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教育

コロナ以降の教育のあり方を考える / 合言葉は「デジタル化」と「多様性」(分権化)

教育

「5月は薫風(くんぷう)の季節とも言われます」

女性

「何か素敵な言葉ですね。風が薫るのですね」

「香ると薫る。同じ「かおる」なのに、どう違うのか分かりますか?」

女性

「えっ、香(かおり)とい名の友達がいます。中学校の担任の先生で、薫田(くんだ)先生っていたんですよ。だから……、香はいい匂いで、薫は悪い匂い、……ですか?」

「担任の先生に怒られますよ。香は具体的に鼻が感じる匂いで、薫は肌で感じる時に使います。今の季節であれば若葉、新緑の薫りとか、文化の薫りとか……」

女性

「ウイルスの薫り……、」

「とは、言いません。もう、コロナ明けで動き始めますよ」

女性

「人の流れが、心なしか先週と違いますよね」

「日本人は切り替えが早い民族だから、バカなことを言っていると、置いていかれますよ。何せ、ギブミーチョコレートの伝統をもっていますからね」

女性

「鬼畜米英と言っていたのに、負けた瞬間にギブミーチョコレートと言い出したという奴ですね。ウチの子は、来年から、その英語を勉強するんですよ」

「教育現場も今までアナログ一色でしたが、デジタル化が進むと思います」

女性

「デジタル化については、後で話題にします。ところで、景気というか、経済はどうですか?」

「株式市場は、もう先週あたりからコロナ以降を睨んで動き始めています。解除されれば、後は上がるだけです。それにプラスして政府がかなり今回のことでお金をバラ撒きましたので、余ったカネが株式市場に流れ込んでくると思います。2万1000円を回復して、完全に戻り相場になっています。年初来高値の2万4千円を6月には抜いてくると思います」

女性

「ホテル、旅館、レストランやお土産関係はかなり痛手を被っていますよ。コロナ倒産も増えているという報道がありました」

「日本の経済は2重構造なので、複眼的に見る必要があります」

女性

「ここからが本論です。続きをどうぞ↓」




 9月入学説の話は、もう終わらせて欲しい

もう少し長引くと、「9月入学説」を高らかに言い始める人たちが増えると思われましたので、ここでひとまず収束してホッとしています。新聞は、こういう話にすぐ飛びつくところがあります。記事を多く書けるからです

賛成論、反対論が当然ありますので、それぞれ有識者から話を取ったり、原稿を書いてもらったりして紙面を埋めることができるので、メシの種になるのです。読者の中には新聞は真実を報道していると、勘違いをしている人がいるかもしれませんが、所詮は商業新聞です。時には、そういう使命感に燃えて記事を書く人もいますが、利益を出すというのが最終的なコンセプトであることを読者は頭の片隅に置いて読む必要があるのです。

そして、政治家はそういったマスコミが大きく取り上げたものに乗っかって動く性質があります。選挙がありますので、こういう時に動くと「やっている感」を選挙民にアピールする良いきっかけになるのです。ただ、普段教育のことについて考えていれば良いのですが、そういう方に限って思い付きで発言されるので困るのです

本来は、文科省が教育について無責任な発言があった場合は、すぐに反応して方向性を示す必要があるのですが、「9月入学説」の良い点、悪い点なんて評論家みたいなことを言うものだから、マスコミがそれに乗っかかって紙面を賑わせることになるのです。

 文科省による中央集権システムのもたらす弊害

実は、日本の教育は、文科省による中央集権システムで動いているため、そのような一つの言葉が一人歩きしやすい世界なのです。一人歩きするのは良いのですが、その言葉が「オールマィティ化」します。万能の力を発揮するので、やっかいなのです。

かつては「ゆとり」です。最近は、グローバル化です。アクティブラーニングなる言葉も幅を利かせています。私に言わせれば、これらはすべて官僚の思い付きの言葉です。教育学的な裏付けがあるものではありません。というか、ある目的を遂行させるための「理屈ワード」に過ぎないのです。

 アクティブラーニングというのは、簡単に言えば話し合い学習のことですが、小中高の勉強の段階で「主軸」で使うことではありません。勉強する期間は中心軸を定める期間です。話し合いは、補助的に使えば事足ります。アクティブラーニングというのは学問の世界で使う手法です。小、中の道徳の時間にそれを採り入れての実践をしている人がいますが、価値観がぐらついている子供たちに話し合いをさせる危険性が分かっていないと思います。場合によっては、変な考え方の癖を承認することになりかねません。例えて言えば、フォームが固まっていないのに、いきなり試合をさせるようなものです。変な打ち方を身に付けさせるだけで終わる可能性があります。

話を「ゆとり」に戻します。「ゆとり」が導入されたのは、労働基準法の改正があり、週48時間から40時間に変わる時です。このままでは、教員の増員をしなければいけないので、しなくても済むように子供たちの教育を量的に削減し、教科書を薄くしたのです。「削減」と言うと聞こえが悪いので「ゆとり」という言葉を使って「学校5日制」を導入したのです。

