
「日中間で大変なことになっているような気がします」

「例の高市総理の答弁ですね。「台湾有事は日本有事」という公式が頭にあるので、ついあのような答弁になったのだと思います」

「中国は相当お怒りのようですね。日本からの水産物輸入をストップしてしまいました」

「中国のことなので、これからいろんなカードを切ってくると思います」

「パンダは、日本からいなくなってしまうのでしょうか?」

「可能性はありますが、それより今回のことについて、短いスパンではなく、戦前から戦後までを概観する中で、日中問題を考えてみたいと思います」

「そうですね。新聞やマスコミ報道を見ていると、高市総理が踏み込んだ発言をするからいけないみたいな論調が大半です」

「日本人の悪い癖は、その現象面しか追いかけないところです。それでは、何の学びも今後の方向性も出てきません」

「確かにそうかもしれません、高市総理が悪い、いやいや変な質問をした立憲の岡田氏が良くなかった、中国は神経質になり過ぎでは……といった意見が散見されますが、これだけでは方向性は見えませんものね」

「今の新聞・マスコミは現象面しか追いかけません。その理由を語る紙数はありませんが、日中間には日本の政治構造の問題、外交の問題などいくつか解決すべき問題が横たわっています。折角ですので、今回と次回、対中国問題を中心にしながら歴史的に述べていきたいと思います」

「ここからが本論です ↓表紙写真は「ダイヤモンド・オンライン」提供です」
「自国が見えない国家」という盲点
人間が自分自身を客観的に理解することが難しいように、国家もまた「自国がどう見えているか」をなかなか把握できないものです。日本は特にそのような傾向があります。国内で何が問題なのか、自国がどういう統治構造を持ち、どのような歴史的負債を抱えているのかを冷徹に総括することができない。この「自己認識の弱さ」こそが、日本外交の脆弱性の根源にあるのです。
新聞報道も本来はこの「他者から見た日本」を提示する役割を負うはずです。しかし実際には、外交の背後にある制度構造や歴史的連続性には踏み込まず、日中首脳会談、外相の発言、中国の抗議声明といった「現象面」を伝えることに終始しがちです。そのため国民は、現在の緊張がなぜ生じるのかという構造的理解が得にくいのです。現象だけを追う報道が、国全体の「自己認識の欠如」を補強してしまっています。
例えば、『産経』(11.19日付)は「高市首相の答弁に危うさがあることを否定できない」と指摘して終わっています。個人の能力の問題のせいにして終わっています。これでは80年前と同じです――「終戦の時の指導者だったのだから、お前が悪い」。何も進歩していません。今日の日中関係の緊迫は単なる外交事件ではありません。それは、日本が「国家として頭脳を欠く構造」を温存したまま戦後を生きてきた結果、生じるべくして生じた“構造的危機”なのです。

(「MBS毎日放送」)
戦前・戦後を貫く統治構造の連続性
日本は敗戦後、軍隊を失い、憲法9条を持ち、貴族院を廃して国会中心の民主国家になったとされています。上辺は大きく変わったように見えるのですが、実際の統治構造は驚くほど連続しているのです。
第一に、官僚主導の国家運営が戦前から今日まで継続しています。政策立案の中心は霞が関であり、官僚によって国家の針路が事実上決定されています。政治家は短命内閣の循環、国会は会期150日前後という協賛機関化した制度のもと、自律的な国家戦略を形成する力をもっていません。これは戦前の「天皇大権の陰で責任が拡散する体制」と本質的に同質です。日本には「決定権者は曖昧、責任の所在も曖昧」という統治文化が根強く残っているのです。
第二に、制度改革の“総括”が行われませんでした。戦前の国家運営がなぜ破綻したのか、権力と責任がなぜ分離したのか、その制度的・構造的欠陥を精査しないまま、新憲法の導入によって「民主化された」と多くの国民は信じ込んだのです。敗戦責任も戦略の失敗も曖昧に処理され、それが結果として官僚制の連続性を保証する形となったのです。このように、日本は「頭(統治者)が不在のまま走り続ける国家」、つまり「ヘッドレス国家」としてこの160年間走り続けているのです。

(「You Tube」)
1978年・日中平和友好条約が孕む“曖昧さ”の遺産
日中関係も、この統治構造の延長線上で形成されました。1978年の日中平和友好条約は、戦後日本外交の象徴であると同時に、日本の「曖昧外交」が制度化された瞬間です。尖閣の問題、台湾の問題を全部「棚上げ」したのです。
当時、日本は経済力で中国を圧倒し、外交主導権を持つ希有な時期でした。にもかかわらず、最重要の尖閣・台湾問題を明示的に扱わず、「棚上げ」という政治的フィクションに逃げました。これは、恒久的な枠組みを構築する国家戦略を欠いていたためであり、まさに「ヘッドレス国家」の弱点がそのまま外交に現れたと言えます。百歩譲って、その時に仮に「棚上げ」をしたとしても、その後の議題にすべきだという共通認識を持つべきだったでしょう。それから、日本の戦前の対中国に対する所業についての総括をそこから始めるべきだったのです。それも棚上げして、現在もなお曖昧にしています。平和友好条約の締結はあくまでもスタートラインに過ぎないのに、日本はゴールだと思ってしまったのです。愚かな国だと中国は思っているでしょう。
この曖昧さのツケは、21世紀以降の中国の台頭とともに顕在化しました。中国は、かつて棚上げに応じた理由を「当時は弱かったから」と再解釈し、日本の曖昧さを「未確定の領有権問題」として扱い始めました。そして台湾問題は、米中競争の中で核心的利益としてより強硬に主張されるようになったのが、今日です。そういった状況の中で高市発言があったのです。日本は官僚主導のヘッドレス国家ゆえの悲しさがあります。誰も仕切る人間がいないのです。500人位のキャリア官僚たちが黒子のようにこの国を動かしています。当然、方向性はありません。どちらに進むか分からないのです。場合によっては、アメリカと共に中国を攻めるかもしれない。彼らは、そこまで考えていると思います。未成熟な国家であるために、中国の警戒心を強める結果となったのです。これが今の状況です。次回はこの続きを話したいと思います。

(「日本中国友好協会兵庫県連合会」)
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