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人間のもっている2つの心 ――「和御魂(にぎみたま)」と「荒御魂(あらみたま)」/ 大陸と日本では心の捉え方が違う

「conscienceという言葉があります。良心、道徳と言う意味なんですが、なかなか意味深い言葉だなと思っています」

女性

「今日は、英語の話題ですか?」

「たまには良いでしょ。この単語を2つに分けてみます。conとscienceになります。conというのは、共に、あるいは一緒にという意味の接頭語です。scienceは分かりますよね」

女性

「科学ですよね」

「このように単語を分解することによって、見えてくることもあるのです」

女性

「2つを合わせると、「共に科学」となりますが、意味的には、はっきりしない感じですが……」

「科学は真理と読み替えることができますので、共に真理を追い求めることによって、人間の良心や道徳心が育つということではないでしょうか。多分、そんな連関性に注目して作られた言葉ではないかと思います」

女性

「ということは、真理に背を向けるような態度からは、よき人柄、道徳心は育たないということですか」

「実際にそうだと思います。嘘、偽り、そして自分勝手な論理で振舞っているようでは、道徳心は育ちません。日本では、真っ当な道徳心を和御魂(にぎみたま)と言っていたのです」

女性

「日本では2つの魂を考えていたのですよね」

「和御魂と荒御魂(あらみたま)の2つです。科学的にも、正しいのではないかと思っています。ちなみに、西洋では「理性」と言っています」

女性

「理性は1つですか?」

「カントは2つに分けて考えたのですが、西洋哲学者の多くは、理性は1つと考えていました」

女性

「2つと1つ。意見が分かれた訳ですね。どう思われますか?」

「日本は伝統的に2つですが、その背景には人間観の違いが横たわっています」

女性

「ここからが本論です  ↓」

 

 人は2つの心をもっている唯一の動物

人は意識しているかどうかは別にして、必ず「2つの心」、「2人の自分」を持っています。そして、何かを判断する時に、必ず頭の中で対話をしているはずです。

具体的に説明しましょう。目の前にゴミが落ちています。一人の自分が「ゴミを拾いなさい」と命令をします。もう一人の自分が「ゴミなんか拾わなくても良い」と言います。この状態を心理学的に「葛藤」と言います。誰もが、「葛藤」を経験します。ということは、やはり一人の人間の中に「2人の自分」がいるということです

そして、これが不思議なのですが、この2人の性格が違うのです。先人は、これらについて和御魂と荒御魂と名付けたのです。

さらに不思議なのは、この地上で「2つの心」をもっているのは人間だけということです。

(「iS   iStock」)

 2つの心を、どう見るか――大陸と日本とでは大きく見方が異なる

2つの心・2つの理性ということを最も理論的に提示したのがカントですが、日本ではある意味、当たり前の感覚だったのです。そして、2つの魂をどう見るかということですが、全く正反対のものとして捉えるのではなく、お互い捕捉し合うものという捉え方をしたのです。そのことが一番よく分かるのが、伊勢神宮です。地元の人は、お伊勢さんと親しげに呼びます。

そのお伊勢さんでは、天照大御神を和御魂と称えて正宮にお祀りしていますが、荒御魂を内宮に所属する十所の別所のうち、第一に位する荒祭宮(あらまつりのみや)に祀られています。この荒祭宮の殿舎の規模は正宮に次ぐ大きさですので、先人たちは重要な役割を果たす魂として考えていたのです。『古事記』の中ではスサノオノミコとして描かれています。スサノオノミコは荒ぶる神です。天照大御神が天岩戸に隠れる原因をつくった張本人ですが、ヤマタノオロチ退治では大活躍をする神様です。

(「アマゾン」)

先人は、人間も自然も基本的な原理は同じと考えました。人間にとって大事なのは、荒御魂を上手くコントロールすること、この自然界も同じです。熱海では土石流、松江では河川の氾濫もあり、今年のこの時期も日本列島は大荒れです。日本の古来よりの神道の教えは、自然の中に多くの神がいて、その神々は多くの恵みを我々にもたらしてくれるのですが、それと共に、時には地震、落雷、風水害などの災厄をもたらすこともあります。人間の知恵でそれを乗り越えることが大事なのです。

 大陸の民族は、黒白で考えていた

囲碁は中国発祥の競技です。白と黒、白は黒になることはありませんし、その逆も然りです人間もそのように見て来たということでしょう。儒家の孟子は性善説を説き、荀子は性悪説を説いています。やはり、両者ともに人間を白黒的に見ていたのが分かります。

人間を白黒的に見るので、中国では敵と味方、敵には弾圧でもって挑むという発想になってしまいます。日本は将棋文化ですので、味方と敵を完全に分けません。相手の王将以外は心を入れ替えれば、こちらの味方になってくれます。そういった弁証法的な見方が正しいと思います。人間に対しても、心を入れ替えれば善人になるという見方をします。

ただ、国際社会では、囲碁的な見方が主流ですし、隣国の中国はその発想で日本に攻撃を仕掛けてきています。知らないうちに、日本の各所に布石が打たれています。そこが不気味なところです。それに、ようやく我々がそれに気付き始めたところです。

(「名城大学囲碁部」)

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