「あの世を信じますか?」
「私はあると思っています」
「何か力強い発言でしたが、何か思い当たることでもあるのですか?」
「実は、私、霊感が少しあると思っているのです」
「えっ、そんなこと、今まで言ったことなかったじゃあないですか」
「だって、それを言って気味悪がられたら厭(いや)じゃあないですか」
「例えば、何か見えたりするのですか?」
「たまに見えたり、ふと聞こえたり、探しているものが目の前に落ちてきたりというレベルです」
「単なる思い過ごし、単なる偶然……」
「と言われるので、話すのが厭だったのです」
「だけど、そういったスピリチュアルな世界も、やがて科学的に解明されるかもしれませんよ。『ワープする地球 5次元時空の謎を解く』という本を、今日は持ってきました」
「何か、SFものの読み物ですか?」
「いえ、ちゃんとした学術書です。表題は出版社がつけたと思いますので、少し「翔んでいる」感じがすると思います。問題は中身ですが、異次元世界のことを理論的にどこまで突き詰められているのか、といった観点から書かれています」
「私でも読めますか?」
「題名は軽めですが、内容はずっしり重いです。覚悟が必要だと思います」
「どなたが書いたのですか?」
「著者の名前は、リサ・ランドール氏です。ハーバード大学の物理学の教授です。彼女が大学生向けテキストとして書いた本です。総ページ数が653ページもある専門書なのですが、2007年に日本で発売され2009年には10刷までいっています」
「内容の割には、結構売れたのですね」
「日本には、異次元に対して学問的興味をもっている人が結構いるのではないかと思っています」
「日本人は宗教心があると言われています。そんなことも関係があるのではないでしょうか (ここからが本論です ↓)」
① スピリチュアリズムの時代
「宇宙にはいくつもの秘密がある。空間の余剰次元も、その一つかもしれない」(リサ・ランドール)という書き出しで始まるこの書は、余剰次元のことについて様々な角度から書かれています。ただ、どうしてそのような考えに至ったのかということです。
そこには、ひも理論の存在が大きいと言います。ひも理論というのは、「自然界の最も基本的な単位は粒子ではなく、万物のもととなる振動するひもである」という理論ですが、それが成り立つためには余剰次元を考えると説明の辻褄が合うと言います。このように、余剰次元についての研究は、ひも理論から派生したものであると言います。
仮に余剰次元というものが存在するとするならば、「私たちは宇宙の中心にいないだけでなく、宇宙のほかの部分と隔絶した三次元空間に住んでいるにすぎず、その隣には高次元宇宙が広がっているかもしれない」(リサ・ランドール 前掲書/26ページ)と言います。
つい先日(6/18日付「産経」)の記事です。「未知の素粒子 兆候か 発見ならノーベル賞級」という見出しで報道されていました。要するに、未知の素粒子「アクシオン」が存在する兆候を観測した可能性があると、東京大などが参加する国際研究チームが発表したのです。
ミクロの世界の場合は、仮設を立てても、それを実証するのが極めて大変な作業が待ち構えています。そのことについて、「私たちが取り組んでいるのは、困難な問題であり、それを解決するには時間がかかる。だが、それは刺激的な時間であり、多くの未解決の問題があるにもかかわらず、楽観的にいられる理由もある」(リサ・ランドール 前掲書/403ページ)と言っています。
つまり、異次元世界が存在することは明らかなので、後はそれを裏付けするデータなり物証が出るのを待つだけということなのです。
② 哲学の貧困
人間が生活している空間は、縦、横、高さの3次元世界です。そこに時間という軸を加えて4次元と言う人もいますが、そういったことを前提にして多くの思想が構築されています。
ただ、物理学者の中では、いわば高次元世界は半ば常識となりつつあるような状況下であるにも関わらず、哲学の世界はそれに追いついていません。つまり、3次元ないし4次元の時空間を前提にした思想しか認知されていない状況なのです。
そういうと、宗教があるだろうという反論が聞こえてきそうです。ただ、宗教というのは、信じるか信じないかの世界なので、論理と隔絶された世界の話なのです。人は論理的なものについては100%納得しますが、そうでないことについては納得しないという生き物なのです。だから、論理的に説明できる思想、つまりスピリチュアリズムが求められているのです。
