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階級社会は死語になった / 労働力ではなく、データやアルゴリズムが価値を運んでくる時代

「橋本健司著の『新・日本の階級社会』(講談社現代新書、2018年)を紹介しつつ、その内容について批判的に検討したいと思います」

女性

「まだ、現代を階級社会だと思われているということなのですね」

「表題を見ると、そういった認識だと思います」

女性

「階級というのは、固定的なイメージをもっていますので、日本が階級社会といわれると、違うでしょと思わず言いたくなりますけど……」

「階級という概念は、確かに固定的な身分社会を前提にしています。士農工商の身分制社会から四民平等の世界になって150年以上の月日が流れています」

女性

「今はもう身分制社会ではないのに、敢えて階級という言葉を使っているのですね」

「その真意はよく分かりませんが、善意に解釈すると、平等と言いながら、実際には物凄い格差社会になっている、さらにそれが固定的であると警告をしている書として読めるかもしれません」

女性

「ちなみに、どのような階級、そしていくつに分かれていると言っているのですか?」

「今の日本社会を、『資本家階級』、『新中間階級』、『正規労働者』、『旧中間階級』、『アンダークラス』の5つに分けています。最大の問題は、貧困層を含む「アンダークラス」と呼ばれる階級が拡大の一途にあると指摘しています。現在は、929万人ですが、2025年には1000万人を超えると言っています」

女性

「それを何とかしなくてはいけないという発想なのでしょうね」

「そうだと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」




 階級社会は消滅している

今でも時々、亡霊のように階級という言葉を使う人がいます。新という単語を付けての再登場という感じですが、今の社会は民主的で流動的な社会です。「階級」という言葉が基本的にはなじまない社会なのです。

橋本健司氏は早稲田大学の社会学の教授ですが、彼の研究によれば、現代日本は下図に示すような五階級に分断されているとのことです

 

「アンダークラスの中心となっている非正規雇用の労働者は、正規雇用の労働者と比べると、不安定な状態に置かれており貧しい。貧困のために結婚して家族を形成することさえできない状況は、倫理的にも非常に問題です」と言います。

アンダークラスの平均年収はわずか186万円、世帯年収でも343万円にとどまる。そして男性の実に3分の2が未婚とのことです。

問題なのは、そのことを階級的に捉えるかどうかです。どういうことか。つまり、本人の生い立ちや身分によってその境遇に押し込められてしまったのかということです。そして、階級という場合はどうあがいても抜け出せないということを意味しています。武士に生まれれば死ぬまで武士、農民に生まれれば死ぬまで農民です。身分が固定的に定められ、居所もその範囲が定められます。農民が城の近くには住めません。現代はそういう世界ではありません。階級という言葉は歴史的用語であって、現代では無縁の言葉です。

親の境遇をそのまま引き継いで、現在も下層社会から抜け出せないままということはないのではないかと思っています。

憲法に平等権が明記されて約4分の3世紀経ちました。階級という言葉はもう死語にしても良い時期ではないかと思っています共産党が資本家階級、労働者階級という言葉を使いながら、日本社会を階級的な対立社会であるかのように言っていますが、大いなる誤解であり、錯覚でしょう。

現在は職業選択の自由がありますので、義務教育を過ぎ、一定の年齢になれば自分に合った職業に就くための努力ができる社会です。職によっては様々な条件がありますし、人気不人気もありますのでフリーパスではないので希望通りとは言えませんが、少なくとも門前払いがない社会であることは確かです。だから、後は与えられた条件の中で、自分の能力を最大限に発揮できる天職を見出すべく努力をするしかないと思います。

 

 「人間は自由という刑に処せられている」(サルトル)

どんな職業も自由に選択できるのですが、その自由が故に実際には、苦しむ若者もいます。かつて、フランスの実存主義の哲学者サルトルは「人間は自由という刑に処せられている」と言いました。

そのことを彼は、現代人の置かれた状況を大海原に漕ぎ出た一艘のボートに例えています。ボートからは四方八方海しか見えません。島影すらありません。当然どっちに行って良いか分かりませんので、不安に駆られます。だけど、それを振り払って社会に飛び込め、アンガジュマン(社会参加)と彼は言うのです。

今の市場経済は競争市場ですので、当然差がつきます。差がつかないようにするのが、政治の責任ですが、基本的には個人主義の世界なので、個人個人の自覚がまず大切です。

その上で、一人ひとりが主権者であり市民としての自覚をもち、自己の能力を見つめ、自己研鑽に勤めつつ、自分に最適な職業を見出す責任があるのです

社会には様々な選択肢が用意されています。普通は高校に進学する時点で最初の選択が待っています。そして、2年次には、文系か理系かという選択があり、大学の学部選択が待っています。第一次産業から第三次産業まであります。どの産業分野に従事するのか、企業に就職する道をえらぶのか、それとも起業をするのか、あるいは経済生活とは直接関係のない教育や福祉の道に進むのか、その辺りは自由に選べるはずです。

 民主社会であり、データ社会は階級社会になり得ず

こういう社会を、どうして「階級」という言葉で説明しようとするのか不思議です。この社会はある意味競争社会なので、年収とか財産ということでランキングをつければ、上から下まで当然出てくるでしょう。そして、かつては上にいたけれど、途中から下になってしまったということもあるでしょう。人生は浮き沈みのある旅です。それは当たり前のことです

冒頭に紹介した橋本健司氏は、日本は階級社会であり、上位の階級の人が下の階級に依存しているという認識のようです。依存つまり搾取していると言いたいのかもしれませんが、それは大いなる誤解です。今やデータやアルゴリズムを駆使したプラットフォームの運営で巨大な富を築いている企業が出現して、自動車産業や電気産業などの企業を凌駕する時代です。貧者の労働力など経済的な力にはなり得ません。つまり支配する者と支配される者という捉え方は、経済的に間違っているということです。

階級社会という見方は、国民をいずれかの階級に属すると考えた上で、階級同士を敵対関係として捉えます。それは、国家を一つの奴隷制社会のような対立したものとして捉えるのと同じです。共産党や立憲民主党は、そういうふうに捉えていると思いますが、基本的な認識において誤っています。

国民はすべて平等です。ただ、経済レースをおのおの戦っていますので、上位の者と下位の者がでますが、順位は現時点のものなので、今後も変動は充分あり得ます

上になりたいと考える者は、21世紀の時代が求めている知力を伸ばすために努力をするしかありません

もし、家庭環境や境遇、病気で努力出来ないとなれば、それは政治と行政の問題なので、関係機関に問い合わせて問題解決を図って欲しいと思います何事も置かれた環境の中で、どのように考え行動するかは自由なのです。社会や今の状況を嘆くのではなく、与えられた条件の中で、少しでも前に進む努力をすることだと思います

読んでいただき、ありがとうございました。

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