「昨日のブログですが、塙保己一の話は初めて聞きました、ヘレンケラーとの接点もあったとは驚きです」
「せっかく彼の話を知ったのですから、是非「塙保己一史料館」(渋谷区東2-9-1)に行ってみて下さい。場所的には、渋谷と恵比寿の間くらいです。温故学会が管理運営しているのですが、この会は歴史が古く、今年が110周年にあたります」
「温故学会というのは、温故知新からとったのですか?」
「塙保己一の生涯を精神的に支えた言葉ということで、付けられたようです。実はこの会は渋沢栄一と関係が深いのです」
「えっ、そうなんですか。今、NHKの大河ドラマ(「青天を衝け」)でやっていますよね」
「会の設立にも関わっていますし、会館が1927(昭和2)年に竣工するのですが、その時の開館式に渋沢栄一は参加しています。写真も残っています」
「ヘレンケラーが温故学会に来たのは、いつですか?」
「1937(昭和12)年4月26日という記録が残っています。2台の自動車が玄関に横付けされ、ケラー女史が降り立つのを、温故女学院の生徒と卒業生が出迎えたのです」
「感動的な一瞬だったのですね」
「本文でその時のヘレンケラーの言葉を紹介したいと思います」
「ただ、たまたま私はそういうことを知ったのですが、知らない人が結構多いと思います」
「戦前の教科書には、塙保己一などの偉人を載せたのですが、今はそういった偉人を載せませんからね。このままだと、忘れ去られてしまうのではないかと心配しています」
「そのことも含めて、本論でお願いします ↓」
目次
塙保己一の業績――『群書類従』
塙保己一は1746年5月に、武蔵国保木野村(埼玉県本庄市)に生まれます。7歳で視力を失い、15歳で江戸に出ます。生活をするためには手に職を付けなければなりませんが、当時の目の不自由な人の定番ということで、鍼(はり)、按摩(あんま)、灸、琴・三味線を師匠や兄弟子から習うのですが、どれも一向に上達しなかったそうです。そして、江戸に来て1年後、絶望の余り「牛が淵」での入水自殺を考えます。
そこで一瞬考えます。どうせ死ぬのだから、だめで元々という気持ちで師匠に実は学問がしたいと言います。驚く師匠に、もともと学問が大願であったことを打ち明けると、博打(ばくち)と盗みはいけないが学問ならば良いだろうということで、3年間だけ面倒を見て、見込がないようなら故郷に帰すという「ありがたい」返事をもらいます。
その後、賀茂真淵に師事するなどして研鑽を積み、34歳の時に『群書類従』の出版を決意します。群書類従の事業というのは、それまで出版された歴史資料を整理し、保存して、さらには出版をして世に紹介するというものです。誰かが保存事業を手掛けなければ、大事な資料が散逸してしまうと考えたのです。
ただその事業を行うためには、何が重要な資料なのかが分かる必要があります。そして、その資料を集めるための人間関係が必要です。当時は、貴重本ゆえに門外不出とされたものもありましたし、筆写お断りということもあったそうです。そして、それらを出版するためには、資金の手当てが必要です。そういった苦労を乗り越えて、『日本後紀』、『令義解』、『万葉集』、『徒然草』などを666冊にして順次出版します。彼が生涯かけた事業は1819(文政2)年に完成します。保己一はその2年後に逝去します。当時の版木約2万枚は国の重要文化財として史料館に保存されています。
3重苦のヘレンケラーは、結局3回来日しています。最初の来日の際に温故学会に足を運び、「私は子供の頃、母から塙先生をお手本にしなさいと励まされて育ちました。今日、先生の像に触れることができたことは、日本訪問における最も有意義なことと思います。先生の手垢の染みたお机と頭を傾けておられる敬虔なお姿とには、心からの尊敬を覚えました。先生のお名前は流れる水のように永遠に伝わるでしょう」という言葉を遺しています。
ただ、何もしなくても伝わるわけではありません。伝える努力をする必要があるのです。
(ヘレンケラー来館/「塙保己一史料館」)
道徳の教科書は偉人の伝記を扱うべし――作り話のオンパレードでは説得性がない
