係では性悪説で対応することになると思います」
「外交・政治の場面ではいかがですか?」
「人を見て付き合うように、相手の国柄を見て付き合う必要があります」
「個人の場合は、見ればおよそ察しがつくのですが、国の場合は何を判断基準とするのですか?」
「その国の政体によって見どころが変わります。独裁国家は権力者の考えで動きますが、独裁の程度を調べます。それは議会との関係を調べたり、彼の考えがどの程度早く国の方針として出てくるかで分かります」
「それ以外の国はどうですか?」
「民選議会があって国の指導者がその結果によって交代するような国であれば、それほど用心する必要はありません」
「つまり、性善説と性悪説を使い分けるということですね」
「あと、政治権力をどのように捉えるかということに関して、性善説の立場で考える政党と性悪説の立場で考える政党があります」
「性悪説というと、政治不信ということですか?」
「そうではなく、権力は本来暴走するものである、だからそれを抑えるのが政党の役割というように考えます」
「要するに立憲主義ですね」
「立憲民主党、共産党、社民党といったところが、そのスタンスです」
「先日、野党合意を結んだ4党ですね」
「彼らのスタンスは、法家(ほうか)思想と合うと思います。意識はしていないと思いますけどね」
「ここからが本論です ↓」
目次
中国の為政者たちは、現在を2000年前と同じく戦国時代と考えている
この間『韓非子』のことを集中して取り上げていますが、読者の中には現代とは時代状況が違うのではないかと思っている人がいるかもしれません。なぜ、読んで下さいと言っているのかと言うと、多分今の中国の為政者たちは、当時と今を全く同じような状況と考えているフシがあるからです。彼らの頭の中には、「友好」とか「協調」という言葉は全くありません。いかに周辺諸国と対峙し、攻め滅ぼしていくか、そんなことしか考えていないと思います。頭の中は、『韓非子』の世界なので、油断大敵だからです。
現在の中国は、拡張主義をとっています。そのため、周辺諸国との国境紛争が絶えません。中国は15か国と国境を接していますが、13か国と何らかの国境紛争、国境問題を引き起こしています。なぜ、彼らはそのような問題を起こすのか、簡単に言えば攻めなければやられてしまうという強迫観念が強いからです。
人間の深層心理の中に「投射」というのがあります。自分の本当の気持ちを相手も抱いていると思ってしまう心の働きのことです。多分、周りは敵ばかりで、安心して夜も眠れないというのが彼らの偽らざる心理だと思います。であれば「先手必勝」なので、常に先を見越して攻めていこうと考えるのです。ましてや、中国は独裁国家なので、習近平の個人的な思いが前面に出やすいのです。
(「alachina.oiran.org」)
秦――長期的戦略の下、戦争の準備と外交努力を重ねてきた
『韓非子』の「存韓篇」には、韓非の始皇帝に宛てた上申書が載っています。彼が生きた時代は中国の戦国時代です。周りの国をどのように攻略していくか、その戦略が書かれています。それを読んだ始皇帝は感激して、彼を自分の元に呼び寄せます。ただ、六か国征服計画を実際に実行したのは李斯(りし)だったのです。そこには、両者の権力争いのようなものがあったのですが、そこは紙数の関係で省略します。
「存韓篇」によりますと、策謀の士、現代風に言えば工作員を周辺諸国に金銀財宝を持たせた上で送り出します。まず楚の重臣に手厚く贈り物をしたと書いてあります。金銀財宝を与えれば、簡単にこちらの味方になってくれる人間だと見抜かれていたのです。当時も今も、相手の情報をいかに掴むかが大事だというのが分かります。IR汚職の裁判で1審で有罪判決が先日出ましたが、中国からは金に弱い人間だと見抜かれていたのでしょう。2000年経っても、人間そのものは変わりません。今も中国は、同じ理屈で対処できると考えています。無償援助やワクチン提供など、さまざまな思惑の中でなされています。
なぜ「存韓篇」になっているのか言いますと、韓の国との連盟が一番手こずったからです。李斯自らが韓に赴きます。ところが、韓は会おうともしません。そのため、文をしたため、今までの両国の親善の歴史や他国に攻められた時に秦がどのように韓を助けのかという経緯などを書いて、必死に説得します。要するに、韓の王は信用していなかったのです。
秦と韓は隣国同士です。隣の秦がどのような行動を取っているかを見れば、何を考えているかは分かります。秦は趙に紀元前269年に破れてから、捲土重来、虎視眈々と次の機会を狙って、ひたすらインフラ整備により国力を高め、兵士を集めて軍隊を編成し、遠征のための食糧を備蓄してきたのです。
(「メンズノンノ」)
秦の 分断と懐柔の戦略―― そのために人とカネ、そして脅しと泣きを使う
秦が韓にアプローチを仕掛けた時はすでに韓は包囲網の中だったのです。『韓非子』の戦略を紹介します――「わたくし (韓非)の計略では、だれか人を楚に使節として派遣し、当路の重臣に手厚く贈り物をしたうえで、趙がいかに秦を欺いてきたかを説明し、一方で魏には人質を提供して安心させ、それから韓を従えて趙を攻めたならば、趙はたとえ斉と同盟したとしても、気にするほどのことはありません」(『韓非子』中公文庫、1992年/29ページ)。要するに、この戦略はいかに秦の周辺諸国をバラバラにするかという狙いで考えられたものです。そのための方針が、分断と懐柔です。そのためには、人とカネ、そして脅しと泣きを使います。
周辺諸国は、まさかこのような戦略が練られているとは思ってもみなかったでしょう。広大な中国大陸を7か国で共存共栄と考えていた国もあると思います。その間隙を突かれた形になったため、秦は挙兵からわずか9年で広大な中国を統一してしまいました。
「平和主義」を掲げ、一国だけが平和の世界の中で暮らしていると思っていても、周りの国がそのように考えていなければ、「平和主義」は絵に描いた餅となります。戦後76年が経って、ようやく多くの日本人がそのことに気付き始めたところです。日本はおもてなしの文化なので、人に対して性善説で捉えようとします。それは長所でもあり、短所でもあります。それを真の長所とするためには、真剣に国防のことを考えなければいけなくなってきました。そういう意味では、皮肉な時代になっています。
(「NHK.JP」)
読んでいただき、ありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