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日韓の関係改善がすすむ ―― 韓国外交は中国との緊張関係のなかで培われたもの

女性

「韓国との関係が急速に改善されていますが、この状況に驚いています」

「大統領制の国なので、トップが変わった途端に外交方針が180度変わってしまうことはよくあることです」

女性

「だけど、本当に見事に180度位変わってしまいましたね」

「前の文大統領は北に顔を向けて、今度の尹大統領は日本に顔を向けていますからね」

女性

「何でこういうことが起きるのか、よく分からないのですが……」

「もともと尹大統領は親日家な上に、北朝鮮のミサイルや核開発に対して脅威を抱いているということだと思います」

女性

「韓国の世論はどうなんですか?」

「大統領の対日外交については賛否半々というか、反対が多いと思います。根強い反日感情は消えていないでしょう」

女性

「日本は韓国に対する批判の雰囲気は一気に無くなった感じですが、随分対照的だなと思っています」

「国民性の違いがこういうところに出るのだと思います」

女性

「あれっ、この前までは断交で良いとおっしゃっていませんでしたか?」

「日本人は握手をしてくるその手を払いのけることは出来ないのです」

女性

「「心痛む」と岸田総理は発言しましたが、大丈夫ですか?」

「大丈夫というのは、手のひら返しですか? 彼が大統領の間は大丈夫だと思います」

女性

「日本は竹島のことは言わないのですね。向こうが徴用工なら、こちらは竹島を言えば良いと思いますけど……」

「ここも日本的な対応ですね。相手の立場を優先して、自分の言い分を抑えてしまうのです。日本人の特徴でもあります」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は外務省提供のものです」

 日本はボートピープルが作った国

太古の昔から日本列島に大陸や半島、そして南の島々からも多くの人が手漕ぎのボートに乗って渡ってきたと思われます。日本は様々な地域から来たボートピープルが作った国なのです。

様々なルーツを持つ人たちが長い年月の中で混血し、日本人という世界でも独特の「民族」が形成されます。単一民族という人もいますが、外見の違いがかなりありますし、ルーツもバラエティーに富んでいるので、単一民族とは言えないのではないかと思っています。

一重まぶたの人もいれば二重の人もいます。体毛が濃い人薄い人、顏の彫りが深い人浅い人、耳の大きな人もいれば小さな人もいます。北方系、つまり大陸や半島にルーツを持つ人は、面長な顔に一重まぶた、体毛は薄いという遺伝子をもっています。南方系はその逆です。

韓国語と日本語は語順が同じです。主語があり、最後に動詞が来ます。中国語、英語は主語の次に動詞が来ます。発音は韓国は子音文化で日本は母音文化ですこの母音文化は南方系の人たちが持ち込んだものです。このように日本は全てのものが混ざり合い一つのかたちになった国です。日本は周りが荒海に囲まれた島国なので、喧嘩しても相手が嫌いになっても逃げていく場所がありません。そういう地理的環境が融和の心を生んでいったのではないかと考えられます。

(「今すぐ中国語」)

 韓国外交は中国との緊張関係のなかで培われたもの

日本と韓国、ルーツの点で半分位は重なっていますが、文化、風習、モノの考え方がかなり違います。その原因の一つは中国の存在です。中国は古代から周辺諸国に対しては威圧的でした。朝鮮半島には監視組織である楽浪郡や帯方郡を置いたこともあります(下図参照)。弱みを見せれば植民地にされる、そういう恐怖心を抱きながら2000年以上にわたって半島で暮らしてきたのです。

中華思想を受け入れつつ、完全には服従しない。抵抗する時は抵抗し、モノを言う時は恐れず言う。朝鮮の人たちは、一度も中国に支配されたことはありません。外交術のなせる業だと思います。彼らの外交上手は、中国との長年にわたる緊張関係のなかで培われたものなのです。日本は島国で太平の時代を2000年近く過ごして来ていますので、外交が上手いはずがありません。常に、相手国の手玉に取られているような外交をしています。今回の韓国との外交も、余りのめり込まないで、適当な距離を置くことが大事だと思っています。スポーツで言えばプロとアマ、対峙した時にすべて見透かされていると思います。

「近所とは遠く付き合え」。先人が遺した言葉です。

(「TEKIBO」)

 朝鮮は中国の科挙の制度を採用

朝鮮が中国から受け入れたものの中には科挙の制度があります。官吏(国家公務員)の登用試験のことです。皇帝に仕える人材を選ぶ試験ですが、中国も朝鮮も儒教によって国を治めようとしたので、儒教の試験をする必要があったのです。

この科挙に受かれば身分は関係なく破格の待遇が待っています。合格は大出世を意味しますので、当然試験は大変難しいものでした。中には10数年受け続けても合格できず、諦めてしまった人も多くいますし、そのことを根にもって反乱を企てた人もいます。

中国では科挙の制度が清の時代まで続きます。6世紀の隋の時代に採用され、1904年に西太后によって廃止されるまで約1300年続きました。止めた理由は日清戦争の敗北です。世界一難しい試験によって採用した優秀な人材がいるはずの清が、試験制度のない日本に負けたことがショックだったようです。

ただ、皮肉なことに日本はその後科挙を真似して高等文官試験を導入します。戦後は国家公務員上級試験として現在まで受け継がれています。ペーパー試験だけで国家の人材を賄うことの是非を議論する時代なのかもしれません。

(「古代中国の試験地獄/ ニコニコ」)

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