
「昨日は天皇誕生日でしたが、一般参賀に訪れた方が約2万人だそうです」

「そんなに多くの方が皇居に行かれたのですね!」

「多くの国民が天皇家の将来を気にかけておられると思います」

「今の状況は心細い限りですからね」

「皇室には、悠仁親王と同世代以下の男子皇族はおられません。秋篠宮家以外には、常陸宮、三笠宮、高円宮がありますが、いずれも宮家を継がれる皇族がおられないのです」

「そうすると、いずれは廃絶ということでしょうか?」

「何の手も打たなければ、そうなりますし、そうなると皇統そのものの存続が難しくなります」

「そもそも、宮家が少ない気がしますが……」

「敗戦後にGHQの指示により、11宮家、計51人が皇族の身分を離れることになったのです」

「その方々をすべて皇族として復帰させれば良いのではないかと思っています」

「予算の関係でそれは難しいので、国民民主党は離脱した11宮家の中で男子がいる宮家をそのまま皇族に復帰させれば良いではないかと言っています」

女「成る程、それが良いかもしれません」

「今日(2/24)の各党代表質問でも出てくる話題です。事態の進展を見守りたいと思います。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「You Tube」からのものです」
すみやかな皇室典範改正の実現を
今回の衆議院選挙によって、女系天皇や女性天皇の議論を強く推進してきた勢力が大きく後退しました。その結果、皇位継承に関する建設的な議論が進む環境が整いつつあります。皇位継承の在り方は、時間的猶予の少ない課題です。議論もある程度今まで積み重ねられてきましたので、後は決断だけが待っているような状況だと思います。
政府の有識者会議が令和3年までにまとめた報告書では、皇統が父方に天皇を持つ男系によって受け継がれてきたという伝統を踏まえ、秋篠宮家の悠仁さままでの皇位継承は維持されるべきというのが、基本方向として示されました。
また、女性皇族の配偶者と子は皇族としないという見解を示し、女系天皇への道筋を断つと同時に、養子縁組による旧皇族の男系男子の皇室復帰案などを提示したのです。今国会において冷静かつ慎重な議論を尽くし、皇室典範の改正にまで進むことが期待されます。

(「FNNプライムオンライン」)
過去の皇統の危機をどう乗り越えたのか
長い歴史の中には、皇統の危機が何回かありました。古代においての最初の危機は、第25代武烈天皇(498~506)が亡くなった時にありました。武烈天皇には皇嗣(こうし)がいなかったのです。そのため、越の国(福井県)から応神天皇の5代目の子孫にあたる男大迹王(おおどのおおきみ)を第26代継体天皇として迎えています。
なお、継体天皇は武烈天皇の妹と結婚して、安閑(第27代)、宣化(せんか/第28代)、欽明(第29代)の三代の天皇の父となりました。
13世紀中頃の鎌倉時代にも、皇統の危機がありました。この時の原因は、皇位継承権をめぐっての争いでした。後嵯峨天皇が上皇となり、息子が順番に後深草天皇(第89代)、亀山天皇(第90代)と即位しますが、兄の皇統と弟の皇統のどちらを正統とするかという争いに発展します。これが南北朝時代の原因となります。この時の対立は、室町時代の3代目足利義満の時に解決します。南朝(大覚寺統)の後亀山天皇が北朝(持明院統)の後小松天皇に「三種の神器」を引き渡して南北朝が統一されると同時に皇統が再び一本化されます。以後、このような争いになることを避けると同時に皇統を守るために、宮家の創設によって男系血統を守る制度的工夫が行われました。

(「Discover Japan」)
天皇の本来的役割と統治原理
天皇は本来的には「シラス者」として遇されるべきです。現在は、単なるシンボルですが、本来的な在り方ではありません。
古代の大王(おおきみ)の時代が何百年と続き、天武天皇の時代に「日本」の国号と「天皇」という称号を新たにスタートさせ、そのことを『日本書紀』と『古事記』に書き込みます。『日本書紀』は中国向けに正式な漢文で書かれ、『古事記』は国内向けにヤマト言葉を交えて統治のあり方について、陰陽の原理から説いたものです。
それ以来、約千百年間、日本は「シラスーウシハク」体制、つまり権威者と権力者を分けた上で、両者の協力のもと、日本を統治してきたのです。シラス(治ラス)は広義の統治を意味し、ウシハク(領ク)は力による統治を意味します。欧米の考え方は、一人の統治者が権威と権力を一身に背負って人民を支配しますが、日本の場合は権威と権力を分けた上で、地方分権体制によって治めるという考え方です。
しかし、明治以降の中央集権国家体制の確立によって、この二元的構造は大きく変質しました。天皇は憲法上は「統治権の総攬者」とされたものの、実際は単なる権威の象徴として遇されるようになります。だから実際に、明治以降敗戦まで、天皇は日本が関わった戦争に対て、悉く反対していたにも関わらず、すべて無視されたのです。現在のシンボルは、その延長線上の“姿”です。かつての律令の時代に定まった「シラスーウシハク」体制が、明治を境に崩れてしまい、それが結局現在の皇統の不安定さを招いているという見方も成り立つと思っています。

(「ことのはそだて」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