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「脱成長、脱競争イデオロギー」+「共産主義」=『人新世の資本論』/ 環境ビジネスを発展させることが必要

「脱成長論・脱競争論というのは、これからも形を変えて出てくると思います」

女性

「別に無理に競争をして、経済成長しなくても良いのでは、と思っている人はいますからね」

「その気持ちは分からなくはないですよね。すべてを忘れて、のんびりと過ごしたいと思うことがありますからね」

女性

「だから、人は旅に出るんでしょ」

「ただ、その延長線で脱成長、脱競争を唱えられても困るのです」

女性

「どうして困るのですか?」

「現実には、あり得ないことだからです。現実世界は、動いて当たり前、成長が当たり前の世界で、現実離れした考えを言っているからです。子供は日々成長します。これは当たり前。人間の肉体に時間という負荷が絶えずかかり、誰もが死に向かって進みます。止まることはありません」

女性

「要するに、そのベクトルの向きを基準にして考えなければいけないということですね。勝手に頭の中で空想的に考えた理屈を前面に押し出すなということですよね」

「そうですね。発想が空想的なので、共産主義者が飛びつきやすい考えです。古くは、エンゲルスが原始共産制の時代があったということを自著である『家族・私有財産・国家の起源』に書いています」

女性

「原始共産制の時代というのは、本当にあったのですか?」

「見解が分かれるところですが、物凄く生産性が低い社会であれば可能性があったと思います」

女性

「分かります。ふんぞり返っていないで、お前働けよと言われますものね」

「ただ、実際には、そういう時代はなかっただろうと思っています。地球上の生き物の中で階級社会を作るのは、人間の本性なんですが、人間とあと何だか知っていますか?」

女性

「えっ、何ですか? そんなこと考えたことがありませんけど……」

「人間とアリなんです。研究者に言わせると、女王アリと働きアリ、緊急時に対応するアリと3種類の役割があるそうです」

女性

「蜂はどうですか?女王蜂がいますよね」

「ゴメン、文系の人間なので、詳しいことは分かりません。一応、そういうことを聞いたということで了解して下さい」

女性

「ガッテン、ガッテン。ここからが本論です ↓」

 「脱成長、脱競争イデオロギー」+「共産主義」=『人新世の資本論』

『人新世の資本論』(集英社新書、2020年)を題材にしたいと思いますが、この書は大阪市立大学准教授の斎藤幸平氏が書かれたもので、「2021新書大賞」を受賞したそうです。『文藝春秋』に池上彰氏との対談記事が掲載されたこともあり、よく売れているそうですが、内容は『資本論』を題材にしながら、マルクスが環境問題にも関心を寄せていたことに着目し、なおかつその悪化を資本主義の責任とするというスタンスで書かれています。底流に流れているのは、脱成長論です。

マルクスが環境や農業に関心を持ったのは、ユダヤ人国家再建までを視野に入れていたからに他なりませんユダヤ人マルクスの一番の願いは、とにかくユダヤ国家再建であり、そのための革命理論、そのための資本制研究(彼は資本主義とは言っていない)だったということを充分認識する必要があります。

ただ、環境問題は単純な問題ではありません。資本主義の責任というのも短絡的です資本主義を極端に排除している北朝鮮が環境問題に対して、優等国だということを聞いたことがありません。つまり、経済体制とは関係がないということですし、それも含めて、先進国、後進国、資本主義であろうとなかろうと、取り組まなければいけない問題だと思っています。前向きな取り組みであれば、すべて評価する必要があります。「SDGsはまさに現代版『大衆のアヘン』である」(同4ページ)という見当違いの批判もあります。

(「SDGsへの取り組み/東京製綱 Environmental Report」)

 環境ビジネスの新たな方向―― 「アップサイクル」

斎藤幸平氏の専門は、経済思想、社会思想ということもあり、現実社会に対する解析が弱く、全体的に空想的な言説が目立ちます。言うまでもないことでしょうが、現実世界は何か看板を掲げればその通りに動く訳ではありません。現実世界を動かすためには、どのような法制度を用意するのかまでをも視野に入れて発言をする必要があるのです。

彼の言葉を紹介します――「資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓していくシステムである。そして、その過程では、環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間からの収奪を行ってきた。この過程は、マルクスが言うように、『際限のない』運動である。利潤を増やすための経済成長をけっしてとめることがないのが、資本主義の本質なのだ」(『人新世の資本論』、117ページ)。

資本主義」という言葉を使うならば、この文章は不適切です。まず、「主義」は考えなので、システムではありません。確かに、資本は自己増殖を繰り返すことは確かです。大事なことは、その方向性を正しく定めるということだと思います。環境ビジネスという言葉が生まれているように、今の資本主義経済の態様が環境をないがしろにして、破壊しようとしている訳ではありません。例えば、12月18日の『日経』によると、製造工程で破棄される食品を活用する動きが広がっていると言います。アサヒは食パンの耳をビール原料、ハウス食品はカレー原料としての規格外のシナモンなどの香辛料をクレヨンの原料として取り扱うことを始めたそうです。こういった本来は廃棄される運命にあったものを付加価値を付けて再利用することを「アップサイクル」と言うそうですが、その輪が広がっていますし、新たな視点で商品開発ができれば、環境の改善に寄与することになります

そのこと一つ取っても、「環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間からの収奪を行ってきた」という記述と合っていないことが分かると思います

(「リサイクルハブ」)

 労働生産性を上げるためには人への投資が必要

市場原理で動いている現実世界において、国家も社会も個人も停滞は脱落を意味します。停滞が長引けば、滅亡の道を歩むことになります。これは、人類の歴史を見れば明らかです。日本は四方を荒海に囲まれるという地理的好条件もあり、世界一古い王朝として今もなお存立しています。そんなこともあり、何もしなくても大丈夫なのではという錯覚をもつ人が比較的多くいるかもしれません。そして、その錯覚を利用して、「脱成長、脱競争イデオロギー」をばら撒く輩がいるのです。

日本生産性本部が12月17日に日本の労働生産性を発表しました。日本は23位という結果となりましたG7の中では、最下位です。OECDというのは、簡単に言えば先進国クラブですが、38か国加盟していますが、そのうちの23位です。このような統計をとり始めた1970年以降、最も低い数字です。ただ、今のスタンスのまま日本の政治が行われれば、下がることはあっても上がることはありません何故なのか。人への投資という観点が殆どないからです。給付金でカネをばら撒けば、人が育つ訳ではありません。つまり公教育、大学教育、社内教育の在り方を人材育成という観点から制度設計をし直し、それに対して資金を投じるということをしなければいけないのです。カネの使い方を間違えているのです。

(「プレジデント オンライン」)

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