「新聞やテレビは自民党総裁選のことをよく話題にするようになりましたね」
「ただ、マスコミ自体が何が重要な論点なのか分からないまま、一つの政治ショーとして取り扱っている感がします」
「ただ、ショーでも何でも、政治に関心を持っていない人たちが、少しでも日本のことを考えるきっかけになれば良いと思います」
「成る程、好意的に捉えようということですね」
「菅総理が総裁選に立候補しないと言った途端に、何かマスコミの総裁選を捉える雰囲気が変わったと思ったのですよ」
「確かに、菅総理は当然立候補して、当たり前のように選ばれて、彼の下で衆議院選挙が行われるんだろうな、どうせ、といった雰囲気でしたよね」
「そういうふうに、いじけていたところにパッと新しい光が差したみたいに動き始めた感じです」
「立候補者が男性2名、女性2名ということで、結果がどうなるか分からないので、マスコミも頑張って報道しようということでしょうね」
「結果がどうなるか分からないというのは、報道する側からすると嬉しいでしょうね」
「成る程、ショー的な要素になる素地があるということですね。それはそれで由と考えて、あるべき国家像を各候補者が描いた上で立候補しているかどうかが一番の問題です」
「政策提言を聞いて、日本の明るい未来を感じることができれば、それでOKということですね」
「ただ、そういった候補者の主張を受け取る国民の側も、完全な受け身的態度ではなく、自分なりの「国家像」を持って欲しいと思っています。全くの白紙状態であれば、感覚的な反応になってしまいます」
「そういう意味で、主権者国民の国家像が試されているということが言えるかもしれませんね」
「すべての有権者対象の選挙ではありませんが、もともと日本は家族主義的な国家観のもとに国づくりをしてきました。一人ひとりが自分に関係があることとして受け止めて欲しいと思っています」
「ここからが本論です ↓」
日本の国家にとって中心軸は天皇制
国家も一つの組織である以上、その中心軸を安定的に定める必要があります。スポーツと同じで体軸を定める必要があります。それがぐらついているようならば、100年練習しても上手くなりません。日本にとっての体軸は皇統(天皇制)です。
天皇制という言い方は革命政党が打ち倒すべき標的という意味合いを込めて使い始めた用語ですが、教科書で象徴天皇制という言葉で紹介されたこともあり、現在ではポピュラーな言葉として認知されるようになりました。そんなことから、今回こちらの言葉を使うことと致します。
天皇制を正確に言うと「権威と権力の分離原則」に基づいて制度設計されたものです。このシステムが確立したのが8世紀天武天皇の時代です。それ以来、日本のアイデンティティとなっています。日本を一つの王朝として見た場合は、古代王朝がそのまま現代にまで引き継がれている世界最古の国です。その皇統を政治の力で守るべきでしょう。
男系、女系という馬鹿馬鹿しい議論が出ていますが、男系であることに意義があることです。女系でもOKとなり、皇統が変更となればその瞬間に、近所に住んでいる隣のおばさんが皇族の血を引いていると名乗りを上げることもあるということです。その位、大変な問題だということをマスコミは報道せず、政治家の中には男女平等という観点から女系でもという意見を言う方がいますが、平等権と皇統とは全く関係のない問題です。そもそも、平等権が確立したのは18世紀です。
(「ニコニコ」)
2番目に考えるべきは人材育成としての教育政策
マスコミの問題意識の低さもあり、教育政策について正面から問いかけた新聞、その他マスコミはありません。現在の日本の社会の歴史や文化、そして価値観をどうやって受け継いでいくのかが教育の眼目なのですが、何もしなくても自然に受け継がれていく訳ではありません。家庭や地域で自然に受け継がれてきた部分があるのですが、その基盤が弱体化しています。国民の自発的な教育営為だけを当てにする訳にはいかない状況になっています。
そして、子供を巡る問題は、子供の成育環境の問題と人材育成としての教育環境の両面から捉える必要があるのですが、前者のことに矮小化して捉えがちです。つまり、単なる「子守り政策」と考えるフシがあります。幼児期から大人まで、子どもと大人という変な区切りをすることなく、日本に縁があった人間の能力を開花させるために国家が全面的にバックアップする体制をトータルで考える時代が来たのです。日本に縁があったとしたのは、外国人の子供たちの教育について何も考えられていません。自治体によっては、支援学級の中で授業を受けさせているケースもあります。
子供が勝手に大きくなる時代ではなく、一人ひとりの子供の才能を早期に見極めて、その子の生きがいと社会のニーズに合わせてホームメイドの教育を提供する時代です。
(「三菱UFJ銀行」)
3番目に考えるべきは、少子化と地方創生問題
少子化は自然現象ではなく、社会現象なので、その原因を分析して、それを除去してしかるべき対策を立てれば少子化は解決します。
少子化は原因が複雑に絡み合っているので、何かをしたからといって効果がすぐに出てくる訳ではありません。中には、男性の育児休暇をとりやすくして、その割合が増えれば少子化が解消されるという意見を言うヒトがいますが、そういう単純な問題ではありません。
人口減・少子化といった難しい問題に遭遇した場合は、必ず基本、つまり歴史の中に解答を求めるようにします。そうすると、答えが見えてくることがあるからです。少子化ということは、家族の再生産が上手くいっていないということです。そして、日本の歴史を見ると、家族を地域が支えてきた長い歴史があります。大陸には、そういった考え方はありません。要するに、地域の崩壊が少子化に繋がっているということです。つまり、少子化対策をする場合は、夫婦や子供に焦点を合わせるのではなく、地域の創生に焦点を合わせることが必要です。そして、地域の復興というのは、日本の場合は文化の復興と同じ意味ですので、地域の文化・教育を丸ごと視野に入れた復興計画が求められるのです。
3.11があり被災地の復興のため、国・行政が動きました。先般の五輪も復興五輪ということが掲げられましたが、不発に終わってしまいました。復興を単にインフラの復興と捉えていたからです。防潮堤を高くして災害に強い街並みを用意すれば、また元の住民が帰ってきてくれると思い込んでいたのかもしれません。人間はそんなに単純ではありません。特に、農耕民族の血を受け継いでいる日本人の場合、土地と家族と個人を切り離して考えない方が良いと思います。災害によって失われたものは、3つあります。社会資本(インフラ)と人間関係と地域の文化です。この3つを1セットで考えた復興を計画しなければ、上手くいきません。インフラだけ復興しても、新しい街並みに虫食い的に戻ってきた住民がポツンポツンと家が建てられた状態となるだけです。
物事は大局的に見て戦略と方向性を定め、現場の状況に合わせて細かい戦術を立てます。人口減・少子化については、そもそも戦略と方向性が定まっていません。この状態で、保育園を増設するなど個別具体的に地方の行政が動いても殆ど効果は出ません。太平洋戦争と同じ過ちをしています。太平洋で戦いたいのか、大陸で戦いたいのか、一体何のために戦争をしているのか、最後は神風特攻隊という気の狂ったような方針を出して必然的に負けました。このままでは、第二の敗戦をまた味わうかもしれません。
以上が日本の国家にとって最重要な問題として考えるべきことです。こういった観点から各候補者の主義,主張を判断すると高市早苗候補が一番的をついていると思われます。河野太郎氏が一番有力だという下馬評ですが、中国は彼に当選して欲しいと思っていることでしょう。
(「アメブロ」)
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