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文明が進展すれば競争が激化するのは理の当然 / 21世紀にふさわしい人材育成のプログラムを構築する時―― ギフテッド教育を考える時代 

「約10日振りですが、ブログを再開したいと思います。ただ、20日に右目、26日に左目を手術したのですが、1週間は余り無理出来ないので、2日に1話でいきたいと考えています。それが過ぎれば、通常営業に戻します」

女性

「とにかく、お帰りなさい。目の手術が無事済んでおめでとうございます」

「ありがとうございます。実は手術当日まで、少しビビっていました」

女性

「分かります。私も聞いた時にエッと一瞬思いましたから。目の水晶体を取ってしまって、そこに眼内レンズを入れたんですよね。手術の時間は、どの位だったのですか?」

「手術は30分位です。その後、別室で30分位休んだ後検査をして、異常がなければ帰れます。2回とも異常がなかったので、手術が終わって1時間後には電車に乗っていました」

女性

「手術というのは、どういう感じなのですか?目は当然、開いたままですよね!」

「開いたままというか、麻酔と機械で目を見開いた状態にされて、レーザーで水晶体を取り去って、そこに人工レンズをつけるのです。レーザーの光だけが見えて、手術が進行します。殆ど痛みは感じませんでした」

女性

「快適ということですか?」

「快適という言葉は当てはまりませんね。手術中はレーザーの光の色が交互に見える感じで、常に重いプレッシャーがかけられるというイメージです」

女性

「手術当日は、もう目が見えるのですか?」

「終わってしまえば、すぐに見ることができます。ただ、手術当日は眼帯で覆って、何も見ないようにとの指示でした。次の日に検診をして、そこで眼帯は外れるのですが、1週間は保護用のサングラスをはめた状態で過ごします」

女性

「レーシックとは違うのですよね」

「最初はレーシックの相談に行ったのです。そしたら、あなたの目は無理と言われ、白内障の治療を兼ねて眼内レンズを勧められたのです」

女性

「結果はいかがですか?」

「術後2,3日は多少違和感はあったのですが、今は全くありません。快適です。両目とも視力は1.5まで見えます。勿論、近くも普通に見えます」

女性

「私は、レーシックを相談してみようかしら。どこにあるのですか?」

「有楽町の駅の交通会館の前のビルの中にあるクリニックです。最先端の機械を導入して日曜、祭日も含めて年中休みなしで営業しています」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 文明が高度化すれば最先端技術の開発競争は激しくなる

その近視クリニックは駅前の高層ビルの1フロアを借り切って、年中無休で朝の10時から20時まで営業しています。受付のスタッフだけで常時5~6人で対応していますし、20~30人入る待合室も3部屋あります。右目の手術担当者と左目の手術担当者は別の方でした。その後、右目と左目での翌日検診、3日後検診、1週間検診がありましたが、その検診を担当するスタッフが各日3人いました。必ず検査、検診の前に自己紹介をして始めるのですが、見事なほど同じ人に出会うことはありませんでした。全体で何人の方が働いているのか分かりませんが、眼科医だけでも50人位の人が登録して、勤務していると思います。シフトを組んだり、手術や検診のサポートなどそれを支えるスタッフはその2~3倍はいるのではないかと思います(当院に確認したわけではありません。あくまでも主観的な見立てです)

今までの話は、眼科の医療現場に関することですが、文明が進展すればする程、すべての分野において最先端の現場とそうでない現場とが分離し始めて、その差が開く傾向が出てきます。これを「格差」という言い方で批判的に論じる人もいますが、これは必然的であり、いわば自然な動きです。そして、逆に「格差」が開けば開くほど、その分野が活性化する傾向が出てきます。矛盾が拡大すれば、エネルギーが蓄積されるという弁証法の法則が現象面に現れます。

(「Caloo」)

 改革は上から始めてもよし、下から始めるもよし――状況による判断が必要

そういったことを踏まえて、社会の改革はどこから手を付ければ良いのか、ということを考えてみたいと思います。「すべての分野において改革を」と言っていると、結局何も出来ないまま終わるか、すべて手を付けて全部中途半端で終わってしまうかのどちらかです。必ず、「とっかかり」があるはずですので、それを見つけます。

これは、上から始めるか、下から始めるかのどちらかです。歴史から学ぶという言葉がありますので、その観点から日本の歴史を紐解くと、古代は上から始め、明治維新期は下から始めています。上というのは、国の骨格、天武朝の頃に「権威と権力の分離原則」に基づいて皇統の流れを確立したのです。

明治維新期は開国してみたら、アジアそして日本が欧米列強の植民地の標的になっていることを知り、世界に対抗するために近代化を急がなければいけないと考え始めます。そして、真っ先に人材育成を考えて、文部省(現文科省)を明治4年に設置します憲法の制定の18年前のことです。明治期は下から始めたのです。

(「進研ゼミ中学講座-ベネッセ」)

 21世紀にふさわしい人材育成のプログラムを構築する時

翻って、現代の日本を概観してみると、上も下もぐらついています日本は世界最古の王朝を有する国ですので、とにかくその伝統と文化を守るためにも、安定的な皇位継承ができるような措置を早急にとることが必要です。女系という言葉を使う人がありますが、今まで男系で来たものを、大事に守り抜くことが日本人としての使命と思います。女系容認となれば、今話題の小室さんの家系が天皇家の家系になることもあり得るということです。

下というのは、人材育成のプログラムを指します。留意しなければいけないことが2つあります。1つは、時代に対応した人材育成のプログラムを考える時期に来ているということです。今までは、学校教育の段階だけを考えれば良い、という観念が強かったと思いますが、これからは雇用の流動化が激しくなりますので、生涯にわたってのサポートプログラムを考える必要があります。

2つ目は、文明が進展すればする程、当然競争は激化します。その競争は個人間の競争もありますが、国家間の競争もあります。お花畑の中で生きている訳ではありません。2つの競争にさらされながら生きていくのが、現代人の宿命とも言えるでしょう。

ただ、目指す目標地点が低ければ、それこそ「お手て繋いで」全員で仲よくそれを目指せば良いのですが、客観的にそれが不可能な状況です。英才教育を始める時期に来ています。そして、日本には少なくとも1万人のギフテッドの子供たちがいるはずです。その子たちを一人ひとり発掘する作業が必要です。才能がありながら、それが分かってしまうと周りから異端視される、あるいは本人も周りも与えられた才能について気が付いていないということもあるでしょう。

(「cocoiro/ココイロ」)

今日の『日経』(9/30日付)に「13歳の数学者、相棒は教授――天才は『自由』で育つ」という記事が載っていました。梶田光くんが小学校4年生の時の研究発表テーマが「スーパー双子素数の個数公式と高橋条件」だそうです。当然、これでは周りの子供たちと話が合うはずがありません。小学校の通学を諦めてホームスクーリングをしていたそうです。そして、この秋から海外のオンラインスクールで学ぶことになっているそうです。

こういったギフテットと呼ばれる子供たちの教育を国として準備し、行っているのがアメリカとイスラエルです。日本では孫正義育英財団がこういった子供たちの面倒を見始めたとろです。国としてきちんとしたプログラムを組み、意識的にギフテットの子供たちを発掘、育成し、国の人材としてどのように生かしていくかまでを考える時代となりました。

(「gifted style」)

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