「ようやく、ワクチンを接種できました。1回目ですよ」
「まだ、私なんか、打つ予約すらできていません。ヨーロッパやアメリカと比べて日本は接種がかなり遅れているとおもうのですが、どうしてなんですか?」
「直接的には2つ、間接的なものを含めると3つ原因があります」
「そのうちの1つは、私でも分かります。自前でワクチン開発が出来なかったということですよね」
「2つ目は、ワクチンの承認手続きに時間がかかったということです」
「実は、先日のNHKのワクチン関連のニュースで、日本に届いたという報道の後、これから厚労省の承認手続きに入りますというのを聞いて少し、おやっと思ったのです」
「要するに、そのまま使えば良いと思ったのでしょ?」
「緊急を要するし、すでに海外で実績を上げているので、敢えてここで承認手続きに時間を掛けている場合ではないのではないかと思ったのです」
「まさに、おっしゃる通りだと思います」
「自治体に接種事務を任せていますが、給付金の配布の時も思ったのですが、もう少し要領よく出来ないのかなと思っています」
「突発的なことではあるけれど、あらかじめ予想された事案であること。緊急性を要することなのに、政府も自治体もそれへの対応がなされなかった。まとめると、こうなります。そういったことを国民は感じたと思います。内閣支持率が先日の発表で下がったとありますが、コロナ対応への不満が数字に表れたということです」
「根本的な原因は何ですか」
「それは難しい質問ですね。原因は複雑に絡まっていますが、日本の「実力」が落ちていることは確かです」
「原因究明と対策について、1つずつ紐解かなければいけないということですよね」
「そのうちの1つについて、コロナ対策を話題にして論じたいと思います。ここからが本論です ↓」
なぜ日本では、ワクチン接種が遅れたのか
【日本と米欧のワクチン承認までかかった日数】
日 本 | 米 国 or 欧 州 | |
ファイザー | 58日 | 20日 (米国) |
モデルナ | 77日 | 18日 (米国) |
アストラゼネカ | 107日 | 18日 (欧州) |
(『日経』2021.5.22日付記事に基づいて作成)
何故、このような差が生じてしまうのか。日本では、ワクチンの承認については、薬機法(旧薬事法)に基づいて行われます。薬の品質、有効性、安全性の確保という要件を満たしているかどうかという治験が行われます。
3社の中で最も日数がかかったのがアストラゼネカですが、メーカーからは2021年2月5日に承認申請が出ています。欧米並みの審査期間であれば、3月上旬には国民に接種できたはずです。
欧米ですでに承認されているので、特別に国内の審査手続きを省略すれば良いのではと思うのですが、「医薬品の効果は人種による遺伝的な違いなどが影響する」(『日経』2021.5.22日付)ので、改めて治験が必要だったということです。しかも、2020年の臨時国会で改正予防接種法が成立する際に、「国内外の治験を踏まえ、慎重に行うこと」という付帯決議がつけられたとのこと。「薬害」という単語が各議員の脳裏に浮かんでいたのでしょう。そんなこともあり、審査手続きが簡略化されずに行われたため、日数がかかったということです。
であれば、ワクチン開発業者が治験をする際に日本人が参加申請すれば良かったと思うのですが、「ファイザーなどは20年夏から米国などで4万人規模で国際共同治験をしたが、日本人は入っていなかった」(『日経』2021.5.22日付)のです。そういう気の回し方はできなかったようです。
人づくり、国づくりが上手くいっていない
具体的にコロナ対応を例にとって話のきっかけとしましたが、最近このような「ほころび」が目立つようになりました。「一事が万事」という言い回しがあります。他の部署、他の分野においても、「ほころび」が前よりも多くなっていると思います。
それはどこから来ているのかというと、教育です。教育というのは、人づくりであり、国づくりに繋がっていますので、2つのことを考える必要があります。個人の能力の伸長です。もう一つは、国にとって有為な人材をどう育成するかということです。こちらの視点が欠けているのです。
まず、大いなる誤解は平等教育の捉え方です。「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」(第26条)とありますが、「ひとしく」というのは実質的平等を指しています。
平等には、形式的平等と実質的平等とがあり、太郎、次郎、三郎の3人兄弟、体の大きさも年齢も食欲も違うけれど、それぞれ1/3ずつ1つのケーキを切り分けるのが形式的平等です。実質的平等は例えば太郎に1/2、次郎は1/3、三郎は1/6というように個人差を考えて切り分けます。26条が言うところの「ひとしく」は後者だということです。
この視点から日本の教育行政を見ると、個別具体的な手当てが必要な教育分野について、すべて抜け落ちているような状態です。例えば、外国人の子供たちを支援学級で学ばせたりしています。何故、そのようなことになっているのかと言えば、日本の教育行政は形式的平等主義に基づいて行われているからです。つまり、日本語の能力だけで判断しているのです。
文科省の発想がすべて全国一律というところから始めるのは、形式的平等主義をすべての出発点にしているからです。ただ、それでは現代の多様な要求に応えた人材づくりは無理だと思います。その「ほころび」が出始めたということです。
(「Twitter」)
国の頂点を高めるために――「エリート教育」の提唱
国の頂点を上げることを考えなければいけません。大谷という選手を育てたので、彼に続けということで、日本のプロ野球のレベルが上がるのです。人間は自然に育つ部分があるのですが、外部の働きかけが必要です。
前回のブログでエリート教育という話をしました。日本人は「みんなと一緒」を好む国民性なので、積極的に議論しようとはしないところがあります。なので、簡単にエリート教育が出来る方法を2つお話します。
1つは、アメリカで行われている制度です。日本でも、付属の高校に採り入れ始めたという話を耳にするようになりました。何かというと、「advanced placement」という制度です。高校に在学しながら大学の単位をとれるという制度です。advancedは「前もって,前進」、placementは「配置」の意味があります。他大学での履修した単位を「advanced credit」と言っていますので、前もって取っておいて、後で交換可能という意味が含まれているのかもしれません。日本の大学で付属高校を併設しているところは、やる気になればすぐにでも導入できると思います。高校で自由に設定できる単位枠がありますので、それを使うだけです。
もう一つは、大学入学年齢の緩和です。日本の場合は、17歳または18歳という縛りがあります。かつては、18歳限定でした。これを15歳以上にしたらどうですか、という提案です。
17歳の生徒に対しては、1998年とその翌年に千葉大学で飛び入学の入試が2回行われています。「出願資格」には、「物理学分野に関して特に優れた資質を有し、物理学およびその関連分野における研究を志すもの」とあり、小論文、実験、面接によって選抜したようです。どういう事情なのかが調べても分からないのですが、多分帰国子女ではないかと思います。海外は飛び級がありますので、そこで高校卒業資格をとって日本の大学に入学したいという事情だったと思われます。
その後、そのことについて大学関係者で議論になったものの、制度としては広がらなかったようです。ただ、先進国で大学入学年齢を17歳または18歳というように固く縛っている国は、日本くらいのものだと思います。大学共通テストを大学入学資格試験のような位置づけにして、中学を卒業したら受験できるという形にして、後は各大学で判断してもらうという方式も考えられます。
とにかく、日本には多くのギフテッドと言われる天才が隠れていると言われています。将棋界や囲碁界では若き天才が活躍しています。制度を作って、陽の目を見させて、活躍の場を与えてあげることが大事ですし、そういうことを考える時期だと思います。
今は、人材が埋もれてしまっています。時代が進歩して、高度な人材が必要な時期になっています。制度をまず作ることから始めなければいけません。
(「教育新聞」)
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