
「AIを制するものは、世界を制する状況になってきました」

「日本の勝ち目はどうですか?」

「一言で言えば、「苦戦」しています。それに対して、シンガポールは善戦しています。IMFの「AI準備指数」では世界1位、イギリスのトータスメディアによると世界3位です」

「日本の順位は?」

「両方とも11位です。どの指標でもトップはアメリカと中国です。アジア地域で見てみると、日本より上位の国は、中国、インド、韓国そしてシンガポールといったところです」

「インド、韓国の方が上なんですね」

「今やそうですね。日本は人材を有効に見出していませんし、配置されていません。「人材ロス」と私は名付けているのです」

「かつてはAI研究で日本は世界をリードしていたという話を聞いたことがあります」

「1980年代の頃のことでしょ。当時の通産省が国家プロジェクトを計画していましたが、頓挫しています」

「AI技術は社会を大きく変える影響を秘めていると思います。経済安保の観点から、その基盤を海外に握られてしまうのは好ましいことではありませんよね」

「そうですね、おっしゃる通りですが、なぜ日本は苦戦を強いられているのか、その辺りの原因について解明していきたいと考えています」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「TOMA100年企業創りコンサンタルツ会社」提供です」
人材を輩出できる国だけが生き残ることができる
世界は、AI技術の発展を起点として、国家の競争力が「どれだけ付加価値を創造できる人材を持っているか」によって決まる時代に突入しました。資源を持つ国は資源で戦えますが、資源を持たない国に残された武器は、人材とその活躍を可能にするシステムだけです。言い換えれば、人材を生み出せる仕組みを持つ国だけが、次の100年を生き残ることになります。
こうした前提のもとで日本を眺めれば、いま私たちは「人口減少」という分かりやすい課題の背後に、より深い危機を抱えていることが見えてきます。それは、日本が“人材欠乏国家”なのではなく、“人材ロス国家”へと静かに転落しているという事実です。
日本は本来、人材が豊富な国です。ノーベル賞受賞者の多さ、スポーツにおける世界的活躍、日本文化の国際的評価を見れば、個々の能力の高さは明らかです。本来であれば、世界有数の「人材大国」として躍進し得るポテンシャルを有しています。それにもかかわらず、その潜在力が国家の力として十分に結実していません。それは、個々の能力そのものが低いからではなく、人材を的確に発掘し、適所に配置し、長期的に育てる国家システムが存在しないからです。

(「東京新聞デジタル」)
“アイデンティティ教育”の欠如が致命的
特に深刻なのは、日本の教育が“アイデンティティ教育”を欠いている点です。本来、子どもたちが自分の特性・資質・志向を知り、自分がどのような領域で力を発揮できるのかを自覚し、自らの人生を主体的に選択できるようになることこそ、教育の核心であるはずです。しかし日本の学校では、この「自分は何者か」「私は何を得意とし、何に情熱を持つのか」という根本的な自己理解を促すようなカリキュラムが用意されていません。学習指導要領に書かれていないからです。文科省は子供は勉強さえしていれば、普通に成長すると思っているのです。結果として、子どもたちは自分自身の才能を把握しないまま、偏差値や学校・周囲の期待など外部の基準で進路を決めることが常態化しています。
この「自己認識の欠落」が、社会全体に大規模なミスマッチを生み出しています。理系に向いている人物が文系に進み、創造性に富んだ若者が画一的な組織文化に埋もれ、現場向きの力を持つ人が机上の仕事に回される。逆に、管理職としての資質を持たない人が「年次」という理由だけで管理職に配置される。こうしたミスマッチが積み重なることで、国全体の生産性は低下し、個々人も能力を発揮しきれずに人生の充実を損なっています。
外見的には、“人材不足”に見えますが、実際には“人材の活用不足”です。これは人口減少よりはるかに深い構造的危機です。つまり、能力があるのに活躍できない人が大量に存在し、国家はその潜在力を取りこぼしたまま先細りしている。この状態を放置すれば、日本はAI時代に求められる「高スキル人材の大量育成」「俯瞰的判断のできるリーダーの輩出」という国家的要請に応えられなくなります。

(「日本経済新聞」)
日本は周回遅れになりつつある
シンガポールなどの小国が“人材を国家の最重要資源と定義し、体系的に人材投資を行う”ことで着実に国家競争力を高めています。人口わずか600万の都市国家が、教育と行政の両輪を使って世界トップの国家力を築きつつあるのです。「AI競争」では、1億2千万の国が600万の国に負けています。しかも、逆転する可能性が低いだろうと言われています。人口1億2千万の日本は、自国の人材を適切に把握する土台さえ持っていないため、最終的にはGDPでも逆転される可能性さえあるのです。
AI時代の本質は「機械に代替される人材がいるかどうか」ではなく、「AIを使いこなし、新しい価値を創造できる人材を社会全体で育てられるかどうか」です。今の日本の教育と行政の仕組みは、ここに決定的に遅れをとっています。要するに、常にAI開発をリードして、それを応用して製品化できる優秀な頭脳を持った人材をいかにコンスタントに輩出できるかが重要です。日本では、その点に於てスタートラインにすら立っていません。社会の表面には見えにくい“静かな衰退”ですが、気づいたときには取り返しのつかない差になっている危険性があります。
日本はまだ潜在力を失っていません。しかし、国家としての方向を定め、哲学とシステムを持って人材国家へ転換しなければ、この潜在力は二度と発揮されることはないでしょう。すべてはタイミングの問題だからです。ボールが通り過ぎてフルスイングしても意味がないということです。
次回は、日本がなぜ“人材ロス国家”へ堕していったのか、その歴史的・制度的背景を解明します。

(「ヒューマンピクトグラム」)
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