「オンライン授業の普及によって、子供たちに視力の低下が広がると言われていますが、いかがですか?」
「家に帰ってくるとスマホをよくいじっているので、この前なんか、子どもと大ゲンカです」
「かつての時代はテレビとマンガが目の仇にされましたけどね。今はスマホとゲームですね。上手く付き合っていくしかないと思いますけどね」
「そうですね、前には戻れませんものね」
「頭ごなしにダメと言っても聞く年齢ではありませんので、逆にスマホを話題にして家族会議を開いて、家庭内でルールを決めたらどうですか?」
「どんなことを決めれば良いでしょうかね」
「例えば、子ども部屋では使わない、使う時はリビングだけとか、30分に1回は目を休め、睡眠の1時間前はやめる。こんなところじゃあないでしょうか」
「あと、子どもを見ていて気になるのは姿勢ですよね。人に言えないようなだらしない恰好で延々とゲームをやり続けているので、ついカッカしてしまうのです」
「その気持ちは分かります。だけど、すべての小中学生に端末が配られ、教育のデジタル化が今後さらに進みます。今のうちに、家庭のルールを確立し、できれば家族でスポーツをするなど屋外活動をする時間を意識的につくってみて下さい」
「目が悪くなると、スポーツも楽しくなくなってしまいますからね。」
「目のストレッチというのがあるのですね。遠くを見て近くを見てを繰り返すという簡単なものですけどね」
「そういうことも話題にしたいと思います」
「ここからが本論です ↓」
デジタル教科書の導入に異議あり
デジタル教科書が令和6年度から本格的に導入されるとのこと。ただ、何かまた教育現場を知らない文科省が錯覚を起こしていると思っています。デジタル化を進めれば、子供たちが急に勉強をするようになる訳ではないし、急に理解が深まる訳ではないのです。拙速な導入は、必ず混乱を生みます。結果的に、単なる高度なおもちゃを与えただけということにもなりかねません。
「睡眠障害や学習能力の低下などの副作用について真剣に議論しなければならない」(「デジタル教科書課題は」『産経』2021.5.4日付/以下同じ)と警告を発するのは「スマホ脳」の著者のアンデシュ・ハンセン氏です。彼は、スウェーデンの精神科医です。スウェーデンは、日本よりもインターネット環境は進んでおり、11歳の98%が自分専用のスマホを持っているとのことです。ただ、そのためか睡眠障害で治療を受ける10代の数が2000年から8倍以上に増加したそうです。
やはりスウェーデンでも教室にデジタル端末をめぐる議論があるそうです。ただ彼は「教室にデジタル端末を積極的に置くべきだと主張する人がいるが、ばかげている」と言います。そして「難しい内容を学ぶときは紙の本の方が学習効果が高い。本を触って読むことでどこに何が書いてあったかが脳に記憶されやすくなるためだ」と言います。そして「紙とペンを使って講義を受けた学生の方がパソコンを使った学生より内容を理解していたというアメリカの報告」を紹介していますが、これは普通に考えてそうだと思います。
字や言葉、漢字は筋肉に覚えさせろといつも生徒に言っていました。単に指先を動かしただけで字が出てくるパソコンよりも、自分であの字はどうやって書くのかなとかいろいろ考えながら書いた方が頭に残るのは当然です。
導入については、導入する年を全国一律に固定して決めないで、令和6年から令和11年の間にというように、ある程度幅を持たせた上で、最終的な導入の年を地方の教育委員会に任せれば良いと思います。文科省は一体いつまで、全国一斉教育を行うつもりでしょうか。社会主義国でもあるまいし、アメリカのように地方分権教育に移行すべきです。
(「教育新聞」)
紙にしっかり書くことができるようにすること――これが基本
いじめ、不登校の数、わいせつ教員の数、教員希望者の減少など、教育現場から上がってくる数字を見ると、年々悪い方向に行っていることが分かります。教員の質も確実に下がっています。それは何で分かるのかと言えば、中学1年生に入学してくる生徒の鉛筆の持ち方と書いている姿勢を見ただけで分かります。持ち方が悪ければ、字は上手く書けません。小学校の低学年のうちにこだわって指導をする教員が少なくなっている、家庭でもきちんと指導できなくなっているということです。
スポーツと同じです。テニスを昔、部活動で教えていたことがあります。最初にこだわったのは、ラケットの持ち方と構えの姿勢。そこがきちんと出来なければ、いくらボールを打っても上手くはなりません。多分それは野球でもそうだと思います。ボールの正しい握り方、バットの持ち方、体軸が崩れないようにフォームを作る。すべてに通じることだと思います。勉強も同じですが、正しく鉛筆を持つ生徒が本当に少なくなっています。今はインターネットで簡単に鉛筆の正しい握り方を画像で見ることが出来ます。にも関わらず、かつての時代より確実に悪くなっています。何故なのか。要するに問題意識がないというのもありますが、今まで書いてきてしまったので、初歩的な持ち方にもう戻れないと思ってしまうからです。
教科書も同じです。デジタル教科書を導入しても問題意識がなければ、宝の持ち腐れになります。ツールというのは、持つ人の力量に合わせたものを与えるのが基本です。子供たちの実力が下がっているのに、ツールだけ高度なものを与えても意味がありません。
日本新聞協会NIEの関口修司氏もデジタル教科書の導入について、「数年で教科書を全てデジタルに置き換えることは、子供たちにはマイナスになる」(「デジタル教科書課題は」『産経』2021.5.4日付/以下同じ)と言い切っています。「しばらくは紙の教科書と併用し、効果的な指導法を探っていくのが一番だ」。海外の国の中には、紙の教科書に戻したというところもあるそうです。
(「ひとぅブログ」)
子供たちには本物の紙の本を持たせてあげたい
電子書籍と紙の書籍のどちらを選ぶかと言われれば、私は紙の書籍を選びます。電子書籍は目が疲れて、しかもその本の「全体像」が掴みにくいのです。本を買うかどうかを判断する時どうするかと言うと、まず目次を見て、どういう内容の本なのかをおよそ理解した上で、パラパラと全体的にめくって、読みやすそうか、自分の問題関心に合っているかどうかで判断します。その際には、質感とその本が醸し出す雰囲気も大事な要素となります。電子書籍にはそれが欠けています。
子供たちには、まず本物の本の良さを味あ(わ)わせたいと思っています。それを充分知った上で、デジタル書籍ならば良いのですが、順番が逆だと思っています。
そして、端末で副教材の動画も使えると思いきや、それは対象外とのこと。これも逆です。端末の利点は、様々な情報を瞬時に教室で入手できることです。その利点が生かせないようならば、余り意味がないような気がします。
デジタル教科書の導入に向けて、今年度から全国の小学5年生~中学3年生の半数程度を対象とした大規模な実証事業が行われるとのこと。健康や成績への影響、活用時間やアンケートなどのデータ分析をもとに導入方法を決定するとのことです。
このデータ分析の結果、令和6年度導入という結論の変更があるのかということまでは明らかではありませんが、くれぐれも結論ありきの実証実験でないことを祈っています。何事も思い込みを先行させないで、柔軟な姿勢で臨んで欲しいと思っています。
読んでいただき、ありがとうございました。
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