③ スピリチュアリズムの提唱
スピリチュアリズムというのは、死後の世界の存在を当然の前提として、現実の世界と死後の世界を貫く論理のもとに生きていこうとする考え方です。この考えの先駆者はスウェーデンボルグ(1688~1772)です。前半生は9か国語を操り、数学、物理学、天文学、化学など多方面の分野において北欧で万能の天才として活躍した人です。50代半ばに幽体離脱を体験し、霊界に出入りできるようになり、その経験をもとに多くの霊界体験記を遺しています。現在もロンドン大英博物館に10冊以上の霊界に関する著書が保存されているとのことです。
彼は現実の世界も死後の世界も、同じバランスで考えていました。宗教家の中には、ともすると現世よりも来世ということで、世俗的なものの価値を認めないという考えの方もいますが、彼は「世俗的なものを拒否する必要はない」(『天国と地獄』)と述べ、その理由について「人間が天界の生命を受け入れるためには、世俗に生き、仕事をし、道徳的・社会的に生きることで霊的生活を受け入れなければなりません。それ以外の方法では霊的人生は築けませんし、天界へ入る準備もできません」(『天国と地獄』)としています。彼は自ら予言した通りに、1772年3月29日に旅先のロンドンで地上の生涯を終えています。
すべての物事を陰と陽で考えるのが、スピリチュアリズムの大きな特徴です。プラスとマイナス、男と女、生と死、すべて物事には表と裏がある。見える世界と見えない世界。その法則を踏まえて、真実の生き方を追求するのがスピリチュアリストの使命です。
その生き方を文字通り追求したのがスウェーデンボルグだったのです。ただ、スピリチュアリズムはまだまだ科学になり切れていません。そのため隣接科学の成果を取り入れたり、ヒントとして学んだりしながら外堀を埋める努力をしなければならないのです。
④ 現代日本においてスピリチュアリズムを導入する意義
現在日本は、唯物論の「埃(ほこり)」に包まれてしまって、見たものしか信じない、見えないものは信じないという唯物論的世界観が横行しています。ただ、見える見えないというのは、単に光が反射し人間の網膜にその像が写ることによって、存在を認識しているに過ぎないのです。
そもそも人間自体が、素粒子の集積物であることは科学的に明らかです。素粒子は目に見えません。目に見えないものが数多く集まって、一つの肉体を作っていて、それは光が反射するため可視的な存在として認識されているだけです。そして、素粒子の集積物ということは、それを一つの肉体としてまとめている働きをもつ存在が何かあるはずです。それを魂、精神、理性と呼ぶかは別にして、何らかの作用をもった本質的なものが1つあることは確かでしょう。
その存在を前提として、人間の生き方、あり方、そしてこの世界と宇宙のことを考えていこうというのがスピリチュアリズムです。
現代哲学がどういう状況にあるのかを簡単に知るには、高校の『倫理』教科書を見れば、およそ分かります。現代思想として扱っているものは、功利主義、プラグマティズム、マルクス主義、実存主義です。実存主義者のキルケゴール、ヤスパース以外は、唯物論的な思想家、つまりこの3次元世界の中のみの人間の生き方を追求しようとしています。本来は、そこにスピリチュアリズムを入れるべきでしよう。
マルクス主義は純粋な思想ではありません。それに5ページも裂く余裕があるならば、バランスをとる意味でもスピリチュアリズムを『倫理』教科書に入れるべきでしょう。教祖はスウェーデン・ボルグ、内容も歴史もあります。
唯物論的な思想は結局は、金、地位、名誉といった人為的な価値観を追い求めるような人間を作り出すだけです。
検事長の立場にある男が賭けマージャンで辞意に追い込まれたり、国会議員の夫婦が選挙買収で逮捕されたりと、破廉恥な事件が続いていますが、高次元世界を踏まえた人生観を確立していないので、そういった軽はずみな行為ができるのだと思います。
読んで頂きありがとうございました。
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