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知育、徳育、体育——21世紀は徳育が最も重要となる / 系統的な教育実践と教材、主体者の育成の3つが必要

「週刊誌はめったに買わないのですが、内容に関心を持ったので買ってみました」

女性

「何か気になる記事でもありましたか?」

「7月8日号の「週刊文春」なんですが、経済産業省の若きエリート官僚が給付金を騙し取って捕まったという話です」

女性

「そんなにお金に困っていたのですか?」

「逆ですね。1人は千代田区の分譲価格が2億円を超えるような14階建てマンションに住んでいます」

女性

「全然お金に不自由をしていないのに、……。しかも、どうやって給付金を騙し取ろうとしたのですか?」

「舞台となったのは、2人の苗字を1字ずつとって2017年に立ち上げたペーパーカンパニーです。コロナ禍で売り上げが減少したと見せかけて、給付金を騙し取ろうとしたのです」

女性

「普通の3面記事だと思いますが、どこに問題意識があるのですか?」

「彼らは慶応の付属中から高校、大学と進学しています。ひとりは、慶応を中退して東大に入り直しています。二人とも、国家公務員試験に合格して経済産業省に入省しています。学歴、経歴とも申し分がない所謂エリート官僚が、道徳心が全く育っていないということを問題視しているのです」

女性

「キャリアの犯罪は、結構今までもありましたからね」

「2018年には、文科省の局長にあった人物が、息子の不正入試に関わったということで東京地検に受託収賄罪で逮捕されています」

女性

「個人の資質の問題で終わらせるのではなく、教育の問題として考えていこうということですね」

「この事件は、キャリア官僚の採用と育成、そして学校における徳育教育の問題を提起していると思います。「頭でっかち」だけの人間を作っても、結局、社会にとってマイナスになるというのが今回の教訓だと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 「知育、徳育、体育」――徳育が学校教育に課された大きな使命

知育、徳育、体育の中で最も重要かつ難しいものが徳育です。知育は知的能力を高めること、体育は運動能力や体力を高めること、徳育は人間的能力を高めることです。一番分かりづらく、イメージしにくいのが徳育です。ただ、この徳育をどのように行うのかが、学校教育に課された大きな使命なのです。

大きな使命ですが、数字に表れないため、その重要性がともすると見逃され、知育と体育だけ行っていれば良いという発想になってしまいがちです偏差値教育という言葉がありますが、偏差値だけを上げることに価値感をもち、そのための教育だけを行います。一種のブロイラー教育です。何のために勉強をしているのか、根本的なことを教えることなく、偏差値さえ上げてさえいれば学校選択の幅が広がり、明るい未来が開けるかのような錯覚をもたせて、ひたすら勉強させるというものです。

これでも知的能力が高ければ、それ相応の大学に入学できますが、入学したものの自分が何のために大学に入ったのか分からないということが出てきます。大学を選ぶ時は、自分の志、つまり何をすることによって社会に貢献できるかという視点と、自分の適性を合わせながら考えるものですが、それらがないと偏差値という数字だけで大学を選ぶことになります。まさに、糸の切れた凧の状態で入学することになります。

今回の事件のうちの一人は、慶応に入学した後、そこから東大に入るための受験勉強をして3度目の挑戦で東大に合格し、入学しています。父親が国会議員の秘書ということもあり、本人はキャリア官僚から政界入りを考えていたようです。それを考えると、慶応よりも東大の方が有利という判断でしょうが、何のために慶応に入学したのか、よく分かりません。東大では3年の時に法学部に進んでいます。

もう一人の経済産業省資金課係長のSの経歴は、慶応大学からみずほ銀行に入行します。そこを3年で退職し、公務員上級試験に合格して経済産業省に入省します。この人も何のためにキャリア官僚になったのかよく分かりません。というのは、みずほ銀行にいる時に起業をしているからです。明確な志がないまま就職しても、何かのはずみで脇道に行ってしまうことになります。社会に出て、道を1回踏み外せば、そこで人生が終わってしまいます。それは本人にとっても、社会にとっても損失です。

価値観が大きく変動し、自分の中に羅針盤を持つことが大変な時代になっています。だからこそ、徳育教育を真面目に実践する時代なのです。

(「ダ・ヴィンチニュース」)

 主体者としての生き方の姿勢も問われる

志と言っても、小学校や中学校のうちはピンときませんので、勉強以外のことで自分なりにいくつか目標を立て、それに向かって努力をしてみるということをさせます。早寝早起きでも良いですし、1日に1個ゴミを拾うでも良いです。とにかく何か発達段階に見合った日々の目標を本人に掲げさせ、それに向かって努力させます。大事なことは、周りがそれに向けて協力、応援することです。達成できた時は、周りが本人の努力を讃えるようにすることが大事です。達成感、成功感を小さな年齢のうちに味合せることが大事です。

義務教育の9年間で、学校は授業だけではなく学校行事などあらゆる機会を利用して、時には保護者や地域住民と連携して子供たちの人間的能力を高めるために努力しなければなりません。そして、他の2つと大きく違うのは、主体者の人間的能力も問われるということです。例えば、運動能力が高くなくても、運動能力が高い児童・生徒を指導することができます。徳育の場合は、それでは上滑りの指導になり、効果が半減します。そこが、徳育の難しさです。

道徳の教科書が作成され、一応そこにはもっともらしいことが書かれていて、担任の教員がそこで扱われている単元について語ります。知的能力を高める授業であれば、それなりの成果が期待できますが、徳育授業の場合は主体者がどの程度、児童・生徒と人間的な信頼関係を築いているかという問題も絡んできますし、教材の選び方やそれの扱い方によっては、何の効果も出ないことがあります。徳育授業(道徳授業)の難しさです。

(「日本文教出版」)

 系統的な教育実践と教材、さらには主体者の育成という3本柱が必要

教科書そのものの問題もあります。目標や志を立てるということを抽象的に話をしても、子供たちは限られた人生経験の中でなかなか理解しにくいのです。一番分かりやすいのは、偉人といわれる人たちの話です。教科書を見ると、歴史上の人物を殆ど扱っていません。偉人の話を意識して多く載せるようにすると良いと思います。それを読めば、生きる上での手本になるからです。イメージも湧きやすくなります。

道徳心というものは、道徳の授業を受けていれば、身に付くという単純なものでもありません。志を立て、それに向かって日々努力を重ねようとする気持ちを育てることですが、そこまでもっていくためには、系統的な教育実践と教材、さらには主体者の育成という3本柱が必要です


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