本来、道徳の教科書に伝記を載せる必要があるのですが、昨日のブログでも書きましたように、教育課程編纂者の人間の見方が皮相的で、まるで人間の頭にプログラムをインプットするような感覚で作られています。何故、それではダメなのかというと、実社会では全く役に立たないからです。
どういうことか。道徳の教科書を読んでもらえば分かりますが、そこに登場する人たちは「善意」の人たちばかりです。そこに「主人公」が様々なかたちで関わるのですが、問題はすぐに解決するようになっています。なぜなら、殆どがよく出来た作り話だからです。
例えば、「いじめのない世界へ」(『新しい道徳』3 東京書籍)という文章があります。中学3年生のひかるが主人公です。友達の沙希が冷たい対応をしたため、ひかるが沙希の態度で自分が惨めに思ったことをSNSで沙希が入っていないグループの子たちに発信してしまい、それが広がります。それがきっかけで沙希がクラスの中で仲間外れになります。そして、ある日、ひかるのスマホを偶然に見た母親が「これはいじめだ」と叱責します。夢の中で沙希が泣いている姿を見ます。ひかるの反省。翌日、沙希に謝るために早く家を出るひかるの姿。
殆どすべてがこういう調子です。確かに、悪いことは書いてありません。ただ、道徳というのは、実社会の中でどう生きるか、あるいは先人たちはどう生きたのかということを学ぶ教科なので、善人から悪人、様々な心根をもった個性ある人物を登場させる必要があります。
(「東京書籍」)
実社会では「悪意」のボールが当たり前のように飛んで来る
これではテニスで例えると、ストローク、ボレー、サービスと練習を区切ってそれで終わりにしているようなものです。これで仮に10年練習しても試合には全く勝てません。何故なのか。練習の時のボールは「善意」のボールですが、試合の時は「悪意」のボールが飛んで来るからです。これは野球でも同じです。仲間に対しては、打ちやすいボールを投げます。バッティングマシーンで快音を常に響かせているからといって、試合で打てる訳ではありません。実際の試合では、相手は打たれないように、いろいろな球種のボールを散らしてくるからです。
だから本試合で勝つために、練習試合を組んだりして、「悪意」のボールを打つ練習をするのです。道徳も同じ理屈です。主人公の行く手を阻むシチュエーションが多ければ多い程、子供たちは物語りに引き込まれますし、勉強になります。伝記であれば実際にあった話なので、実話の迫力と説得力もあります。そして、その中で知らず知らずに実際の世の中の厳しさを知ることにもなります。今の道徳の教科書では、「ぬるま湯社会」の中でのバーチャルな出来事が書かれているので、実社会に対して変な誤解を与える恐れが多分にあります。
(「フィールドフォース」)
伝記は実話―― 実話ならではの迫力が人生を考えるきっかけを子供たちに与える
京王線の電車内のナイフ放火事件の犯人は、仕事が上手くいかなかった、対人関係で上手くいかず、恋人に振られてしまった。別によくある話で、現実の社会は自分の思う通りに行かないものです。そういうことすらも、よく分かっていなかったということです。試合と同じです。練習のように上手くは打てません。それは、練習の時とは違うボールが飛んで来るからです。そこからどうするのか、それが一番重要です。それを学ぶことが出来る教材を用意する必要があるのです。いじめのようなことがあって、一人の女の子が悲しい思いをしたけれど、あっという間に解決した、ちゃんちゃんでは殆ど学ぶものはありません。せいぜい、人に悲しい思いはさせてはいけないということを学ぶ程度でしょうか。ただ、そんなことは、中学3年生なら誰もが知っているでしょう。
伝記は実話なので、主人公に敵意を持っている人も登場しますし、必ず苦境に追い込まれています。塙保己一は全盲というハンディを7歳の時に背負ってしまい、さらに12歳の時に母は死去します。バリアフリーという考え方は当時はありません。そういう中で、自分の人生をどう考え、どう生きたのか、君たちならどうすると問いかけるような道徳の教科書でなければ、実社会では役に立たないのです。
(「公募ガイド」)
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