「アメリカの中間選挙の開票が、最終版になってもつれていますね」
「激しいインフレが進行する中での中間選挙。トランプ氏が前面に出てきて民主党政権を攻撃する。民主党は惨敗するかなと思ったのですが、そうはならない模様ですね」
「上院はほぼ両者が拮抗して、最後の1議席で決着が着くとまで言われています。民主党の善戦の要因は、アメリカ人のバランス感覚ですか?」
「経済、つまりインフレだけを考えれば、民主党惨敗だと思います。これは聞いた話ですが、大戸屋のチキンかあさん煮定食を東京で食べると税込み890円ですが、ニューヨークの大戸屋で食べると24ドルだそうです」
「24ドルに現在のレート140円をかけると、3360円ですか! かあさんびっくり定食ですね。分量も内容も同じですよね」
「チェーン店ですからね、同じだと思います。その位凄いインフレが起きているということと、有権者の中には、そのインフレの原因を必ずしも政治家の責任として考えていない一定程度の人たちがいることが分かります」
「日本にも、そういったインフレの波が来るのでしょうか」
「日本は輸入大国ですからね、外国の経済動向の影響を少なからず受けることになります。タイムラグはありますけどね。今は、政府が補助金を使って必死で抑え込んでいる段階です」
「抑えられるものなんですか」
「経済の波を人間の力では完全に抑えられないと思っています。防波堤を築いても、それを乗り越える波はやってきます。経済界に政府は賃上げを要請しましたよね。あれは、インフレ対策の面もあるのです」
「経団連も前向きに取り組むようですね。あのニュースを聞いて時代が変わったなと。普通なら組合が要求を出して、それを受けてですよね」
「政府が要請したのは、インフレの波、つまり価格転嫁が進めば、その不満の矛先が政府に向けられる可能性が多分にあります。今のうちに防衛網を築いておこうという発想だと思います」
「しかし、インフレは何故起きるのでしょうかね。ここからが本論です ↓ 表紙写真提供は『マネクリ・マックス証券』です」
インフレも含めて、経済予測は難しい
渡辺努(東大大学院経済学研究科教授)氏の『世界インフレの謎』(講談社現代新書、2022年10月)という本が現代の経済状況を話題にしていて読みやすく、実際に売れているということで買ってみました。今の経済現象を一般向けに具体的な事例を交えて分かりやすく解説しています。
経済の波はコントロールが難しく、予想することも出来ません。天気予報よりも難しいのが経済予測です。予測が難しいものをコントロールなど基本的に出来ません。あくまでも対症療法的な対策しか出来ないのですが、多くの国民は公共料金をはじめ物価は政府がコントロールできるし、するのが仕事だと思っているのではないでしょうか。努力はするでしょうが、コントロールし切れるものではありません。
「インフレを予測できなかった経済学者たち」(p.50)という項目があります。コロナウイルスのパンデミックの後の経済はどうなるかということについて議論が経済学者やエコノミストの間で行われたそうです。「しかし2020年当時の研究者たちの中に、翌年からインフレが始まることを見とおすことができた人は、ほとんどいませんでした」とのことです。IMF(国際通貨基金)ですら、「コロナ=不況=デフレ」と予測していたのです。その根拠は健康被害が経済被害を生むというものでした。そうではなかったということです。
経済予測は、その位難しいものだということです。
アメリカの対応と日本の対応が違うのは何故なのか
冒頭の2人の会話にあるように、アメリカと日本の物価の現状はかなり違います。そのため、アメリカは利上げを何回も行い、日本は金融緩和を継続するという対照的な対応をしています。そもそも、アメリカがインフレで苦しみ、日本はデフレで苦しむという、正反対の現象が起きているのは何故でしょうか。
日本のデフレについて、渡辺教授は日本特有の現象が起きているためと説明しています。彼は「ソーシャル・ノルム(社会的規範)」(p.186)と呼んでいます。現象的には「日本版賃金・物価スパイラル」として表われます。スパイラルというのは、らせん状に同じことが繰り返し現れるということです。つまり、①企業の価格据え置き→②生活費が前年と同じ→③賃上げなしでも前年並みの生活ができる→④人件費は変わらないので、企業は商品に価格転嫁をしない賃金が上がらないから物価が上がらない、この①から④の循環が継続されるということです。この現象が、この30年間起きていると指摘します。
平成を「失われた30年」という呼び方をすることがありますが、確かにこの間、ベースアップが死語になったかのような状況にあったことは確かです。スパイラルになってしまった場合は、どこかからか突破口を作る必要があります。当然、①から始めるしかありません。政府が経団連に賃金アップを要請したのは、そういった状況を何とか打開したいと思っていることの表われなのです。
(「読売新聞オンライン」)
毎年2%の値上がり社会を目指して
こういう書き方をすると、同じ賃金、同じ生活レベルの繰り返しが何故いけないのかと思う人がいるかもしれません。道徳的にはともかくとして、経済的には魅力がない社会ということなのです。渡辺教授の言葉です――「価格と賃金がともに凍りついたように動かない慣習がはびこる社会は、活力に欠けた状態であると言わざるを得ず、それを積極的に肯定する気持ちには私にはなれません」(p.202)。
その辺りは、人間の価値観の問題かもしれません。ただ、賃上げ分が物価上昇によって相殺されることがあったとしても、賃金が上がったという事実は労働者のやる気を増進する働きをすることは確かです。賃金が上がって喜ばない人はいないと思います。
その喜びは自身のやる気になり、社会全体を活性化します。ただ、その賃上げ率が高いと物価高騰を招き、インフレが深刻化します。高からず、低からず、その微妙なバランス数字は「2%」と言います。渡辺教授は「2%というのは不思議な数字です」と言います。特に大きな根拠もありません。そして、普通なら0%を考えるのではないでしょうか、と言います。0%社会を肯定するつもりはないと言いながら、ここでは2%という数字を挙げて、その数字は不思議な数字だというのです。この自己矛盾的な書き方の原因は、経済の不可解さにあることを理解して欲しいと思います。
このカオスとも言うべき経済活動をコントロールしようとした考えもありましたが、今の時代はこの経済の波に合わせた経済生活を、各自がそれぞれの立場から考える時代となりました。他人にとっての真実は自分にとっての正解ではありません。自分の頭で、自分の進むべき道を探究する時代になったのです。
(「読売新聞オンライン」)
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