「今年1月に亡くなられた半藤一利さんが「日本人よ、しっかり勉強しよう」という言葉を最後に遺しています」
「「最後に」というのは、どういう意味でしょうか?」
「彼の名前が入った最後の出版物が『太平洋戦争への道』(NHK出版新書、2021年)だったのですが、その最後のページに先の言葉が載っているのです」
「私は勉強しましたよ。英語でしょ、それから苦手な数学にもねじり鉢巻きで取り組みました」
「何か、茶化していません。そういう意味でないことが分かりながら、わざと言っていませんか。失礼だと思いますよ」
「ただ、「勉強しよう」と言われても、何の勉強?と一瞬思ってしまったものですから、すいません、悪気はありません」
「彼は歴史家なので、日本の歴史を勉強して欲しいということでしょうね。ただ、歴史というのは、実は「切り取り方」が難しいのです」
「だから、唯物史観とか司馬史観という言い方が出てくるのですよね」
「見方によっては、一つの行いが全く逆の評価になってしまいますからね」
「日本から見れば反逆者、半島からすれば英雄というのも実際にありますものね」
「そんなことは当然のようにあります。世界連邦がないので、統一史観は当然ありません。大事なのは、それぞれの国民が自分たちの国づくりの考え方の原点から、史観を確立することだと思います」
「それは自国中心主義であり、国家エゴイストという意見がありますよね」
「国には必ず国柄があります。人間が個性をもって社会の中で生きるのと同じです。相手にまず合わせようではなく、まず自分の個性と特性、つまりアイデンティティーの確立が大事です。国も同じです」
「日本はどちらかというと、相手にまず合わせようという考えが強かったですよね」
「いわゆる自虐史観と言われたものですね」
「周りの価値観にすべて自分を合わせ始めたら、人格障害になりますものね」
「余りご自身の意見を前面に出さない方が、「このままの日本で大丈夫か」と言って、「今の日本人は不勉強」と言っています。重く受け止めたいと思います」
「ここからが本論です ↓」
目次
「選択的夫婦別姓制度」を選挙の政策に使う愚
衆議院選挙の日程が定まり、本格的な選挙戦に突入すると思われます。政策や論点に関わるようなことについて論評していきたいと思っています。
今日は第一弾として、「選択的夫婦別姓制度」、正確に言うと「夫婦子供別姓制度」について、取り上げたいと思います。この制度の最大の問題点は、「犠牲者」が子供になることです。夫婦と子供の姓が必ず別れてしまうことです。そういった大きな問題もありますし、そもそも、このテーマは殆どの国民に直接関係のないことだと思います。つまり、結婚をして一つの姓となることを殆どの人が何の違和感もなく受け止めている現実があるからです。そういう現状がある中で、敢えてこれを立憲民主党は選挙政策として取り上げていますが、背後には共産党の「圧力」があると思います。何故なのか。それを草の根レベルで運動し、地方議会で決議をあげさせるべく働きかけているのは、共産党関係の市民団体だからです。国の土台からの切り崩しを狙った一種のイデオロギー攻撃です。
(「西日本新聞」)
夫婦別姓は選挙の政策にするような差し迫った問題ではない
夫婦別姓について全く選択できない訳ではなく、戸籍の記載以外については、様々な社会生活の中でそれが拡大しています。法的には事実婚はかなり以前から認められていますので、届の有無に関わらず相続権もあります。通称を認める会社は完全に過半数を超えています。パスポート、免許証、マイナンバーカードといった公的書類にも通称使用が出来るようになりました。
後は、それを拡大していけば解決するような問題です。選挙政策の中に入れて、国民にそのことについて意見を求めるほど意見が対立している訳ではありませんし、切羽詰まった問題でもありません。
夫婦別姓の意見を論破する
一応、推進派の意見と理由を聞くことにします。早稲田大学の棚村政行教授は「法律で同姓を義務付けているのは先進国では日本だけだ。諸外国でも別姓が子供にとって大きな問題となったことはない。男女平等や多様性を尊重する社会を実現し、それを社会に示すための試金石になる」(「別姓議論の前身求める」『日経』2021.10.4日付)と言います。
