「前回の「五臓六腑」の話は傑作でしたね」
「五臓六腑が完全に正しいという前提で、そこから論理を作ろうとするから「実物」が間違っているということになります」
「だけど、意外にそういう発想でモノを言う人がいますよね。ウチの社長がそういうタイプですね」
「どんな感じですか?」
「えへん! (完全になり切って) いいかな君たち、必ず円高基調に戻るから、国内インバウンド需要があるという前提で事業計画を策定しなさい、いいかな。こういう感じかな」
「なるほどね。「いいかな」が口癖なんですね。取り付く島がない感じですね」
「お酒を飲むと陽気でいい社長なんですけど、いざ事業計画の段になると、強権発動を連発する感じなんです」
「だけど、悪意がないから良いと思いますよ。私の知っている話では、二宮尊徳が盗人だったということを真面目に言う学者がいるのです」
「どういう意味ですか?」
「二宮金次郎が薪を背負いながら本を読んでいる石像がありますよね、その学者が言うには、貧乏なのにいつも薪を背負っているのはおかしい。どこかから盗んできたものに違いない、と言う人がいるのです」
「ある意味、凄い言い掛かりに聞こえますが、薪を常に背負って歩くことはあり得ないことなのですか?」
「当時はどの村にも村所有の入会山があり、村民は全員入会権を持っていたのです。自由に入って、木の実やタケノコを取る、間伐材を切って薪にすることが出来たのです」
「じゃあ、薪を背負ってもおかしくないじゃあないですか」
「そういった入会権のことを知らないで、貧乏な農民が薪を背負うことはあり得ないだろうという前提で考えを進めたのでしょうね」
「入会権ですよね、私は法学の授業で習いましたよ。互助組合みたいだなという印象が強かったので、覚えています。学者なのに、そういうことを知らなかったのですか?」
「今は専門が細分化されているので、文学部とか経営学部あたりの学者だと知らない可能性もあると思います。ただ、いずれにしても最初に結論ありき、論理はその後ということで導いた結論だと思います」
「ここからが本論です ↓」
イデオロギーは権威主義と密接な関係あり
イデオロギーというのは、簡単に言うと、結論をあらかじめ設定した「枠組」を用意して、その中に現実の事象を当てはめようという考え方です。そして「枠組」内のことであれば、好意的に反応してくれるのに、「枠組」外の時の場合は攻撃的になるという特徴があります。
何故、そうなるのか。何かを攻撃する前提でイデオロギーは発せられるからです。多くは、権力主義者からの目的を遂行するための補助的作用を期待されているためです。その辺りも、思想と違うところだと思います。
ただ、本来は「内」と「外」で態度が変わるのは、おかしなことなのです。無意識的に、階級史観的な発想が態度に出てしまうということだと思います。
(「bouteX」)
イデオロギーの実例
SNSにアメリカ帝国主義について意見を発信したところ、意見が返ってきました。意見の内容ですが、日本共産党の方針に対する疑義です。要するに、日本共産党はアメリカ帝国主義と言って敵視しているけれど、現実に合っていないのではないかという内容の文面を発信したのです。
反論がいくつか返ってきました。送り主は、もちろん一般の国民です。2つだけ紹介します。
一、「アメリカ合衆国が帝国じゃないとか、不勉強もいいとこ。ウェブでも図書館でもいいんで、歴史の勉強してください。 第二次世界大戦以後、毎年戦争してるんは、地球上でこの国だけ。史上最大最強で最悪最恐の帝国主義国家です。ロシアも中国も帝国主義だが、この国はそれを遥かに凌ぐ」
一、「帝国主義の意味が独断です。帝国主義とは、独占資本主義の段階に入った資本主義体制のことであり、その特徴は①生産の集積と独占②銀行独占と産業独占との融合による金融寡頭支配の成立③商品輸出よりも資本輸出が大きな意味を持つ段階の資本主義④国際的な資本家団体による世界市場の分割⑤最大の資本主義強国による世界の領土的分割の完了です」
後者の帝国主義の定義は、レーニンの定義を引用しているだけです。2人に共通するのは、独占資本主義の最終段階において帝国主義が現れるので、それに該当する国はアメリカ以外にあり得ないという前提で文章が書かれていることです。前者は対話の余地がありますが、後者の意見の方は完全に共産主義イデオロギーに溺れてしまっています。
イデオロギー大国、日本の行方は
イデオロギー的思考というのは、実は「楽」です。結論的なものを当てはめていけば良いからです。当てはめて、合わない場合は、現実が違う、あるいは現実は必ずそのように変わるはずだと言っていれば良いからです。
こういった思考が横行している原因は、何でしょうか。根底には、共産思想の階級史観があることは間違いないでしょう。資本主義→社会主義→共産主義という図式です。そして、資本主義には段階が合って、産業資本主義→独占資本主義→国家独占資本主義というように進展して、帝国主義的態様は最後の国家独占資本主義の段階において現れると説くのです。マルクスによると、資本主義体制をとると、すべて順調に発展すると考えていたのですが、このことについて、誰も疑義を差し挟んだ人がいません。そして、この図式から世界を見ると、帝国主義の段階に突入したのは、アメリカとなります。ただ、現実を見る限り、武力による領土拡張政策を実行に移し、他国に対して強権的振る舞い、つまり帝国主義的な行動をしているのは中国でありロシアです。
要するに、現実を見る限り、中国、ロシアが帝国主義と言えるのですが、それはアメリカ帝国主義の公式から外れてしまうので認めることは出来ない。流石にここから現実が間違っているとまでは言えないということで、一人は帝国主義の定義を載せることで問題を曖昧にし、もう一人は中国、ロシアの帝国主義を認めながら、実はアメリカの方がさらに帝国主義であることを主張しています。
(「みんなの世界史」/ note)
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