「学校に行きたくないと思ったことはなかった?」
「そうね、中学の時に仲の良い友達とケンカをしてしまって、学校に行きたくないと思ったことがありました」
「それはすぐに解決したのですか?」
「2日間休んじゃって、そしたらその子が心配して家まで訪ねて来てくれたのです」
「良かったですね。その後は、大丈夫でしたか?」
「その場で仲直りをして、前以上に仲良くなり、今でもお付き合いをしています」
「そういう風に、上手く乗り越える人もいれば、大きくつまづいてしまう人もいます」
「つまづいて転んでも、立ち上がれば良いじゃあないですか」
「理屈はそうだけど、人によっては実際には大変なこと。それでは聞くけれど、立ち上がって歩み始める人はどういう子なの?」
「応援をする人が必要ですね。そこの違いが大きいのかなって思います」
「あなたの場合は、お友達が応援してくれたんですよね」
「親がなるべきだと思いますが、家族、地域の人、親戚の人、友人知人、誰でも良いと思います。多ければ多いほど良いと思います」
「今は子供を支える人間関係がものすごく希薄になっています。ただでさ弱い支えが、何かの拍子に壊れてしまうと、立ち上がれなくなってしまうのでしょう」
「不登校になった人の人間関係を修復しないと、ひきこもりになって問題が長期化してしまいます」
「行政としてやるべきことについては、下の方でスペースをとって論じたいと思います」
「ここからが本論です ↓」
不登校の問題
【 不登校の児童・生徒数 】
小学校 44,841人(28.0%増)
中学校 119,687人(9.8%増)
高校 52,723人(6.2%増)
(2018年度統計)
不登校の数が止まりません。小学生と中学生、合わせて16万人もいます。小学校1年生から不登校になる子もいます。学年が上がるにつれて増えています。中3では45,213人ですが、高校1年では13,481人に減ります。ただ、これは不登校の生徒が進学しなかったり、通信制高校に進学したりで数字が減少しているだけで、問題が解決した上での数字ではありません。
不登校という言葉は、1980年代の後半頃から使われ始めた言葉です。それまでは、登校拒否という言葉を使っていました。「拒否」は拒絶という意味なので、そこには「拒む」強固な意志があるとの認識のもとで付けられたネーミングでしたが、実態を見てみると必ずしもそういったことだけではないということが分かり、それが名称変更の理由です。
その頃になると、スクールカウンセラーという職種の人が学校に配属されるようになり、専門的に対応するようになっていきます。文科省は専門の指導書を作ったり、地方の教育委員会は研修会を開くなどしたりして対応するようになります。
実は戦後すぐの時代にも不登校ということがあったのですが、当時の理由は殆どが経済的理由だったのです。給食費が払えない、お弁当を持っていけないので学校に行かない、家の農業を手伝うので学校に行かない、といったものでした。そういった理由ではなく、心身の問題に起因する不登校が1980年代頃から急速に増えていきます。そして、それは現在も悪化しながら続いているのです。
不登校を巡る最近の状況
最近の状況は、不登校があっても仕方がない、要は本人と親の問題ということで、原因を社会と切り離したところで捉えようとする傾向があるように思えます。そういうこともあって、新聞やマスコミは以前ほどには話題にしなくなりました。逆に、不登校がいてもおかしくない、そんな「慣れ」みたいなものが出ているような気がします。
話題にする時は、何か事件が起きた時くらいになってきました。「ひきこもりの子が事件を起こしました」という感じになっている気がします。
私学でも不登校は今や珍しいことではなくなりました。どのように対応しているかは、学校によって違いますが、スクールカウンセラー、面談室の設置は常識になってきました。ただ、地域から離れたところに存立している私学の場合は、どうしても対処療法的な措置しかできません。そして、プライバシーの問題もあり、家庭内に踏み込んだ指導はできにくいのが現状です。
不登校の原因は何なのか
結果や現象があるということは、必ず何らかの原因があるはずです。そして、社会現象というのは、物理現象と違って原因が複雑に絡み合っている場合が多いのです。不登校の原因を探る場合において持つべき重要な視点です。
不登校が1980年代になって増えたことは先程指摘した通りですが、そのテンポを見て欲しいと思います。1980年が約3万人、1990年が約6万5千人、2000年が約14万2千人というように増えていきます。これだけ急速に増えるということは、社会の病理的現象の反映と捉える必要があります。
もちろん、不登校の子供には個々それぞれ事情があると思います。ただ、原因をすべてそこに求めることはできません。人間は社会的動物ですし、子供は社会を映す鏡だからです。
人間を一個の動物と考えた時、学校に行くことは、一種の巣立ちを意味します。巣立ちができるための準備は家庭で行います。学校は集団生活の場です。学校の役割は主に2つです。1つは、自分の才能、特性を発見することです。それが個人のアイデンティティの確立に繋がります。2つ目は、自身の学力や体力を伸ばすことです。後者は個人的にもできますが、前者は個人では無理です。だから教師の役割は前者の活動をサポートすることが主となります。後者の仕事が教員のメインの仕事と勘違いしている人が多いのですが、それでは塾の教員と同じになってしまいます。
不登校になった子供たちに、その理由を聞いてデ―ター化されています。それを見ると、友達や教員との人間関係でつまづいて、そこから不登校になるケースが多くあります。
かつての時代は、子供たちは集団になって地域で遊びました。遊びの中で、子供たちなりにルールを守る大切さや、異年齢の子供たちとの接し方やトラブルになった時の対処の仕方を自然に学ぶ中で、集団の中で過ごす楽しさと心地よさとルールを体験したのだと思います。そういう経験を多くしていた子供は、多少の人間関係のトラブルがあったとしても自分なりに対処することができます。
地域にはそれぞれの歴史があります。それが地域の伝統と文化を形成し、それが子供集団を育んでいった面があるのですが、戦後の市町村合併と学校統廃合という地域破壊政策によって、そういった地域のもっている教育力が失われていきました。それが不登校やひきこもりの子供たちを大量生産している大きな原因です。学校統廃合を地域の反対運動などで進めることが出来なかった沖縄県で人口が増加しているのは、必然的な理由があるのです。
その辺りを実際に科学的に検証する必要があります。統廃合をして設立した学校の不登校児童・生徒の割合、小規模校の不登校児童・生徒の割合、市町村合併をした後の不登校児童・生徒の割合などについてデータをとり、分析をすれば、ある程度見えてくるのではないかと思っています。
とにかく教育行政も含めて行政には、きめ細かな対応が求められます。何でもかんでも全て一つにまとめて効率化を図れば良いというものではありません。大阪では「都構想」の住民投票が再び行われるようです。もし、提案が通れば、大阪市とともに多くの区の名前が消え去ることになります。地名もすべてそれなりの理由があって付いたものです。地域の住民にとって愛着があるものがいくつかあるのではないでしょうか。
そういったことを一切顧みず、単に効率化という目的で進めようとしています。まさに、戦後一貫して行った合併行政を象徴するような事案です。
この発想の行政が今後も続くようでは、地方の疲弊と不登校、少子化はさらに進行していくことになります。
読んでいただき、ありがとうございました。
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