「この間、経済に関する話題が続いているのですが、言われてきたのは、基本的には経済活動に政治は余り関与しない方が良いということでしたよね」
「経済は「生き物」ですからね。関与して良い場合は緊急の時だけです。体力が弱っている時に限られます」
「イメージとしては、動物園の動物たちですか。彼らが病気になった時は、飼育員は手当をしますものね」
「いや、自然界の動物の方がイメージとしては正しいと思います。絶滅危惧種になった、あるいはなりそうな動物や鳥たちを何とか助けようと努力しますよね。そうでなければ、基本的には人間は関与しない方が彼らも生き生きします」
「給付金は、野生の動物たちにエサを与えるような行為ということでしょうか」
「上手いこと言いますね。鳩にエサをやるなと言っているのは、鳩が自分でエサを見つけて生きていくことが出来なくなってしまうからです。この社会は自由競争社会ですので、給付金を広くばら撒いていると、それが当たり前みたいな考えをもつ人が出てきてしまいます」
「そして、そのうち誰も働かなくなるということですか? 今日の朝のニュースですが、台湾の半導体の会社を日本に誘致するのに、日本は資金援助するそうですが、それも経済分野への関与ですよね。ダメということですか?」
「半導体は産業の「米」ですが、日本のシェアは今や10%程度です。経済産業省は緊急事態と認識しているのでしょう。そういう場合は、良いのです」
「エサを与えるのとは逆に、規制もダメですよね」
「基本的にはダメですが、この「締め方」が難しいのです。締めすぎると「窒息」、つまり「空気」が少なくなって、それを求めて市場が過剰に反応する場合があります。韓国の土地政策がその例です」
「韓国の都市部のマンションの値上がりが凄まじいですね」
「この半年で倍以上でしょ。ソウルで80平方m2のマンションが1億2千万とニュースで報じていましたが、対策が必要な状況だと思います」
「どうして、そんなことになったのですか?」
「不動産市場も自由競争市場ですが、不動産が投機の対象になっているということで、規制をかけたからです。マンションを含めた住宅の建設認可を約40~50%減らしてしまったのです。要するに、逆をやってしまったのです」
「後は、需要と供給の市場の原理が働いて、不動産価格が2倍になったということですね。ここからが本論です ↓」
成長をし続けるのが自然の姿
人類の歴史は、自由競争市場の発展の歴史でもありました。人口が増え、活動範囲が広がると自然に市場(しじょう)が拡大して、文化・文明が栄えるようになりますが、それらを推し進めたのは自由競争の原理です。競争があるから発展があったのです。その競争が行き過ぎて、戦争になったこともしばしばありましたが、戦争の根底には相手との競争に勝とうという意識があったことは間違いありません。
人類のこれからの歴史も、自由競争を基軸に展開することになるでしょう。何故、そのような当たり前のことを力説するのか、と疑問に思う人がいるかもしれません。それを否定する考え方を開陳する人がいるからです。いわゆる、脱成長論、脱競争論の主張です。
(「フォトライブラリー」)
脱成長論、脱競争論は亡国の論理
佐伯啓思氏が脱成長論を説いています――「グローバル競争と成長追求という強迫観念などからそろそろ醒めてもよいのではないでしょうか。問題は成長をやめるというのではなく、成長追求の価値を前提からはずす、ということなのです」(『さらば、資本主義』新潮新書、2015年/113ページ)。言いたいことは分かりますが、現実社会を動かすのは具体的な法制度や政策によって動きます。ただ、その「具体策を論じる必要はありません」(同上、114ページ)、大事なのは「思考の転換」であり「価値の転換」だと佐伯氏言います。
一種の観念論ですが、彼はさらに続けて「『無理な成長追求よりも安定した社会にあってこそ幸福だ』という命題だってなりたつでしょ」と言います。
佐伯氏の言葉を聞いて、どのように思われたでしょうか。成る程と思われた方もいるかもしれません。ただ、この世界は、言葉として成り立ったからといって、それが現実世界で実現するかどうかは分かりません。彼の言葉を聞くと、一瞬実現しそうな気がするのですが、無理だと思います。何故、無理なのか。それは、この国際社会全体が競争社会だからです。世界には、約200の国がひしめき合って暮らしています。中には、中国のように世界制覇を狙っている国もあります。日本だけ、競争をやめて「無理な成長追求よりも安定」と叫んだところで、どの国も相手をしてくれません。だから、実現不可能な提案なのです。
成長・競争を放棄した国は淘汰されるだけ
経済と自然界は同じように考えることが出来ます。自然界は弱肉強食のサイクルで回っています。ある動物が「弱肉強食のサイクルから抜ける」と仮に言ったとします。その瞬間から滅亡の道を歩むことになります。人間の社会も理屈は同じです。人間の社会も弱肉強食のサイクルで回っているからです。弱い国は、国際社会の舞台から消え去ることになります。かつての時代は、武力で対抗し合っていました。ただ、戦後は核兵器という脅威の兵器が実戦配備されるようになったため、実際の戦争が出来にくくなっただけです。
そのためそれに代わって、経済競争・経済戦争とも言うべき事態が起きています。こちらの方は、企業間競争にそれぞれの国がからみ、さらにはそこに国境を越えてのサプライチェーンが絡むため、様相は複雑です。複雑ですが、最後は国のGDPとして計算され、それぞれの国の経済力が数字として表されます。数字は日々刻々とかわるので、日々戦いとなります。そして、その数字の大元には、それぞれの国の政治、経済から教育・文化など様々な分野の総力が反映されることになります。
そういう意味では、現代はすべての国民が何らかのかたちで経済競争・経済戦争に参加している時代だということが言えると思います。
(「MONOist-ITmedia」)
読んでいただきありがとうございました。次回は、脱成長論の続きと何故日本のGDPが近年は停滞しているのかについて書きたいと思います。
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