文明が発達すれば社会は複雑化します。その社会で生きていく人材を育てるのが教育ですから、当然それに比例して教育内容も量、質ともに上げざるを得ません。ところが、その真逆のことを文科省は行ったのです。社会的に大きな問題に発展しなかったのは、私学教育がそれをリカバーしたからです。多くの私学は6日制で何も変えていないところが多いと思います。私の勤務校もずっと6日のままです。公立離れが必然的に起こりますした。ただ、親方日の丸の発想なので、何も改めるという考えはなかったのです。日教組も沈黙していました。日本の教育について、関心がある団体ではないということです。

グローバル化という理屈で小学校に英語を導入しました。このように、すべて目的があって言葉を作ってくるのです。ただ、グローバル化というならば、グローバル・スタンダードになっていないものを世界標準に直す必要があるのですが、そういう発想は余りないのです。そもそも、先進国で中央集権教育行政を行っている国はないと思います。教科書検定という名の思想チェックのようなことを行っている国もないと思います。アメリカを見れば分かりますが、地方分権で教科書や義務教育年限も州の独自性に任せています義務教育を5歳からということを言う人がいますが、例えば、地方分権であれば、簡単に導入できます。その自治体が判断して小学校7年制を導入すれば済んでしまうからです。教育課程もその自治体で作成すれば済む話です。



 教育のデジタル化を急ピッチで進める必要あり

実は昨日「参加型Webセミナー」を体験しました。Zoomソフトを使って、全国3000人をオンラインで結んでのセミナーです。テーマは「アフターコロナを考える」ということで、主催は日本経済新聞社、その他です。マネーフォワードの辻社長が講師となって、日経の記者の方がホスト役を務めました。辻社長へのインタビューを主軸にしながら、途中いくつかのアンケートを参加者が応え、それらに基づいてまた辻社長が意見を述べるという形式で進行しました。

その中のアンケートの1つに、コロナ以降、大きく変わらざるを得ない分野としては、どのような分野だと思いますか、というものがあり、トップが教育の52%でした。参加者の半分の方が、この間の状況を見て、教育の分野のデジタル化が一番遅れていると感じていたのです。

例えば、日本は一斉授業の40人学級(1年生は35人)ですが、世界標準は20~30人の個別学習です。そして、世界は小規模化、個別学習、デジタル化に進んでいるのに、未だに学校統廃合をして、真逆の大規模化を進めています。40人にするので、自然に「密」状態が起こります。40人にするために、どうしても集団になじめない子供が出やすくなります。人は集まるだけで、その場を支配する空気を醸し出します。敏感な子供であればある程、耐えられないことが出てきます。不登校や保健室登校の子供たちへの授業をオンラインで保障するという発想もありませんでした。

デジタル化と個別化はタイアップした言葉です。ただ、日本は教育というのは、集団で行うという観念が抜けないのか、すべて集団主義的な発想で物事を考える傾向があります。例えば、留学ということを持ち出して、海外は9月入学がスタンダードなので、日本もそれに合わせろみたいなことを言います。ただ、であれば留学する生徒に便宜を図るために「留学特別卒業制度」(仮称)みたいなものを創ってあげれば良いと思います。

ただ、今や国内にいて海外の大学の講義を受けることができる時代ですから、工夫次第で国内にいながら、海外留学と同じような成果を出せるのではないかと思います。だから、何十年か後に、「昔は留学といって、わざわざ現地の大学まで行って勉強する人もいたんだよ」と話をするような時代になっているかもしれないのです。

そして、デジタル化を進めることにより、大学間の壁、小中高の壁を出来る限り取り払うという方向で今後は動いて欲しいと思います。例えば、ある生徒は高校に在籍しながら、ある講義については大学の講義を聴いて、その単位を高校の科目に振り替えるとか、ある児童は、ある時間だけ高校の授業を聴いている、A大学に在籍しながら、B大学の特定の講座の単位を取ることが出来るなど、オンラインシステムを導入すれば様々な可能性が広がると思います。そうすれば、英才教育も可能です。

もっとも、そうなれば競争力の弱い大学は、当然淘汰されることになりますが、国際競争力をつけるために仕方がないことです。文科省と大学設置者との構造的癒着関係の中で、大学の数ばかりが増えて、しかも多くの助成金により過保護に扱われています。

教育予算は限られているため、そこで予算が取られれば、必要なところに回りません。今時、エアコンのない小学校もありますし、エアコンが設置されても予算の関係で温度設定がなされたりしています。公立では、遠隔授業の達成率が5%とのこと、休校となれば文字通り勉強がストップしてしまいます。

9月入学のことを論議するより、実態調査をして教育環境を良くすることが先だと思っていますそのために、教育行政権が文科省に付与されたと思っています

基本的な条件整備さえできないのであるならば、アメリカのように地方分権が良いと思います

読んで頂きありがとうございました

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(アイキャッチ画像はエレファンキューブ株式会社様より)

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