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『君たちはどう生きるか』「学術会議法前文」「憲法前文」を一つに繋げる / 世界のためという無国籍イデオロギーの怖さ

  • 2020年11月28日
  • 2020年11月29日
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「あなたは、世界の一員として生きたいですか?それとも、日本の一員として生きたいですか?」

女性

「えっ、また、いきなりステーキですか?」

「コロナ禍で苦戦しているみたいなので、たまにはと思ってね」

女性

「日本は世界の中に存在しているので、世界のことを考える必要が当然あると思います」

「ということは、世界の一員として生きたいと思っているということですか?」

女性

「ちょっと待って下さい。私はあくまでも理屈を言っただけで、実際には世界全体のことは分かりませんので、日本の一員として生きたいと思います」

「そういうふうに、言い切る雰囲気が日本の中に無くなって久しいのです。世界というと格好良いのですが、言葉を変えると無国籍です」

女性

「世界が優先、そして無国籍的な発想となり、日本が二の次ということになって来るのでしょうか?」

「世界がお花畑の世界であるならば、世界の一員として生きても良いし、日本の一員として生きても良いと思います。ところが、そうはなっていません」

女性

「確かに、そうですね」

「ただ、それを直視しようとしない人が、かつての時代もいましたし、現代にもいます」

女性

「世界標準が日本にとって正しい道とは限らないということですね。ここからが本論です ↓」




 ベストセラーの『君たちはどう生きるか』を分析する

『君たちはどう生きるか』の著者の吉野源三郎氏(1899~1981)は、戦前から戦後にかけて活躍された方で、雑誌『世界』の初代編集長を歴任した方です。


本書は、1937(昭和12)年8月に山本有三編「日本少国民文庫」の第5巻として刊行された吉野源三郎(1899~1981)作の児童向け長編小説です。日本の児童文学における倫理小説の草分けであるとされています。この書が2017年に漫画本として発売(文庫本は1982年に発売)されると、200万部を超えるベストセラーになったのです

物語は、コペル君こと中学二年生の本田純一が、その叔父をよきアドヴァイザーとしながら、級友たちとの事件や交流を通して精神的に成長していく様子が描かれています。

コペルというのは、地動説を唱えたコペルニクスからとった名前でしょう。そこには、今までのモノの見方を180度変えなければいけないという著者のメッセージが込められていると思います

「生産関係」という言葉を使っていますので、マルクス主義の影響が見られます。当時の日本には検閲がありましたので、共産主義的なものは出版しにくかったのでしょう。検閲に引っかからないように、例えば結論を敢えて書かないで、考えさせようとしたりして分からないような工夫がしてあります。

「今日、世界の遠い国と国の住民同志が、どんなに深い関係になっているかということは、また折を見て話すとして、とにかく、ここに言ったような関係が人間の間にあって、それを学者たちは、『生産関係』と呼んでいる。つまり君は、粉ミルクから考えていって、この関係に気がついたのだ」(吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫)

生産ということと、生産関係の存在に気付いたコペル君は、やがて目覚めて社会の正しい法則を知ることになるだろうということを匂わせながら物語は終わっています。

社会の仕組みや人間についてのつながりなど、本質的な問題を少年の目から真摯に問いかけ、それに対して「叔父さん」がアドバイスを与えるという構成になっています。作家の佐藤優氏は、この本のネタ本はソ連の独裁者スターリンが書いた『弁証法的唯物論と史的唯物論』だと指摘しています。そうなると、この「叔父さん」はマルクスということになるのでしょうか。

当時の日本で、このように「無国籍」の人の生き方が書かれること自体が珍しかったと思われます。生き方とくれば、多分当時は伝記から学ぶという時代ではなかったかと思います。戦国時代や明治維新、日清、日露戦争で活躍した軍人たちの伝記を競って読んでいた時代だったと思うからです。

ただ、これが時を経て平成の時代に出版されると、皮肉にも無国籍的な考え方が横行する時代の中で、自然に受け入れられたということだと思います。

 

 『君たち』と「学術会議」と「日本国憲法」は一つの線で繋がる

日本学術会議問題がまだくすぶっているようですが、「日本学術会議法」には短い前文があります――「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」

この法律は、占領下の1948(昭和23)年に制定されています。とにかく、アメリカは2度と日本がアメリカに歯向かわないように様々な「仕掛け」をするのですが、日本学術会議の創設もその一つです

最新兵器を日本がこれから研究し、作ることを考えるかもしれない。そうならないように、科学者たちの動きを牽制するための組織を作っておく必要があるとの判断があったことは確かです。その際の「理屈」が「人類社会の福祉に貢献」することであり、「世界の学界と提携して学術の進歩に寄与すること」だったのです。

この手法は、日本国憲法の前文にも取り入れられています世界の一員であることを自覚させるために、これでもかという位に随所に盛り込まれています。以下、具体的にピックアップしてみました。

 

「諸国民との協和による成果…」

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」

「圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を」

「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から……」

「政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務である」

 

以上、全く関係のないように思われる『君たちはどう生きるか』、「学術会議法前文」、「日本国憲法前文」が1つの線で繋がったのではないかと思います。

 

 世界のためと言いつつ、無国籍イデオロギーを受けて亡国の民になる

これらは「無国籍」という名の一種のイデオロギー攻撃です。そういったものを、無意識のうちに浴びていたのです。イデオロギー攻撃を長年受けると、日本人としての自覚が徐々に薄れていきます。

それがどういうところに現れるかというと、一番弱い環に出てきます。子供や女性、あるいは障害をもつた方々に様々なかたちで出てきます

いじめや虐待が、そういったメカニズムの中で発生しますし、イデオロギーが浸透すれば、それに比例して増えていきます。女性に対するハラスメントや障害をもっている方たちを大量に殺したという事件が近年起きています。それも、個人的で偶発的な事件としてではなく、社会的な背景を踏まえて起きた事件との見方をする必要があると思います。社会的に起こることは、必ずそこに社会的事情があるはずです。

そして、今後対策も何もしなければ、負の集積物が社会にたまることになり、無表情の日本人が大量に日本列島に現れることになります。その兆候がすでに表れています

問題意識をもって社会を観る必要があります。改善に向けて、一つひとつ実行することが大切です。

とりあえずは、憲法改正でしょう。そういう動きがありますが、条文に関心が集まっています。一番重要なのは前文です。今の憲法は、「日本」の憲法ではなく、無国籍の文章になっています。日本の歴史と文化、さらには伝統について書き込むことが大事なのです。

読んでいただき、ありがとうございました。

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