「普段、ストレス解消としてどんなことを考えていますか?」
「私は、カラオケです」
「この前、テレビの番組で実証実験をしていましたね。そう言えば。カラオケはストレス解消にかなり有効みたいですね」
「その番組を私は見ていないのですが、どういう内容でしたか?」
「歌を歌う前と、歌った後で唾液の分泌を調べるという実験でした」
「唾液の分泌の変化で、ストレスを受けているか、受けていないかが分かるのですか?」
「今の最新科学で分かるのです。リラックスしていればしている程、唾液の量が出るそうです。番組では歌う前と、歌った後の唾液量を実際にデータとして示していました」
「カラオケをした後は、すっきりするのですが、科学的な裏付けがあるということですね」
「そうですね、ただ人間は精密機械なので、様々なプレッシャーを感じる動物です。カラオケだけをしていれば解消される訳ではありません」
「そりゃあそうですね。上手く歌えなくて、逆にストレスがたまる人もいるでしょうし、歌うことが好きではないという人も当然いますよね」
「そこが、人間という生き物の厄介なところです」
「ストレスと言っても、様々な種類というか、原因がありますよね」
「そうですね、それを見極めて論じる必要があります。根を詰める、という言葉がありますよね。私は一つのことに集中し過ぎてはいけないのではないかと思っています」
「何か、逆説的な意見ですね」
「集中は大事です。し過ぎが良くないということです」
「過ぎたるは及ばざるが如し、ですか? どうすれば良いですか?」
「人間は多面的な能力を兼ね備えた生き物です。スポーツ、芸術、学問など様々な活動に対応できるようにつくられているはずです」
「それぞれの能力を十全に発揮してあげないと、ストレスとして積み重なってしまうということですか?」
「簡単に言えば、そういうことです」
「それが実証できれば良いと思います。ここからが本論です ↓」
カレルの人間に対する深い洞察力が、多くの人の共感を生んでいる
アレキシス・カレル(1873-1944)の『人間 この未知なるもの』を紹介したいと思います。アレキシス・カレルは、1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。この本は、1992年に出版されたのですが、2011年の時点で9刷を達成しています。彼の人間に対する深い洞察力が多くの人の共感を生んでいるのです。
人間とは何かという、単純で難解な問題があります。それに正面から取り組んだのが、カレルのこの著書です。こういった哲学書であり、生理学書を読む意義はどこにあるのか、ということですが、思想的なストレス解消に役立ちます。多くの違った意見を採り入れることは、頭の思考回路に栄養を注入することにもなります。
つまり、人間には必ずクセがあります。スポーツする時のフォーム。プロの選手でもすべて違います。その人のクセがあります。同じように考え方のクセがあり、クセには良いクセと悪いクセがあります。良いクセを伸ばして、悪いクセが出ないようにすることが大事なのですが、同じ思想的環境にいれば気が付きませんが、環境が変わればふと立ち止まって気が付くこともあるのです。
俯瞰的、客観的に見ようとすることによって、ストレスを解消する
ストレスを他の言葉で言い換えると、圧迫、プレッシャーとなります。ストレスの原因となっているもの、それを一つの方向から常に受け止めようとするために、本人にとって負担となるのです。寝ても覚めても、同じことを考えていれば、自分の中にプレッシャーが増幅します。
どうすれば良いのか。いろいろな方法があります。一般的に行われるのは、気をそらす、気を紛らわせるということです。仕事のことでストレスを感じているのならば、仕事を忘れるようなことをすれば良いということです。旅行に行ったり、スポーツを楽しんだりということだと思います。
基本的な対処法は、その場から逃避的に対応するか、あるいは対抗的に対応するか、それともその場面を俯瞰的、客観的に見ようとするかのどちらかだと思います。3通りの対処の仕方がありますが、お薦めは後の二つです。
俯瞰的、客観的に見ようとすることによって、ストレスを解消するのが、一番ベストと考えます。
カレルの言葉を紹介します――「人間というものは、自然界のどこにも見当たらない。各個人がいるだけである」
確かに、抽象的な人間はどこにもいません。能面のような顔をした人間は、どこを探しても見当たりません。ただ、人間の能力は高いため、その抽象的な人間の立場に立つことができます。
そして、実際には、普遍と個別、人間と個人の両方が必要だと説きます――「われわれは2つの異なった世界に住んでいる」と、カレルは言います。その「2つの異なった世界」というのは、現実の世界と、それを象徴した世界だと言います。中国古代の思想家の荘子も、2つの異なった世界を自由に行き来できることを逍遥遊(しょうようゆう)と言い、それができる人間を真人(しんじん)と呼び、理想人と考えました。
現実の世界は1つしかないのですが、それを様々な角度から見て、いろいろに解釈することが出来ます。「象徴した世界」は複数存在します。どれが正しいかという問題ではなく、どれも正しいと考え、最終的な正誤を決めるのは、政治の問題なのかもしれません。
隣国はよく歴史認識という言葉を持ち出します。歴史認識は複数あっても良いのです。唯一絶対の正しい歴史認識というのはありません。そういった立ち位置をしっかり定めることが大事なのです。
人間についての科学が最も遅れ、最後になって関心をもたれる
「人間とはいかなるものか」「何が人生の原動力となるのか」――いずれも、カレルの問いかけです。そのような問いかけを、政治的指導者と教育関係者は絶えず自問自答をしている必要があります。自分への問いかけが、国民への問いかけとなり、教師であれば子供たちへの問いかけとなるからです。
「現代人は、筋力よりも神経の抵抗力、知性、道徳的エネルギーを必要とする」。これもカレルの言葉ですが、この言葉の意味は、目に見えることよりも、見えないことに気を配れということだと思います。
神経の抵抗力を一番最初に挙げたことに着目して欲しいと思います。ストレス過多の時代です。国際的な関係や国内動向など、ストレスの元となるような事例は山ほどあります。ただ、そういったストレス社会を生き抜くためには、知的能力と道徳的な行動がとれる実践力が必要ということです。
読んでいただき、ありがとうございました。
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