
「お子さんは、確か小学4年生ですよね」

「そうですけど、何か?」

「もう今は3年生から英語を学習するのですね」

「そうなんですよ。まだ早いかなと思っていますが、中学入試で英語を出す学校も出てくるのではないかと思って、英語塾にも通わせています」

「えっ、本当ですか!!」

「時代の流れだと思っています」

「その辺りの考えはよく分かりませんが、小学生に必要だと思いますか?」

「必要とか、必要ではないという話ではなく、現実にあるものに対応しようと考えています」

「それじゃあ、思考停止じゃあないですか!」

「停止はしていません。彼が希望する進路が適うように、親として応援するのが当たり前だと思っています」

「英語を習う時間を、他のことに振り向けた方が良いとは思いませんか?」

「思うこともありますが、現時点では分からないので、あらゆる可能性の中で英語塾に通わせているというのが実際のところです」

「このブログは火、木、土の週三回配信ですが、今日から3日間京都旅行をする関係で木曜日配信を前倒しして行います」

「お土産をお願いします。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「まなのび」提供です」
小学校3、4年生からの英語は早過ぎる
2017年の小学校学習指導要領により、小学校中学年から外国語活動が導入され、年間70時間にわたり「聞くこと」「話すこと」を中心に英語に親しむ時間が設けられるようになりました。一見すると、グローバル化の波に乗る有効な手段のように感じられるかもしれませんが、小学校3、4年生という発達段階を考えると、英語の導入は早過ぎるのではないかと懸念しています。
この時期の子どもたちは、まだ日本語の基礎を十分に身につけているとは言いがたい段階です。ひらがな、カタカナ、そして複雑な漢字といった文字の学習だけでも膨大な時間を要します。さらに、日本語の語彙を増やし、表現力を身につけることは、思考力の土台を築く上で非常に重要です。思考は基本的に母語で行われるため、日本語能力が低ければ、どれだけ英語を習得しても深い理解や表現には結びつかないのです。
また、日本という国は、日本語だけで生活・仕事・文化の享受までが完結できる稀有な国です。無理に早期から英語を学ばせて、結果的に中途半端な言語能力になってしまうくらいなら、まずは母語である日本語の力をしっかりと育てた方が将来の思考力や表現力の向上につながります。バイリンガルに育ったとしても、心の深い部分で思考する時にはやはり母語が使われるという研究結果もあります。ですから、小学生の貴重な時間は、英語よりもまず日本語に費やすべきだと思います。
(「スタイルペディア」)
文明の利器を使えば良いだけの話
今の時代、翻訳技術の進化は目覚ましく、もはや言語の壁は「努力して乗り越えるもの」から「機械で乗り越えられるもの」へと変わってきています。例えば、中国のスタートアップ企業「タイムケトル」が開発した翻訳イヤホンは、その代表的な例です。この製品は世界40言語に対応し、翻訳精度はなんと95%を誇るとされています。
具体的には、相手が英語で「私は学生の頃、アメリカのニューヨークで演奏活動をしていました」と話すと、瞬時(0.5秒)に日本語の音声がイヤホンから流れてくるという優れものです。ハンズフリーで使えるため、自然な会話の流れを妨げることもなく、旅行先や国際的なビジネスの場面でも安心して使えるでしょう。価格は約4万5千円とやや高めかもしれませんが、それ1台あれば通訳を雇う必要もなく、どこでも言語の壁なくコミュニケーションが取れるというのは、大きなメリットです。
このようなツールが普及し始めている今、無理に子どもたちに英語を詰め込む必要があるのかという疑問が浮かびます。英語はもちろん便利なスキルですが、誰もが完璧に習得する必要はない時代になりつつあるのです。必要なときに、必要な技術に頼るというのも、現代的な選択肢ではないでしょうか。文明の利器を活用することこそ、賢い生き方なのかもしれません。AI翻訳機のレベルまで自分自身を引き上げるためには、かなりの時間が必要です。それを自分の能力を培う時間に充てるのです。
(「SAKIDORI」)
東京都のスピーキングテストも不要
2022年に導入され、2023年度から本格的に開始された東京都の英語スピーキングテストは、高校入試における「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能をバランスよく評価することを目的にしています。英語力の総合的な底上げを目指している点は理解できますが、果たしてそこまでして英語を測る必要があるのでしょうか。
日本国内で生活する上で、英語のスピーキング力が日常的に必要とされる場面は限られています。しかも、将来的に英語を本格的に必要とする職業を目指す人であれば、自ら学ぶ動機も生まれ、自然とスピーキングの練習にも励むようになるはずです。わざわざ高校の受験者全員にスピーキング力を試す必要があるのかは疑問です。
また、小学校からの英語教育と同様に、こうしたテストに向けて費やされる膨大な時間や労力を考えると、それをもっと別の方向に活用する方が有益ではないかと感じます。例えば、もっと体を動かす時間を増やして体力をつけたり、読書や作文を通じて日本語力を高めたりする方が、人生を通じて必要となる能力が確実に育まれるでしょう。
無駄な努力とまでは言いませんが、「全員が英語を話せなければいけない」という考えに抵抗感を持ちます。何のための英語なのか、誰のためのスピーキングテストなのか。実施する側にも、多くの経費と時間がかかります。本当に必要な試験なのか、今一度問い直す時期に来ているように思います。
(「朝日新聞」)
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