「昨日、コロナワクチンの1回目を集団接種会場で打ってきました」
「あれっ、前は私はうたないと頑張っていたのに、どうしたのですか?」
「職場で白眼視される雰囲気が出てきたし、家族のことを考えてうつことにしたのです」
「新種のコロナが蔓延し始めているので、良いことだと思います」
「緊急事態宣言がまた出そうですものね」
「都内の感染者は連日の3000人超えとなり、全国的には1万人ということで緊急事態宣言の要請をする自治体もありますが、そこだけ見ていると正しい判断ができないと思っています」
「オリンピックと経済状況ですか?」
「昨日も言ったのですが、1万人というのは0.01%ですし、感染者の数は過去のインフルエンザの時よりもかなり少ない数です」
「もうワクチンも開発されましたしね」
「日本では20歳以下でコロナで死亡した人はいません。実は長野冬季五輪(1998年)の前にインフルエンザが大流行していて、当時の資料によると長野五輪の開会式の頃の1週間の全国の患者数が49万6600人、休校数が8233校、16人の子供が亡くなっています」
「その時でさえ、緊急事態宣言は出なかったということですね」
「当時は、そういった言葉や考え方がなかったので単純に比較はできませんが、長野五輪を中止ということを言う人は誰もいませんでした」
「今回は、医療現場のひっ迫の問題がありますよね」
「「問題なのは、重症患者数ですが、全国で539人(7/29日時点)です。この程度の数でひっ迫するのであるならば、医療態勢そのものの問題があるように思います」
「ここからが本論です ↓」
目次
「コロナ禍」が世界史の大きな節目になる可能性も
戦後、戦前という言い方をよくします。その場合の戦争というのは、太平洋戦争であり、第二次世界大戦のことです。それを区切りにして、その前とその後では憲法や政治体制など多くのものが変わったので、その言い方が現在もなお使われているのだと思います。
その後の大きな区切りのような出来事としては、ソ連邦崩壊、ベルリンの壁の撤去に象徴される冷戦終結でしようか。冷戦終結となり、世界が本当に平和に向かって力強く歩むことができれば、一つの大きな区切りとなったのでしょうが、残念ながら現実はむしろ逆に動きました。そのため、第二次世界大戦ほどのインパクトの強さはありません。
そして、今回のコロナ禍です。コロナという見えないウイルスが一つのリトマス試験紙のような役割を果たしています。コロナは当初は武漢ウイルスと名付けられていました。これは発生源の地名をとってウイルスのネーミングにするという「ルール」に基づいたものですが、これに対して中国が激しく抵抗します。その武漢ウイルスが中国本土で感染が拡大します。これが2020年の1月から2月のことです。
その騒動が持ち上がった時は、まさかそれが全世界に感染拡大するとは、誰も思わなかったでしょう。そして、コロナ禍が世界に広がり、それが終息する頃、世界は全く別の対立構造になっている可能性が出てきました。「コロナ禍前」、「コロナ禍後」という時代の区切りを後世の歴史家が使うようになるかもしれません。そのような事態が、現在進行しているからです。
(「HIMOKURI」)
コロナ禍の前は、日中で「一帯一路」を共に推進するムードであった
コロナ禍の中、中国が世界武力制覇に向けて大きく舵を切ります。それまでは「一帯一路」ということで、世界のシルクロードを共存共栄の精神で中国と当該の国が協力して作り上げるという言い方でした。そのため、日本でも「一帯一路」について協力しましょうということだったのです。
実際に2017年5月に「一帯一路国際提携サミットフォーラム」が北京で開催され、100以上の国や国際機関の代表が参加をしています。日本の経済界は、中国の「一帯一路」をビジネスチャンスと捉え、積極的に応援する姿勢を鮮明にします。
中国から「友好商社第1号」と認定されている伊藤忠商事は「国有企業集団のCITIC(中国中信)に6000億円投資する」と発表し、タイの巨大財閥CPと折半で、1兆2000億円を中国及び第三国の開発のために共同出資する計画を明らかにします。
日本の政府もそういった財界の動きを後押しするように2017年11月にベトナムのダナンで安倍首相(当時)と習近平主席の日中首脳会談が開かれます。その際に、習近平主席の日本への招待がなされたと言われています。翌年の8月にはシンガポールで日中外相会談が開かれ「一帯一路」を両国で進めるという確認がなされます。
日本が「一帯一路」を受け入れた理由は、中国は日本の一番の貿易相手国であるということと、アベノミクスによって日本経済を浮揚したい、そのためには「一帯一路」によってチャイナマネーを活用したいということだったのです。
(「日本経済新聞」)
中国の戦狼外交が本格的に始まる――2018年を境にして
習近平が2018年に憲法を改正して国家主席の任期を撤廃します。これによって、死ぬまで半永久的に国家主席の座にいることができるようになりました。中国は人民に選挙権は与えられていませんので、ここに1人の独裁者が誕生したことになります。それを境に、中国は周辺諸国にキバを露骨に剥き始めるようになります。
当初は、アメリカも日本もそのことに気が付きませんでした。武漢でコロナが広がり始めた時に、「ガンバレ武漢」という垂れ幕を大阪の商店街が出し、マスクを中国に送り、二階幹事長が見舞金を国会議員から集めたことがありました。当時の日本が中国をどのように見ていたのかが分かるエピソードだと思います。ちなみに、先日の7月20日に中国の河南省に降った記録的大雨によって約20万人が避難、地下鉄5号線の中に雨水が浸水して14人が亡くなる事故が起きるなど、100人以上の死者が出るという大規模水害が起こっていますが、日本では何の動きもありませんでした。北朝鮮がお見舞いの電報を打ったそうです。
(「朝日新聞デジタル」)
世界征服宣言がなされる―― 中国共産党100周年式典
先日の7月1日に中国共産党100周年式典が北京の天安門広場で行われました。習近平国家主席が人民服で演説をしました。天安門広場には、毛沢東の肖像画が掲げられています。毛沢東と二重映しになるような演出効果を狙ったのでしょう。
「国防と軍隊の現代化を必ず加速しなければならない。……世界一流の軍隊を建設し、さらに強大な能力をもって国家の主権と安全、それに発展の利益を守る」と、武力による世界征服の宣言を高らかに行います。
その手始めが、台湾への武力侵攻となるでしょう。「一つの中国」という勝手な理屈を立て、武力による統一は「中国共産党の揺らぐことのない歴史的な任務」とまで言い切りました。タイミングを見て、武力統一に向けて軍隊を出動させる考えであることを明らかにしたのです。
その他、様々な動きを見せていますが、それについては次回のブログに書きたいと思います。
(「You Tube」)
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