そもそも、日本が他の国と合わせる必要は全くありません。国づくりの考え方が違えば、家族の姓の在り方が違うのは当たり前です。そして、夫婦別姓と男女平等は関係がありません。平等というのは権利概念ですし、同姓か別姓化と言う問題は文化の問題です。実際に、日本が夫婦同姓を採用するのは古代の時代からです。平等権の概念が世界的に定着したのは18世紀のことです。要するに、両者は別次元の問題だということです。
さらに、多様性ですが、多様性というのは多くの価値観を認めることなので、政治体制と関係がある言葉です。日本は民主主義の国なので、国民の多様な価値観を認めています。だから、夫婦別姓を事実上認めている現状があります。
棚村氏や立憲民主党はさらに踏み込んで、それを法制化しろという立場だと思います。法制化するためには、それに先行して国民の行動的事実が必要です。つまり、多くの国民が同性婚に反対する動きが必要です。例えば、結婚したのに、殆どの夫婦が結婚届をしないとか、結婚式は個人と個人の名前で行うのが増え、墓は個人の墓が多くなったといった国民の中の動きが必要です。それなくして、法で夫婦別姓を決めてしまうのは、ほとんど独裁国家の法論理と同じです。
法というのは、国家権力による強制という意味があります。好むと好まざるとに関わらず必ず、そうさせるという国家の明確な意志がそこに表れることになります。夫婦の姓については、日本では法でそういうことを決めるような段階には達していないと見るべきでしょう。賛成派はアンケートによる民意を理由としてあげたりしていますが、アンケートというのは、聞き方でどうにもなるものです。そういう無作為の人を対象にしたアンケート結果ではなく、国民の実態行動を細かく分析することが大事です。
(「毎日新聞」)
「強制的夫婦別姓」(『朝日』、2020.2.25日付)というならば、国籍離脱をされたし
日本の夫婦同姓は、2000年以上の歴史の中で構築されたものです。つまり、農耕民族であったため、一つの土地に定着して家族の全的生活を子々孫々の代まで確保しようと考えたのです。そのためにどうすれば良いのか。家族分担の考え方が出てきて、そこから男系相続、夫婦同姓に行き着いたのです。現在、皇統の問題で男系、女系が話題になっていますが、皇族に限らず日本はすべて男系国家なのです。それは、土地を守るというその大きな目的のために導き出された先人の知恵でもあったのです。
他の国と比較しても意味がないのは、世界の多くの国は狩猟民族の国だからです。彼らは、農耕民族よりも一つの土地に固執はしません。多くの食糧が得られるところに素早く移ることだけを専ら考えます。移動する時は、当然家族で移動しますので、男女共同行動、男女平等的な発想を受け入れやすいと思います。男女平等の考えが西欧で生まれたのは、ある意味必然的なのです。進んでいるとか、遅れているという評価をする問題ではありません。
そのように、一つの制度の背後には、歴史の重みが覆いかぶさっているのです。そういうことを無視して、自分本位の考え方や都合で全体の法制度を変えることは許されません。どうしても耐えられないというのであれば、国籍離脱の自由が認められていますので、他の国の国籍を取得して夫婦別姓で暮らすことをお勧めします。
先日亡くなられた半藤氏は、歴史から学ぼうとしない日本人が多くなったことを嘆いていました。さきに紹介した本の中でも繰り返し、繰り返し言っています――「今の日本人も同じように不勉強です。もしかしたら、今のほうがもっと不勉強かもしれません。本当のことを言うと、このままの日本で大丈夫かと、もう87歳の爺は思うわけです。ぜひ、しっかりと勉強してほしい。若い人にはとくに勉強してほしいと思いますね」(『太平洋戦争への道』)
学ばないと、屁理屈に騙されます。これからは、変な理屈や論理が飛び交う時代となります。自己防衛のためにも学ぶ必要があります。
(「Cafe of Life」)
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