「前回は、カスハラの根底には、宗教心の衰えがあるのではという話だったと思います」
「何かデータを取った訳ではありませんので、あくまでも推測ということでご理解下さい」
「ただ、人類の誕生とほぼ同じ頃に宗教を生み出しているという話は興味深かったですね」
「要するに、自分たちを守るための手段として考えたと思っています」
「ということは、絶滅した類人猿は宗教をもっていなかったということですか?」
「ネアンデルタール人ですね。鋭い質問をしますね。共食いをした痕跡が発掘されていますので、彼らは宗教をもっていなかったと思います」
「共食いをするということは、死者に対する鎮魂みたいな感覚はなかったということですかね」
「その感覚がないということは、さらに高度な存在をイメージすることは無理だと思います」
「ネアンデルタール人は、能力的にどうだったんですか?」
「類人猿と言われている通りです。何十万年も生息していますが、簡単な道具しか作れていませんから、その程度の知能だったと思います」
「ホモ・サピエンスは地上に出てきて5万年位ですものね。あと、生息時期が重なっていると言われていますよね」
「それは最近の研究で言われ始めたことです。交雑もあったと言われています」
「ネアンデルタール人が滅亡した原因は分かっているのですか?」
「諸説はありますが、確定した説はありませんので、詳しくは分かっていないということです」
「ここからが本論です ↓」
信じる宗教があるかないか、それが類人猿と人間を分けるメルクマール
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の違いは、宗教をもっているか、もっていないかの違いだと思います。人間以外の動物は宗教をもちませんので、それが類人猿と人間を分けるメルクマールだと思います。
ホモ・サピエンス(現生人類)はアフリカが発祥の地だと言われています。そのアフリカから東に向かって移動し、全世界に広がったと言われています。アフリカを脱出したのは、食糧事情が原因だろうと言われています。何故、東なのかについては明確な説はありませんが、生命を育む太陽に向かって歩けば、生命の源に巡り合えるのではないかと思ったフシがあります。
太陽に向かうという考えの中に、すでに因果関係の中で思考しようとしていることが分かりますし、その根底には畏大なものに付き従うという考えが横たわっています。宗教心の萌芽みたいなものが、アフリカ出発の時点であったと思われます。
(「産経ニュース」)
日本人ほど自分の宗教心について無自覚な国民はない
日本人ほど自分の宗教心について無自覚な国民はないと言われています。そのため、留学先で「信仰している宗教は?」と聞かれた時に戸惑うようです。葬式、つまり死に関係することは仏教で、初詣や祝い事は神道で通常は執り行います。所謂、神仏習合という言葉で説明されています。
このかたちは天武天皇の時に定まったと考えられています。人は死ねば仏様になり、そしてやがて神様になるという教えの下、近くの祖先には仏壇でお参りし、遠くの祖先神には神社でお詣りするというものです。そのため、仏壇と神棚の両方を備えている家が多いのです。
神社は必ず森の中に建てます。これは先祖の御霊はやがて自然の野山に還っていくという教えからです。社をもりと呼ぶのは、そのためです。
(「観音舞」)
神道の根底にある考えは、自然に対する崇敬
神道の根底にある考えは、自然に対する崇敬です。しきたりも簡単です。2礼2拍手1礼です。他の宗教のように、義務規定もありません。このような教えであったため、仏教が伝来した時(6世紀)に、宗教戦争にならずに済んだと思っています。
古来よりその教えが国民の間に広がり、それが自然愛護の精神を醸成していたのです。それが現在まで引き継がれているかという問題ですが、戦後になって信仰心が急速に低下しています。読売新聞が1950年から継続して行っている「信仰があるか、ないか」という世論調査によると、「信仰あり」と答えた人が1950年には約3分の2いたのに対し、1970~80年代にかけては3分の1に落ち込み、さらに1995年以降は2割余りに低下しています。
信仰心は低いが、宗教的行動になると約8割の人間が盆・彼岸の墓参りをし、約7割の人間が初詣をし、約半分の人間が仏壇・神棚への礼拝を行っています。(2005年読売新聞世論調査)また、これらの行為は1979年以降、微増の傾向にあります。また、54%の世帯に神棚があり、61%の世帯に仏壇があるというデータがあります(1995年朝日新聞調査)。
教育基本法には「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」という規定がありますが、この規定は統一教会のようなイデオロギー色が強い宗教のことです。神道は宗教であって宗教ではありません。神道は日本人がその歴史の中で育てた世界に誇れる純粋無垢な民族宗教です。是非、学校現場でも子供たちに広めて欲しいと思っています。
(「imidas」)
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