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適度な競争は、人間の成長にとって必要なこと ―― 「艱難汝を玉にす」

  • 2021年6月18日
  • 2021年6月18日
  • 教育論
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「かつて小学校の徒競走の競技で、順位をつけなくするために、ゴール前で友達を待って、みんなが揃ってからゴールインということがあったことを知っていますか?」

女性

「いえ、聞いたことがありませんけど……」

「たまたま、ある新聞でそのことが話題として取り上げられていたので、あれはいつ頃かなと調べてみると、1990年代の半ば頃です」

女性

「じゃあ、私もちょうど小学生の頃ですが、私の小学校は普通に競争していましたけど……」

「殆どの学校が普通に競争競技をしたと思うのですが、ある親の苦情を取り上げてそういうことをした小学校があるみたいです。話題性があるということで、「NHKのクローズアップ現代~競争のない運動会~順位をつけない教育改革の波紋~」(1996年6月11日放送) ということで取り上げられたようです」

女性

「そういった試みは、何か意図があって行われたものなんですか?」

「調べてみると、組織的なものではなく、当時話題になったモンスターペアレントの方が、運動が出来ない子どもがビリでゴールをさせるのは可哀そう、何とかならないかという意見が発端だったようです。それが広がったみたいですね」

女性

「つまり、それを聞きつけた他校のモンスターペアレントが、あの学校で出来たことがこの学校で何故できないのか、ということで意見を言い始め広がっていったということでしょうか」

「およそ、そんなところです。いわゆる競争を意識的に排したのが「ゆとり教育」世代の特徴なんですが、その後の子供たちへの影響ということで興味深い結果が出ています」

女性

「そういうことを、追跡調査した人たちがいたのですね」

「これは公正取引委員会の委員長をされていた杉本和行氏が『日経』(2021.6.17)の中で報告しているのですが、「利他性が低く、協力に否定的で、互恵的ではなく、やられたらやり返すという考えをもつ傾向が強」くなるということだそうです」

女性

「その話を聞いて、中国を連想してしまいました」

「まあ、発想の大元が形式的平等主義なので、共産主義と相通じるところがあると思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 適度な競争は、人間の健全な成長にとって欠かせない

適度な競争は、成長のためにどうしても必要です。ただ、何を適度な競争とするかという問題があります

そもそも、「和」の国日本に競争という概念が持ち込まれたのは、明治の開国期でした「competition」という英単語を福沢諭吉が「競争」と訳したと言われていますが、実は当時から余り良い訳ではないという意見があったのです

どういうことかと言いますと、「competition」の語源を調べると「争う」とか「競う」といった意味がないのです。「competition」は「com」と「pete」に分けることが出来ますが、「com」というのは、「共に(company/会社、組織)」とか「完全に(complete)」 という意味です。「pet」は「求める(petition/嘆願)(appetite/食欲)」という意味ですので、2つを合わせて「共に何かを求める」というのが「competition」の原意だということが分かります。

つまり、同じ目標に一緒に向かう、ただ目標が1つであればその目標に到達できる者とできない者とが出てきます。その結果の状況を思い浮かべて、「競争」という和訳を編み出したのでしょう。だから、争うことに主軸があるのではなく、ゴールを目指して同じ仲間として走ることに意義があるのです。前者であれば、勝ち負け、1位2位ということにこだわる必要がありますが、後者なのでゴールテープを切る前にその目的は果たされているのです。つまり、全員揃ってテープを切る必要はないということです。

(「ウレびあ総研・チケットぴあ」)

 努力の過程で人の気持ちを感じられるようになる

「艱難汝を玉にす」、「苦労は買ってでもしろ」という諺やアドバイスがあるように、何か目標を設定して、それを達成できないという事態が発生した時、その目標を自分なりに考え始めます。再度チャレンジしたいと思うか、思わないかです。仮に、自分の目標として求め続けたいと考えてチャレンジをし始めることがあれば、その努力の過程がその人の人格向上の道のりとなるでしょう。

何故でしょうか目標の達成は、そんなに簡単ではありません。2つの努力が必要です。1つは、分析する努力です。「不思議な勝ちはあるけれど、不思議な負けはない」、これは名将野村監督の言葉です。なぜ負けたのか、その原因を究明する努力が必要です。2つ目は、自分を支えてくれる人を探す努力です。目標が高ければ高い程、周りの人のサポートが、どうしても必要です。それは精神的かつ技術的な2つの面からも必要なのです。

(「マナラボ」)

 競争の中で、人はその処し方を学んでいく

野球にしろ、ゴルフ、サッカーなど、プロのスポーツ選手が大きな勝利を得た時、必ずと言って良い程フアンに対して感謝の言葉を述べます。一つの勝利を得るためには、その選手を物心両面で支えている家族やスタッフの存在、そしてそれに励ましの声援を送るフアンの存在、そういった支えがあって始めて、選手は充分な力を発揮することができるものです。また、プロの選手は必ずプロのコーチがついています。人間はなかなか自分の技量を客観視できないためです。

中には、プロの選手だから、一人で勝っていけるだろうと思うかもしれませんが、目指す頂上が高く険しいため、一人で昇っていると人間としての弱さがどうしてもさらけ出されてしまうということでしょう。そういった時に、「ガンバレ」と背中を押してくれる見えざる力を感じた時、その選手は階段を一つ昇ることができます。

「競争」の中で、そういう思いを繰り返し経験する中で、周りに対して自身の気持ちを返していくことの大切さを自然に学んでいくのだと思います。我々がが生きていく社会は自由競争社会です。子どものうちから、そのことを教え、競争ということをどのように捉えればよいのか、そういうことを教えていく必要があるのです子どもの時に競争は「悪」と考え、すべてそれを排除して何も教えず、いきなり社会の荒波の中に飛び込ませれば、誰でも溺れてしまいます。

(「note」)

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