「前回は、縄文人のゲノムの10%位を現代人が受け継いでいるという興味深い話がありました。あれから思ったのですが、受け継いでいれば、それは当然顔形とか、食べ物の好みなどにあらわれると思うのですが、その辺りはいかがでしょうか」
「分かっていることは、皮膚の色は濃い目、シミが出来やすく、髪の毛は細く巻き毛、油っぽいものを好み、アルコールに強い。こんなところですかね」
「私の家族に、アルコールに強い人と全くダメな人がいるのですけど、前者が縄文系で後者が弥生系でしょうか」
「それだけでは判定できませんけど、将来的には個人の染色体ですべての起源が分かるようになるだろうと言われています」
「凄いというか、知りたくないというか、複雑な気持ちです。知らないことでロマンを感じることが出来ますものね」
「とにかく縄文時代が約1万年という物凄い長い期間であったことは分かっています。そして、その時代に対する関心が考古学的な部分の解明だけでなく、現代とつなぎ合わせて考えていく視点も必要ではないかと思っています」
「ゲノム解析が一つの手がかりになるという話でしたよね」
「日本人の性向や価値観などに影響を与えていると思っています。問題意識をもって調べれば、様々なことが分かってくるはずです」
「時代が変わっても、意外とそこに住んでいる人たちの価値観的なものは変わらないのではないかと前におっしゃっていましたよね」
「人間は血統が縦軸だとすると、生まれ育った地域が横軸になります。そして、それが長年続けば、DNAの中に因子として刻まれていくのではないかと思っています」
「日本の風土が日本人を育てるということですか?」
「「その土地の水」という言い方をします。人間は周りの環境に合わせて、知らず知らずのうちに周りに自分自身を馴染ませていくのだと思います」
「それも生きる知恵ではないでしょうか。ここからが本論です ↓」
縄文時代は、日本文明の基礎を形づくった時代
日本の歴史を見る時の視点として、日本文明という見方が重要だと思っています。古代四大文明ということで知られているものは、古代のある期間で終わっています。それぞれの民族の王朝が終わった時点をその文明の終焉と考えているからです。
文明として認められるためには、ある程度の限られた地理的空間の中に、共同体意識をもった人たちがある程度の期間に於いてつくり出した精神的、物質的な成果として評価されるものがあることが必要です。
日本は世界最古の歴史をもった国ですが、縄文時代と日本の古代を繋ぎ合わせることができれば、現在進行形の日本文明として主張できると思います。文明として認定されれば、そのことが安全保障に寄与するのではないかと思います。日本周辺が少しきな臭くなってきました。日本文明認定は、侵略を考えている国に対して、無言の圧力となるはずです。
日本語――世界で特異な言語
日本語は世界の言語と比べると、特異性が際立っています。まず、表意文字(漢字)と表音文字(ひらがな、カタカナ)の両方を使う民族はいません。そして、日本語は母音言語と言われるように、母音と子音の組み合わせで音を発して言葉を作っています。そのため、50音の他は濁音と半濁音ですべてですが、全部で112しかありません。ちなみに、英語の音節は8千以上あると言われています。
母音文化のため、作詞家は大変苦労するという話を聞いたことがあります。発信する情報が、英語に比べてかなり少なくなってしまうということです。どういうことか。例えば、「私はあなたを愛している」と仮に歌詞にした場合14音が必要ですが、英語の場合は、アイ・ラブ・ユーの3音だけで良いということです。英語の歌詞にアイラブユーがやたら多く出るのに、日本の歌には全くないというのは、使ってしまったら、何故愛しているかの理由が書けなくなってしまうからです。
その情報量の少なさを何でカバーするのかと言うと、オノマトペ(擬声語)とイメージを持たせるような言葉を選ぶということです。多くを語らず、凝縮した言葉にして、そこから聞き手にいかに多くのイメージを持たせるか、それを芸術にまで高めたのが和歌、俳句、川柳です。
「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ」(宮沢賢治『風の又三郎』冒頭)
「ほろほろと山吹ちるか滝の音」(松尾芭蕉『笈の小文』)
「凍えそうなカモメ見つめ泣いていました。あああ 津軽海峡冬景色」(石川さゆり)
オノマトペを使うことによって、イメージをもってもらったり、作者の気持ちに共感させたりということで情報量を補おうとします。日本人は論理的に考えるのは苦手だけど、情や直感で考えるところがあると言われていますが、それは日本語のなりたちと関係が深いと思います。
(「俳句の教科書」)
日本語の特徴から日本人の起源を探る
日本語はどこから来たのかということですが、大陸や半島の人たちは子音文化ですので、周りから持ち込まれたとは考えられません。日本人はどこから来たのか――騎馬民族が日本列島に渡ってきたというトンデモナイ珍説もありますが、縄文人たちが自然宗教を成立させる過程で、独特の日本語を形成していったと考えるのが一番素直だと思います。
母音はどういう時に使うのか、というと感情を表す時に使われやすいと思います。神に対して祈る場合、専ら母音の「あ、う、お」辺りを使ったと思われます。西洋は一神教なので週1回の祈りだけ、日本は自然宗教、神さまに囲まれて生活するようなもの。母音の使用頻度が自然と多くなり、日本語の基本的な音として成立していったのだと思われます。
比較言語学者の小泉保氏も『縄文語の発見』の中で日本語は縄文期から存在し、琉球語以外に近接する他の言語は見当たらないと論じています。母音文化も独特ですが、品詞の並べ方も独特です。主語を最初にもってきて、最後に動詞をもってくるのが日本語です。大陸や半島は、英語と同じで主語の後に動詞が来ます。
日本人の祖先を考える場合は、単純に可能性ということではなく、言葉という重要な道具をどのように使っているかという視点から、分析的に考える必要があるのです。
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