「資本主義の行き詰まりや限界をテーマにした書籍がブームになっているようです」
「そういったブームは何年かの周期で表れるものなんです」
「マルクスの『資本論』や関連の解説本が関係者が驚くほどの売れ行きだそうです」
「コロナ禍の『巣ごもり需要』の影響と今後の見通しについて学問的に知りたいというようなものが引き起こしたブームだと思います」
「中には『資本主義の終焉と歴史の危機』という結構インパクトのある題名の本も出版されたようです」
「本の題名を見て、買いますからね。その本の中身は読んでいないのですが、資本主義そのものが終わることはありません」
「ずっと、続くということですか?」
「無理矢理終わらせようと考えている勢力もありますが、経済は生き物なので「手の付け方」が難しいのです」
「「経済は生き物」というのは、どういう意味ですか? それと、政治は生き物ではないのですか?」
「生き物」と表現したのは、流動的という意味です。日々刻々と市場の取引によって経済活動が支えられていますので、量と価格がその都度変動します。政治は1つの権力システムなので、固定的なのです」
「「手の付け方」というのは、変化するので、その見極めが難しいという意味なんですね」
「流れを上手く調整できれば良いのですが、恣意的に無理矢理流れを作ろうとするとダメだということです。社会主義の考え方がそうなんです。中国はこれからそういう側面を出してくると思います。見てて下さい」
「ここからが本論です ↓」
資本主義という言い方
資本主義という言い方が日本では定着してしまっているのですが、資本主義という言葉自体に問題があると思っています。イデオロギー色が強く、何か政治的意図をもって編み出された言葉だからです。ちなみに、アメリカでは資本主義という言い方を殆どせずに、市場経済、あるいは自由市場経済という言い方をします。
資本主義は産業革命、つまり商品の大量生産とともに導入されたシステムであり、それは生産手段が私有化されたシステムとしてマルクス主義者たちに説明されてきました。生産手段というのは、土地や工場、機械設備などですが、その私的所有が許されるのが資本主義だと説かれ、資本を所有するのが資本家、そしてその元で働くのが労働者ということになり、両者はやがて激しく対立するようになるだろうというのがマルクスの見解であり、予言でした。
ただ、そのように経済の何か新しいシステムが途中から興り、そこから出発したと考えてしまうと、歴史的に誕生したものは歴史の中でその使命を終わるはずという考えに行き着くことになります。そうなると、資本主義に代わるシステムということで社会主義という考えが日程にのぼることになり、「終焉」というテーマも出てくることになります。
(「クリプトピックス わかりやすい経済学」)
市場経済はその姿、形を変えながら永続する
そのように考えるのではなく、経済活動というのは、それこそ人類がこの地上生活をし始めた時から行われているので、人間と共に発展してきたと捉えた方が正確です。生産活動そのものが経済活動なので、狩猟採集生活であろうと農耕牧畜生活であろうと、経済活動に違いはありません。そのうち生産量が増えたり、地域間の交流が活発になるに従って生産物を交換したりということが起こり始め、それをスムーズに取り行うための道具として貨幣が造られるようになります。石や貝殻を貨幣として使っていた時代もありますので、かなり古い時期から市場経済が成立していたのです。
というように、人間の生活の拡大とともに市場経済が整備され、数多くの商品が大量生産されるようになり、それに伴って物流のシステム、さらには経済システムが創られていきます。近代以降はそれを資本主義とたまたま呼ぶようになったということだろうと思います。
そのような経済活動の歴史を概観することによって何が分かるかということですが、人類の歴史とともに経済活動が始まり、すぐに市場経済が形成されたということが分かります。そんなことから、「人間は経済的動物である」と言った哲人がいるのです。人類が存続する限り、商品やサービスに対する需要と供給で成り立つ市場経済は続くということです。
その上に立って資本主義をどう捉えるかということを考えるようにします。資本主義というのは、産業資本主義、独占資本主義、国家独占資本主義という言い方をします。いずれも、ある特定の時代に表れた経済システムであるので、そのような意味として資本主義を考えるのならば、それは有限ですし、終焉もあるでしょう。
そうではなく、資本主義を市場経済と同じような意味として捉えるならば、それは人間の歴史が続く限り存在することになります。人間にとって予測不能な「生き物」のような姿を我々に見せながら…。
(「学歴ぜろどっとこむ」)
経済学は後追いの学問——未来予測はできない
『ノーベル経済学者の大罪』(マクロスキー、ちくま書房)という本があります。投資アナリストの大原浩氏はこの本のことを「やたらに数式を振り回す『机上の空論』がどれほど経営者や投資家などを惑わしてきたのかについて述べた本」と紹介しています。
また、マクロスキー氏は「自分の理論にしたがって投資をしたことで、富豪になったノーベル経済学賞受賞者はいない」と言っています。つまり、ノーベル経済学賞を受賞する位の人間でも経済予測はほぼ不可能と言っています。何故なのかと問われれば、それは生きているからということなのです。生きている鳥がいつ鳴いて、どこへ飛んでいくかを予測するのが不可能なように、生きた経済の予測は不可能ということです。実際に、明日の日経平均の予測すらできません。
資本主義は、生きながら「永遠の変態」を繰り返していくだろうと思われます。そういう意味では、資本主義経済は、発展途上にありますし、どのような姿になるかは実は誰もよく分かっていないのです。経済学は後追いで解釈しているだけなので、未来予測はできません。予測が出来ないものを完全にコントロールするという発想の計画経済の導入は無理です。変な言説に惑わされないことが大事です。
市場経済の荒波の中で人生設計を考える
この市場経済の荒波の中をどうくぐり抜けて、どのような人生を描いていくのか、それを考えることが重要です。自身の特性を見つめ、自由な創意と工夫のもと個性的な人生を探求することができる時代です。労働者階級という一世代前の封建時代の遺物が存在する社会的余地はなくなりました。階層は存在しますが、固定的身分制度はありませんので、階級はありません。マルクスは「プロレタリアートは見えない鎖で繋がれている」と表現し、今でもその言葉が有効であると頑なに信じている人たちがいることは確かですが、鎖は見えませんし、実際に存在しません。ないものをあると言うまやかしの言説に注意をする必要があります。
週休3日が言われ始め、田舎に暮らしながら遠隔ワーキング出来るような時代に入ってきました。転職や起業による独立、副業、社会的ボランティアなど、自分が輝く舞台を見つけて自由に生きることが出来る時代です。視野を大きくもって、経済の生きた波の中を巧みに生き抜くことを一人ひとりが考える時代です。
(「田舎の時代がやってくるやん」)
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