
「公立中学校の部活動が、これからは学外で活動するようになるみたいです」

「そういう計画を立てる前に、2017年の4月から導入した部活動指導員についての総括をまずしないといけないと思います」

「それはどういう制度ですか?」

「公立の中学や高校で、地域のスポーツ指導員を非常勤講師として雇い、学内で部活の指導ができるようにしたのです」

「その方たちにお願いできることは、練習だけですか?」

「いえ、大会引率も出来ますし、部活動の顧問にもなれます」

「その方たちを上手く活用すれば、かなりの負担軽減になると思いますけど……。それでも先生方の負担が減らなかったということでしょうか?」

「その辺りの実態はよく分かりません。だから、一回総括すべきだと思っています。中央集権国家の悪い点は、総括をすることなく勝手に方針をきめてしまうところです」

「静岡県の掛川市は26年夏には部活動を全廃し、生徒は地域のクラブに所属して活動するようです。そういうかたちを目指しているのだと思います」

「それだと中学校の大会に出場できなくなるのではないでしょうか? 大会がなければ、何のために普段練習するのかという問題が起きます」

「その他練習場とか、いろいろ難しい問題がありそうですよね。だから移行期間を設けたのだと思っています。ここからが本論です↓表紙写真は「日本福祉大学」提供です」
教育活動としての部活動を忘れてはならない
スポーツ庁と文化庁の有識者会議は、2024年5月16日に、2026年度から6年間かけて順次、中学校の平日の部活動を学校外に移すとする最終報告書を公表しました。目的は教員の長時間労働の是正とされますが、本音は別のところにあると思っています。そして、この度の議論には違和感を覚えます。運動部はスポーツ庁、文化部は文化庁という縦割りの発想自体が誤っています。
部活動はそもそも、運動部・文化部を問わず、学校教育の一環としての「教育活動」として行われてきました。教員は専門的な知識や指導力が必ずしもなくても、生徒に寄り添い、励まし、共に活動することに大きな意味がありました。そこには、教員自身の成長と、生徒との深い信頼関係の形成があります。
部活動は、生徒にとって単なるスキルの習得の場ではなく、仲間と共に努力し、達成感を共有する中で人間的に成長する貴重な機会です。完全移行によって教員が部活動から切り離されれば、学校における人間関係の構築はより困難になり、いじめや不登校の増加に拍車をかけかねません。求められるのは、教員の増員や地域の協力体制の整備であり、教育の外注ではないはずです。
(「日本経済新聞」)
「移行」か「展開」か――教育活動としての位置づけが曖昧なままではいけない
有識者会議がまとめた提言では、「地域移行」ではなく「地域展開」という言葉が使われています。しかし、言葉を変えただけで実態が変わらないのであれば意味はありません。もっと重要なのは、部活動を「教育活動」として位置づけ続けるのか、それとも「地域活動」として切り離すのかという根本的な問いに、明確な答えを出すことです。
提言には、①令和8年度からの6年間を「改革実行期間」とすること、②休日に加えて平日にも地域化を始めること、③休日部活動の活性化、④活動費のあり方について国に指針策定を求めることなどが盛り込まれています。しかし、これらは教育活動としての部活動の意義に十分に踏み込んだものとは言えません。
特に費用面での扱いは重要です。「移行」とするならば原則有償、「展開」とするなら原則無償となるでしょう。活動の性格と費用負担のあり方は密接に関係しており、制度設計の根幹にかかわる問題です。6年間の移行期間においては、どのように扱うのか、国として早急に方針を明示する必要があります。
(「TOKYO MX」)
部活動文化の解体と教育格差の拡大
文部科学省が推し進める部活動の地域移行は、表向きは教員の働き方改革を掲げていますが、その裏には教育予算の圧縮という意図が透けて見えます。人件費を削減するために教員を増員せず、部活動の指導を地域に外注するという方針は、実のところ「こどもまんなか」どころか、こどもを学校教育の中心から排除する政策に見えてきます。
日本の部活動は、世界でも類を見ないほど教育活動として根づいた独自の文化です。教員による生活指導や人格形成と、生徒の自主的な課外活動が融合した存在であり、戦後の公教育が育んだ文化的財産と言えます。これを単なる競技活動として地域に切り離すことは、まさに文化破壊と呼ぶにふさわしい措置です。
さらに深刻なのは、公立と私立の格差拡大です。私立学校は独自判断で部活動を継続・強化し、「教育のブランド」として活用する一方、公立中学では地域クラブへの個人参加が原則となり、生徒間の体験の質に差が生まれます。高等学校の無償化も相まって、私立の優位性は今後さらに強まるでしょう。結果として、教育の公平性が失われ、公立の生徒が取り残される構図が現実化しつつあります。
(「chikubunkaclub.jp」)
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