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国家とは何か、国民の絆をどうやって保つのか ―― イスラエル3000年の歴史から学ぶ (その1)

「今日は、イスラエル共和国のことを話題にしたいと思います。学校で習いましたか?」

女性

「えっ、確かユダヤ人国家ですよね。戦後に建国された……。どうして、話題に……。」

「実は今年は日本とイスラエルの国交樹立から70年目にあたる節目の年なんです。そして、実は、ロシアとウクライナにはユダヤ人が比較的多く住んでいます。2017年の時点で、ロシアに約18万人、ウクライナには約5万人というデータがあります」

女性

「そう言われれば、ゼレンスキー大統領もユダヤ人ですよね」

「奥様もそうです。プーチン大統領がネオナチの合言葉をウクライナ侵攻の際に利用しましたが、ロシア内のユダヤ人の存在を意識していたと思います。モスクワにはユダヤ博物館もありますしね」

女性

「成る程、そういう関連があるのですね。ただ、今回の侵攻で中にはイスラエルに移住する人もいるでしょうね」

「『産経』の記事(11/1日付)によりますと、イスラエルには帰還法があって、それを利用しての移住者が過去最高となり、全体人数の75%が両国の出身者だと当局は伝えています」

女性

「帰還法というのは何ですか?」

「母もしくは祖父がユダヤ教徒で、犯罪歴がないことを証明出来れば、移住の許可が出るというものです。そして、移住後の1年間は約2万ドルが支給されるとのことです」

女性

「血統は問わないということですね」

「約3000年間、亡国の民としての歴史をもっているが故の施策でしょう。ただ、宗教のもっている力は凄いと思います。世界に散らばったものの、民族がユダヤ教のもとで数千年もの間一体感を保持し、ついには母国を再建しましたからね」

女性

「学校ではそういった歴史は殆ど知らされず、建国を巡って以降の話が多かったと思います」

「その問題は現在まで引きずっています。ところで、今日(11/1)はイスラエルで国会(1院制、定数120)の総選挙が行われますが、総選挙は約3年半で実に5回目となります。それだけで、対立と混迷が深まっていることがわかりますが、結果も含めて注目していきたいと思います」

女性

「ここからが本論です ↓表紙の写真は、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の聖典研究提供です」

 王国の分裂、亡国の民として世界へ

日本人は国家は永遠の存在と思っているフシがありますが、それは世界史的な視点から見れば完全な錯覚です。日本は例外中の例外で、世界は多くの国が勃興を繰り返してきました。そういった激動の渦に日本も近い将来巻き込まれるかもしれません。国家とは何か、国民の絆をどうやって保つのか、そんなことを考え、教えてくれるのがイスラエルの歴史だと思います。

今から約3000年前に現在の地にユダヤ人たちは王国を誕生させます。しかし、名君とされたソロモン王の死後、王国は北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、前者はアッシリアに滅ぼされ(B.C.722)、後者は新バビロニアに滅ぼされ(B.C.586)、さらに住民たちは砂漠の都市バビロンまで連れていかれ、そこで奴隷として約50年間働かされます(バビロン捕囚)。その後、故国の地に戻ることを許されますが、帰ってきたもののすでに自分たちの国は無かったのです。

その後、故国の地はペルシア、ギリシア、ローマといった国が順番に君臨します。自国は無いけれど、民はいるという状態となります。多分、その際に民族の統合の証としてのユダヤ教が自然発生的に成立したのだと思います。B.C.400年頃と言われています。エルサレムに神殿が作られ、ユダヤ教の聖地となります。

旧約聖書が成立したのがB.C.200年頃とされています。そしてやがてローマ帝国の属領となります(B.C.63)。A.D.70年にはエルサレムがローマの厳しい支配を受けるようになり、ユダヤ人たちは亡国の民として古代から中世、近代にわたって世界各地に分散することになります。ただ、どこへ行っても彼らは「よそ者」扱いをされ、時には迫害を受けます。歴史的に有名な迫害はナチス党によって行われたアウシュビッツでの大虐殺ですが、その他の地域や国に於いても大なり小なりあったのです。

(「middle-east world」)

 

 覇権国の力を借りての建国

近代に入ってシオニズム運動、つまり祖国復帰運動が起こります。シオンというのは、故国イスラエルにある丘のことで、ユダヤ教に登場する神ヤハウェは栄光を打ち立てるために登ったと言われています。その地に戻ろうという意味です。

戻ろうと言っても、その運動が起こった時代は、かの地はオスマン帝国が支配する地となっていましたし、アラブ民族の流れを汲むパレスチナ人たちが多く住む地となっていたのです。考えただけでも、気の遠くなるような構想だったと思います。

ユダヤ資本、ユダヤ財閥という言葉があるように、彼らは資本を蓄えることにより経済的力を得て、それを足掛かりに政治的発言力を高めていきます。日本もそうでしたが、ヨーロッパでも金融業に対する蔑視観がありました。少なくとも、高貴な身分の人間が就く仕事ではないということで、「よそ者」の彼らが金融の仕事を担ったというか、担わされたのだと思います。時代がやがて産業革命を経て機械化が進展し、大量生産、大量消費の時代に進むと、金融業が社会に於て大きな役割を持つようになります

そういった社会環境の変化の中で、彼らの経済力が増し、その力で政治を動かし始めたのです。その頃にシオニズム運動が提起されます。戦前の世界の覇権国はイギリスです。そのイギリス、そしてアメリカを動かし、戦後の1947年に故国の地に念願のイスラエル共和国を建国します。

(「Ameba」)

 パレスチナ問題の発生

誰も住んでいない土地であったならば民族の悲願を長年かけて実現した美談となりますが、かたちの上ではパレスチナ人を追い出しての建国でした。国連が仲介のかたちで入りましたが、常任理事国にイギリス、アメリカが入っていますので、どうしてもイスラエル寄りの取りまとめになります。1947年に国連決議が採択されますが、パレスチナの地をユダヤ人とアラブ人の2国に分けた上で聖地エルサレムを国際管理下に置くことが決まります。当時、ユダヤ人はその地の総人口の約1/3だったのですが、56%の土地が与えられることになります。

その裁定に不服をもつアラブ側がイスラエルに対して起こしたのが中東戦争です。中東戦争は第4次まで続きます。結果的には、イスラエルが4戦4勝します。第4次中東戦争は1973年に起きますが、アラブ産油国は原油を武器として使うということで、価格を一挙に4倍に値上げをします。いわゆるオイルショックです。日本では、このため経済成長が止まり、低成長時代に突入することになります。

次回の11/3(祝)は1回お休みして、土曜日にこの続きを書きたいと思います。

(「一般社団法人 平和政策研究所」)

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