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「教育虐待」を考える —— 子どもの人生を支えるために必要な視点とは / 大事なのは、アイデンティティを確立する教育

「地下鉄の東大前駅で刃物で東大生を襲った犯人は、教育虐待を受けていたそうですね」

女性

「ニュースを見て驚きました。教育熱心が度を過ぎると、こういったことをする人間になることを示したかったと言ったんでしょ」

「お宅の家は、大丈夫ですか?」

女性

「中学受験を考えてはいますが、最終的には子供が決めることだと思っています」

「そういうスタンスであれば、大丈夫でしょう」

女性

「子供の人生なのに、親がこうしなさいと決めてしまう方が多いのでしょうか?」

「かつては教育ママ、教育パパという言葉がありましたけどね」

女性

「そのうち、教育ママゴンという言葉が生まれましたよ」

「怪獣になったんですね !」

女性

「だけど、ママゴンなので、愛嬌は失われていなかったと思います」

「教育虐待ですからね。教育の名の下に虐待を繰り返す、そんな歪んだ家族関係が現れるようになってしまったということですね」

女性

「他の国でも、こういったことがあるのでしょうか? ここからが本論です↓ 表紙写真は「朝日新聞」提供です」

 韓国では「教育地獄」、中国では「虎の母親」

教育虐待とは、親の「教育熱心」が行き過ぎて、子どもの心身に深刻な悪影響を与える行為を指します。この問題は日本だけでなく、国際的にも共通する課題となっています。韓国では「教育地獄」という言葉が社会問題化しており、子どもたちは夜遅くまで塾に通い、睡眠時間を削り、成績至上主義に苦しめられています。精神的なプレッシャーやストレスから鬱状態になる若者も少なくありません。

一方、中国では「虎の母親(タイガーマザー)」という言葉が有名になりました。これはアメリカ在住の中国系母親が「子どもを一流にするためには、厳しく教育するべきだ」と主張した著書から広まりました。この教育スタイルは、中国本土でも一定の支持を集めており、子どもに対する過剰な期待と管理が、鬱や自殺の引き金になるという批判もあります。

またアメリカでも「タイガーマザー論争」が巻き起こり、子どもの幸福や個性を重視すべきだという声が高まりました。対照的に、北欧諸国では「子どもの幸せ」を教育政策の中心に据え、過度な競争や詰め込み教育を避ける傾向にあります。

こうした国々に共通する背景には、「学歴社会」があります。かつては出自という壁が存在していましたが、今は「点数」が人生を左右する時代。親の願いは「良い人生を歩んでほしい」という思いに根差していますが、それが歪んだかたちで表れると、教育虐待という悲劇につながってしまうのです。

(「アマゾン」)

 佐賀県で起きた教育虐待

2024年3月、佐賀県で九州大学に通う大学生が両親を殺害するという衝撃的な事件が起きました。加害者の家庭は、父親の強い学歴コンプレックスのもとで、長男に過剰な学力を求めていました。長男は小学生の頃から学習塾に通い、勉強で間違えるたびに厳しく叱責されていたといいます。成績が思わしくないと、1時間以上正座をさせられ、遊んでいるだけでも「怠けている」と非難されるような環境でした。

父親の期待に応えて九州大学に進学した長男でしたが、大学進学後も干渉が止むことはありませんでした。最終的に彼が抱いたのは、「殺してでも自由になりたい」という悲痛な思いでした。これは明確な教育虐待の果てに起こった事件です。

佐賀県はもともと教育熱心な風土を持つ地域で、明治の政治家・大隈重信もこの地の出身です。彼は、当時の詰め込み教育に批判的な立場から早稲田大学を創設しました。その背景には、「自分の頭で考え、自立した人間を育てたい」という志がありました。しかし現代の一部では、早稲田が「東大のすべり止め」とされ、ただの偏差値競争に巻き込まれている側面もあります。「教育虐待」という言葉だけが一人歩きしていますが、その実態は、親の焦燥や過去への執着、自己実現の代償として子どもを追い詰める心理に根ざしているのです。

(「NHK」)

 大事なのは、アイデンティティを確立する教育

教育虐待のような悲劇を防ぐために、いま最も大切なことは、子どもの「アイデンティティ」を育てる教育ではないでしょうか。戦後の日本では急速に核家族化が進み、親子が密室で向き合う構造が一般化しました。かつてのように祖父母や地域社会が育児に関わる時代ではなくなり、親の価値観だけが子どもに強く影響する環境が生まれています。

親が子どもに何を望むかではなく、子どもが何を望み、どんな特性を持っているのかを見極めることが必要です。心理学の用語を借りれば、それは「アイデンティティ(自己同一性)」の確立を助ける営みです。農業が好きな子どももいれば、芸術に感性を見出す子もいます。学歴では測れない多様な価値がそこには存在します。

社会が求める「天職」に出会うためには、子どもが自らの志を見つけられる環境づくりが欠かせません。それは地域や自然との関わり、実体験の中でゆっくりと育まれるものです。だから先人は天がその人に職を与えたと考えたのです。親が先回りして「こうあるべき」とレールを敷いてしまえば、子どもは自分を見失ってしまいます。子どもは親の所有物ではなく、独立した一人の人間です。その人生の主導権を、親の「願い」や「恐れ」が奪ってはならないし、それは人権侵害でもあるのです。

(「Maneql」)

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