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日本はなぜ「人材ロス国家」になったのか (その2) ―― 明治維新で誕生した「猿真似国家」 / アイデンティティ教育が欠けた国家ではミスマッチが生まれる

「何らかの推し活をしている人が、10人に1人の割合でいるそうです。最近のNHKニュースで言っていました」

女性

「結構、いるんですね。私は仕事と子供のことで、それどころではないですけど……。それだけ、時間とお金に余裕がある人が増えたということでしょうか?」

「そういう要素もありますが、それだけではないと思っています。というのは、先日九州の福岡だったと思いますが、刃物で男女2人を刺した男がいたでしょ。あれは女子のアイドルグループの推し活をしていた人です」

女性

「確か、30歳の無職の方でしたよね。あのニュースを聞いて、推し活ではなく就活でしょ、と思っていたので覚えています」

「推し活の中には、借金をしてまで全国の会場に足を運ぶ人がいるそうですね」

女性

「握手券を手に入れるために、何枚もチケットを買う人がいるという話を聞いたことがあります」

「そういう現象は、アイデンティティ教育の貧困を物語るものだと思っています」

女性

「どういうことですか?」

「本来、高校までの学校生活の中で、自分の特性・性格を客観的に把握して進路を定める必要があるのですが、それが出来ていないということだと思います」

女性

「他人を「推す」のではなく、自分を「推す」必要がありますものね」

「上手いこと言いますね。「推す」自分を見失っているため、他人を過剰に押してしまう、ということだと思います。もちろん、応援するのは良いことですが、自分を見失ってしまう場合があるのは問題です」

女性

「ちなみに、私はメスです(笑)。アイデンティティ教育がなされていれば、今回のような事件は防げたかもしれないということですね」

「そう思っています。ここからが本論です ↓ 表紙は「オンライン英会話のネイティブキャンプ」提供です」

 明治維新で誕生した「猿真似国家」

明治維新で誕生した「猿真似国家」は、今度は「統制しやすい均質な国民」を育てようとします富国強兵政策に協力的な国民を育成する目的のため、学校制度を西欧から移入します。「小」「中」「高」「大」という味もそっけもないネーミングはそのためです。英語ではelementary school(小学校)、middle-high school (中学校)と時間と思考を重ねて付けたのだろうなと思わせるようなネーミングになっています。小・中・高・大では、ほとんど片手間です。しかも、「小・中・大」と「高」は質的に違う言葉です。この辺りもいい加減な感じがします。この粗雑な”仕事ぶり”を見ると、独立した個を育てるつもりなど毛頭なかったことが分かります。

  • 個性より服従
  • 創造性より規律
  • 批判より沈黙

この価値観が社会全体に浸透し、「逸脱」を忌避する国民文化を形成していきました。これは偶然ではなく、明治国家が理念を欠いたために、「制度維持=従順な人材の育成」が国家の主目的になってしまったのです。この時点で、日本の教育は“アイデンティティ形成”を担う機能を完全に失いました。自分は何者なのか、自分はどこで力を発揮できるのか――この問いを考える機会が奪われたまま、国民全体が大人になっていったのです。そして、これは現在進行形の問題です。

人も企業も国もすべて組織で出来ています。その組織を一つにまとめるのが中心軸です。人間の場合は、魂、理性かもしれませんが、何か中心にあって一つにまとめているものが必ずあるはずです。そこにエネルギーを与えるのがアイデンティティです。それは、国も企業も同じです。人間として、国として、あるいは企業として、どのような進路を取るのか。それがなければ、進む方向が定まりません。そして、進路は人により、企業により、国により違います。当たり前です。ところが、明治藩閥政府は進路まで「猿真似」をします。これが、後の昭和の破局につながったのです。

(「楽天市場」)

 戦前と戦後、基本構造は何も変わらず

戦後日本は「民主化」されたとよく表現しますが、根本構造は戦前と何も変わっていません。だから、「民主化」などされていません。「民主化」は「民主主義」とほぼ同意ですが、国を動かしている統治者たちを国民が選挙できているかが、重要なポイントとなります。

日本は500~600人のキャリア官僚がこの国を実質的に動かしてきました。官僚主導の中央集権国家です。その官僚たちは、選挙ではなく、試験(国家公務員総合職試験)によって選ばれています。つまり、民主主義国家とは言えないということです。戦後民主化という言葉は、今の政権が学校教育で流しているプロパガンダ(偽りの情報)です。確かに、新憲法で国民主権と明記されています。それは「看板」を書き換えただけの話です。問題なのは、店の中の商品が変わっているかどうかを見る必要がありますが、何も変わってはいません。

戦前の国家は、官僚主導の中央集権国家でした。戦後の現在も、官僚主導の中央集権国家です。戦前にも民選議会がありました。ところが、軍人官僚が勝手に戦線を拡大したり、宣戦布告をしたりして、国民を戦争に引きずり込みました。議会はまったく無力でした。なぜなのか。簡単です。軍人官僚や内務官僚が権力を握って、彼らが日本を操縦していたからです。現在もその基本的構造は同じです。高市内閣に対する国民の期待が高まっていますが、財務省との関係でどの程度の優位性をつくれるかにすべてがかかっていると言って良いでしょう。

(「スマート選挙ブログ」)

 アイデンティティ教育が欠けた国家では、必然的にミスマッチが生まれる

ここまで読まれた方は、なぜ日本は先の敗戦も含めて、明治以降これほどの誤りを重ねながら、国の基本構造を変えることなく存続できたのか、と不思議に思う人がいると思います。その理由は二つです。一つは、約1,100年にわたる律令国家が築いた長期的な社会システムという“貯金”があったからです。もう一つは、国民一人ひとりが持つ高い基礎能力です。これは、ノーベル賞受賞者の数や、スポーツで世界的に活躍している人が多いのを見れば分かります。この二つがあったからこそ、日本は160年間、誤った制度設計に耐えてきたのです。しかしこの“貯金”はもう尽きかけています。

日本の教育を一言で言えば、「行き当たりバッタリ」です――「落ちこぼれ」が増えると、「ゆとり教育」を導入し、学力が落ちたと批判されるとすぐ止めて、元の授業時間に戻す。教員免許の更新制を導入して免許が失効する措置を取ったため、教員不足が発生。教員のなり手がいなくなったからということで、教職課程の取得単位数を減らす措置をする。免許を簡単に取れるようにすれば、教員が増えると思っている様です。というように、教員養成は相変わらず「付け足し」的に考えています。これでは、教育が良くなるはずがありません。

「個の資質を見抜いて育てる」という教育の最大の目的を欠いたまま、現在に至っています。その結果、①本来、理系向きの子が文系に。②創造性の高い人が型にはまる仕事に。③現場向きの人が管理職に。④天才物理学者が不登校となってひきこもりに。⑤大数学者が官僚に。⑥天才漫画家が普通のサラリーマンに。という“国家規模のミスマッチ”が常態化しています。ミスマッチは偶然起きるのではありません。つまり、学校教育の中で、「何のために生まれて、何のために生きるのか」ということをアンパンマンの歌を歌いながら考えさせ、そのための実践させなければいけないのです

学校教育の大事な使命として、進路教育があります。自分の人生をどう描くかということです。自分の適性・特性を認識しつつ、社会の中でどう生きていくかを考えさせる中で、自分の進路を選択させるのです。その時に重要なのが、アイデンティティの確立です。これが確立していないと、自分の進路が定まりません。文科省の頭には「アイデンティティ」という言葉がありません。学校は勉強だけするところと思っています。この役所を解体することが、日本の教育を正常化するために必要なことです。

(「note」)

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