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「二つの旋律」が奏でたインド独立 ―― ガンジーの非暴力とボースの武闘、その記憶と現代への問い

「インド独立運動の指導者、チャンドラ・ボースの名前を聞いたことがありますか?」

女性

「いえ、初めてです」

「実は昨日(8/18)が命日で、東京・杉並区の蓮光寺で法要が営まれました。終戦日の3日後に台湾で飛行機事故に遭い、不遇の死を遂げています」

女性

「なぜ、日本で法要が営まれたのですか?」

「遺骨が日本の蓮光寺(東京・杉並区)にあるからです。当時の台湾は日本の統治下にありましたし、インドの独立運動を側面から支援していたのが日本だったからです」

女性

「インドの独立運動といえばガンジーが有名ですが、お二人はどういう関係になるのですか?」

「二人に共通することはインド独立です。ただ、方法をめぐって両者は対立します。ガンジーは非暴力を主張し、チャンドラ・ボースは武器を取り戦うべきだと言って、インド国民軍を指揮します」

女性

「そういう関係なんですね。ただ、どうして今まで殆んど知られておらず、ここに来て急に注目を浴びるようになったのですか?」

「そういうことは偶にあることで、あなたにもスポットライトが急に当たるかもしれませんよ。『Raag Desh』(2017年)というインド映画の上映がきっかけです。そこでインド国民軍やそれを援助する日本軍が描かれ、チャンドラ・ボースの存在も明らかになったからです。」

女性

「ちなみに、『Raag Desh』の映画の題名の意味は何ですか?」

「国の歌という意味です。愛国の調べという意味を持たせて付けたと思われます」

女性

「ここからが本論です ↓表紙写真は「ONECOSMOPOLITAN」提供です」

 映画『Raag Desh』が描いた法廷劇

映画『Raag Desh』は、第二次世界大戦中に結成されたインド国民軍(INA)の3人の将校が英国植民地当局によって「反乱罪」で裁かれた、いわゆるレッドフォート裁判(1945年)を題材としています。イギリス側から見れば、彼らの行動は帝国に背く裏切りですが、インド人にとっては独立のための正義であり、愛国の証しでした。

映画は、この二重の視点を背景にしつつ、登場人物たちの信念と自己犠牲を描くことで「国の旋律=Raag Desh」を表現しています。タイトルが示す通り、歴史を単なる記録としてではなく、心に響く「愛国の調べ」として観客に感じ取らせることが目的なのです。

この作品は、公共放送局Rajya Sabha TVの企画として制作されました。その狙いは、単なる娯楽映画にとどまらず、民主主義や独立運動の歴史を広く社会に伝える教育的・文化的意義を持たせることにありました。特に若い世代にとって、教科書の中で名前だけを知る存在だったINAやその将校たちを、映像を通じて「生きた人間」として理解できる点に意義があります。映画は歴史を扱いながらも、法廷劇という緊迫した舞台を通じて観客を引き込み、過去と現在を結びつけているのです。

(「Daiymotion」)

 ガンジーとボース、二つの独立運動

映画の背景には、INAの指導者スバス・チャンドラ・ボースの存在があります。劇中でボースはカリスマ的指導者として描かれ、彼の演説や姿が短いながらも印象的に挿入されます。日本軍もINAを支援する存在として登場し、当時の国際情勢を象徴しています

インド独立運動は大きく二つの流れに分けられます。一つはガンジーが唱えた非暴力・不服従運動、もう一つはボースが率いたINAによる武装闘争です。両者は方法論こそ異なりましたが、結果的には並行してインド人の意識を高め、イギリスの支配を揺るがせました。特に映画で描かれるレッドフォート裁判は、国民世論に大きな衝撃を与えます。彼らを「反逆者」として断罪しようとしたイギリスに対し、宗教を超えてヒンドゥー、ムスリム、シク教徒の人々が抗議運動を起こしたのです。

INAは軍事的にはイギリスに敗北しましたが、裁判は「独立を願って戦った兵士を処罰できるのか」という問いを社会に突きつけました。それは国民の心に火を灯し、独立への決意を強める契機となったのです。しかし独立後、インド政府は国民統合の理念としてガンジーの非暴力を前面に押し出し、INAやボースの役割は長らく副次的に扱われてきました。そのため、この歴史は一時的に「封印」されていたのです。

(「日本の古本屋」)

 現代に蘇るボースとINAの記憶

21世紀に入り、歴史の風向きは変わりました。モディ政権はガンジー=ネルー中心の歴史観を見直そうとし、2018年にはニューデリーにINA記念館を設立、2022年には国会議事堂前にボース像を設置しました。教育現場でもボースがガンジーと並ぶ独立の英雄として紹介される機会が増えています。

両者の違いは明確でした。1939年、国民会議派の党首選挙でボースが勝利しますが、ガンジー派の反発により辞任に追い込まれ、事実上決別しました。以後ボースは亡命し、INAを指導。日本軍と協力しながらビルマ戦線やインパール作戦に参戦しましたが、兵力は最大2万人程度で戦局を左右する力はありませんでした。しかし、イギリスのアトリー首相は後年、「独立の決断に影響したのはガンジーよりINAの存在だった」と語り、精神的影響の大きさを示しました。

日本の敗戦後、ボースは処刑を恐れてソ連亡命を目指し台湾経由で移動中に飛行機事故に遭い、1945年8月18日に死去したと伝えられます。遺骨は火葬後、日本の僧侶が持ち帰り、現在も東京杉並区の蓮光寺に安置されています。今年で死没80年を迎え、娘のアニタ・ボース氏が遺骨返還を訴える声明を出しました。ガンジーとボース、非暴力と武闘。この二つの潮流がインド独立を導いたことを、現代の私たちが改めてどう評価するかが問われているのです。

(「戦跡紀行ネット~近代史跡・戦跡紀行」)

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