「教員免許の更新制が無くなるそうですね。去年、更新講習を受けたとおっしゃってましたよね」
「受けましたよ。3万円払って、今、話題の大学で」
「えっ、もしかしたら○○大学ですか。いかがでしたか?」
「いかがでしたかって、何と答えて良いか分かりませんが、どうしてこんな講習を受けなくてはいけないのかなと思いながら受けていました」
「そういった不満みたいなものは、どこから来ているのですか?」
「教員免許を取った時点で、「一生モノ」と言われたのですよ。ところが、そうじゃあない。講習を受けなければ失効してしまうということを後追いで決めましたよね。「事後法の禁止の原則」に反すると思っていました」
「「事後法の禁止の原則」というのは、何ですか?」
「これは憲法に規定(39条)があります。実行の時に適法であった行為について、後から制定された法律で違法とすることは出来ないという規定です」
「要するに、講習を受けなくても良いという約束で免許状が交付されたにも関わらず、その改正によって受けないと失効、つまり一種の罰則的な措置が導入されたということですね。言っておられることは分かりました。素朴な疑問ですが、どうしてそれがそのまま通用したのですか」
「簡単にいうと、誰も違憲だと裁判所に訴える人がいなかったからです」
「そういう人がいないと、合法と見做されるということですね」
「日本には憲法裁判所はありませんので、何らかの事件が起きて誰かが訴えて、そこで初めて憲法判断をしてもらえるという順番です」
「教員の立場で裁判を起こすのも難しそうですよね」
「弁護士への着手金だけでも最低50万円位は用意する必要があります。であれば、3万円払って免許更新した方が世話はないと考えちゃうのでしょうね」
「いろいろあるのですね。ここからが本論です ↓」
目次
更新講習を導入してからの方がハレンチ教員は多くなり、不登校、いじめも増えている
日本の教育行政の最大の問題点は、教育現場の状況を直接知らない行政官や大学の研究者が日本の教育の重要な内容を一律で決めてしまっているということです。長年、このシステム(諮問行政)で行われてきましたので、それがいわば一つの常識みたいな感じで受け止められていますが、よく考えれば、大変おかしなことが継続して行われているのです。
現場を知らない行政官と学者たちが、一種の思い付きのように考えたのが、10年ごとの「更新+講習」制度です。講習は大学で行われ、内容は大学に任されます。教員免許を持っている人間に対して、教員免許を持っていない人たちが公然と教え、それを義務化したのです。そのような講習が現場で役に立つ訳がありません。実際に、講習を導入してからの方がハレンチ教員は多くなり、不登校、いじめは増えています。効果がないことは、実証的に明らかです。そして、更新講習で一番良くなかったのは、更新制度と講習を紐づけしたことです。何かのついでに講習を受けてもらうという安易な発想がそこには見え隠れします。この安易さは、現場を知らない人たちならではの発想だと思っています。
調理師の免許に例えてみます。仮に、調理師の免許制度に更新講習を導入したとします。その更新講習を担当する講師は、調理師としての腕前が一流という人が選ばれるべきだと普通は考えます。だから、有料の講習料を払うとしても誰もが納得すると思います。ところが、そのような講習ではなく、栄養学や健康学についての一般教養的な座学が主体であれば、「何なの」と誰もが思います。教員講習の内容は、そういった類のものなので、受けたからと言って指導力がアップするような実践的なものではありません。当然、現場の教員には不評でした。
(「朝日新聞デジタル」)
何のための講習なのかを明らかにする必要がある
中教審の特別部会は「発展的に解消」という言葉を使っていますので、従来の更新講習に変わる何らかの講習を考えるということでしょう。報道によると令和5年度にも新たな研修制度を導入するとのことですが、制度設計をしっかりして欲しいと思っています。
教員としてのレベルアップを図るためなのか、教育についての基礎知識を確認するための基礎講習なのか、あるいは一種のペナルティ的な要素を含んだ講習なのか、対象と狙いなどコンセプトをはっきりさせた上で制度設計をして欲しいと思います。
とにかく、一度取った教員免許に対して、更新手続きをしなければ無効にするというのは、非常に横暴な考えです。せっかく大学で何年もかけて学んだ結果取った教員免許です。更新手続きを導入する合理的な理由は全くありません。殆ど、運転免許のようなものと考えているフシがあります。そのような感覚の持ち主たちから、内容ある講習の提案などは出来ないだろうと思っています。
(「freedu」)
ペナルティ的な講習、バージョンアップ講習、交流講習など、様々な講習を用意する
児童・生徒達にその学習を十全に保障していくために、教員のもっている技量を伸ばす必要は当然あります。そのための講習を各種、様々な機会を設けて行政側が用意するということだと思います。
従来は、その講習を期間と内容も含めて大学側にすべて「丸投げ」をしたのです。大学側からすると、良い小遣い稼ぎだったと思います。「世にも不思議な講習」――免許を持っている教員に対して、教員免許をもたず現場のことを知らない大学の教員の講習。それを10数年間行ったのです。中には、教育学部がない大学での安易な更新講習もありました。これで、日本の教育が良くなると思う方がおかしいのです。
ペナルティ的な講習、バージョンアップ講習、交流講習など、講習の目的をしっかり定めることです。指導力がない者もいます。現場では「ボンバー」と言っていますが、要するに担任をもつと、ほぼ間違いなくクラス崩壊をさせる教員もいます。そういった人に対して、座学をしても無駄なので、指導が上手い教員が直接現場に入って指導をすることもありで、それを講習として認定すれば良いと思います。
バージョンアップ講習というのは、事務処理能力を高めたい、パソコンなど何らかのスキルを身につけたいという人もいますので、その人たちのニーズに応えるような講習を用意するのです。交流講習というのは、文字通り他校の教員たちと実践交流をすることです。場合によっては、教室を舞台にして誰かの授業を材料にしながらお互い意見を交換するというのも有りだと思います。ワーンパターンの一律講習ではなく、現場の教員の状況や地域の実情に合わせた講習を用意すべきなのです。下の案内は財団が主催するものですが、民間や公的な組織の力を借りるなど、多様なものを用意することだと思います。
そして、講習を行う主体は地方の教育委員会であり、講師は教員免許を持っている現場の経験が豊富な人から選ぶべきでしょう。調理師の講習に、調理免許を持っていない人を呼ぶようなことはしないのと同じ理屈です。
(「才能開発教育財団」)
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