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『古事記』は極めて科学的な書 ―— 男女の性を古代の人はどう捉えたのか / 宇宙の原理が神話の中に読み込まれている

女性

「今日は母の日です。お母様に感謝のカーネーションをあげましたか」

「それはもう、バッチリです。朝、線香を立てて挨拶しました」

女性

「亡くなられていたのですね。これは失礼しました」

「いつまで経っても母は母と言いますが、今年で7回忌を迎えますが、幼き頃も含めてそのしぐさや口癖をよく覚えています。ある意味、不思議ですね」

女性

「親の説教と冷酒は後になって効いてくる、と言いますからね」

「何か凄いことを言いますね」

女性

「実はこれは父親が口癖のように言っていた言葉です。思春期の頃、男親と上手くいかなくて、いつも聞き流すようにしていたのですが、その度に言われました」

「父親と娘は大体上手くいかない、母親と息子は大体上手くいく。もっとも、これは私が勝手に作った法則です」

女性

「意外と当たっているかもしれませんよ。ところで、母なる大地とか、母校と言いますよね。やはり、外国でもそういう言い回しはあるのでしょうか?」

「母なる大地は「Mother earth」、母校というのは、「alma mater」です。もともとはラテン語ですが、almaは愛する、materは母の意味です」

女性

「やはり、母を表現として使うのですね」

「そうですね、そういう意味では、地球人として同じ感覚なのだと思います。私も教員の時は、卒業生に、もうこの学校はお前たちの母校なのだから、苦しくなったり、悲しくなったりした時は母校を思い出して、いつでも帰っておいでって言っていました」

女性

「いいセリフですね。それで、遊びにくる生徒はいましたか?」

「学園祭とか、就職したよ、結婚したよということで報告に来る子はいましたが、何か困ったとか、相談で訪ねて来たことはありませんでしたね」

女性

「みんな順調ということなんですね」

「そうだと良いんですが、完全に母校を忘れている人もいると思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 

 『古事記』は、「性」をどのように扱っているのか

昨日のブログで紹介した『偉人たちの日本史』(ビジネス社)の出だしは『古事記』の話からスタートしています非科学的という批判がありますが、日本人が当時の社会状況を観て書いたことは間違いありませんので、一つの重要な資料として扱うべきでしょう。しかも、その中には重要なメッセージが多く入っています。物事を見る時に、先入観があると何も見ることは出来ません。すべて真っ新(さら)の状態で物事を観る必要があります。

『古事記』の中の文章において、男女という観点においては、読み取るべき箇所が2か所あります。一つは、神の性別です。西洋の神は、必ずどちらかです。日本の神はどうなのかということです

『古事記』の冒頭部分で3人の神が現われます。いわゆる、造化三神が登場します。この三神は男神(おがみ)でもなく女神でもありません。両方の性質をもった神様なのです。


(「ドルフィンボルテックス」)

 この世界は陽(+)と陰(-)の原理によって動いている

何故、両方の性質をもった造化三神を登場させたのかということです。これは、この世界の法則を説明するためです。最初に登場するのが、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)です。この神は、登場してすぐにいなくなってしまいますが、実はこの神は、その後すぐに現われる+と-の働きをする神たちの陰のサポート役なのです。陰と書きましたが、最も重要な役割を果たすと言ってもいいかもしれません。

続いて、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と神産巣日神(カミムスヒノカミ)という中性の神が登場します。まず、名前に注目して下さい。1字しか違いません。これらを総合すると、この世界を母のような愛情で天之御中主神がワイファイの電波のように包み、それ以外のものは+と-による原理によって成り立っていると言っているのです。そして、+と-の違いというのは、ほんのわずかの違いと言っています。それが「1字違い」のメッセージとして書き表されているのです。

+と-の働きについて知るのに、一番分かりやすいのが化学式ですすべての元素は+か-で区分できます。水素はH+、酸素はO2-です。+と-の両者で反応しますが、反応する場合と反応しない場合があります。どういうことか。この世界に存在する物質や生命は+と-で表わすことができますが、すべて反応する訳ではありません。それが証拠に、空気中にO2-原子、H+原子として浮遊しているものもいるからです。中には、結合してH2 Oとして存在するものもいるということです。男と女も同じです。すべての男女が反応する訳ではありません。そうなったら、大変なことになります。電車に乗るたび、道路で歩くたびにカップルが誕生してしまいます。そうならないように、天之御中主神が背後で働いていると『古事記』は言っているのです。

(「livedoor」)

 イザナギ、イザナミには性別あり

その後に登場するイザナギ、イザナミは、国生みの神ですが、性別があります。注目したいのは、右に回ったのか、左に回ったのかということです。どちらから声を掛けたのかということにこだわって解説している本もありますが、重要なのはそこではありません。

イザナギは+の電子なので右周り、イザナミは-の電子なので左周りなのに、最初は方向を間違えてしまったので、「水蛙子(ひるこ)」が出来てしまいます。そこで2人は反省をして、先程とは逆に回ったところ、次々と立派な国が産まれたということです。

この逸話から、何を学びとるべきなのかということです。古代の日本人は、男と女は根本的な部分においては違いはないと考えていたことが分かります。それでは、その後の性差の違いは何なのかというと、役割分担の違いだと考えていたのです。つまり、H+、O2-にはそれぞれの役割があり、それぞれ重要で、仮にそれを取り変えてしまったならば、上手くいかないということを「水蛙子」に例えて発信しているのです。

 

そして、この後イザナギの両目からアマテラスとツクヨミ、鼻からはスサノヲの神が現われます。ここでも、この世の存在法則を説明しています。アマテラスは太陽神,従って陽、ツクヨミは月の神なので陰を表します。陰陽の原理で動くことを言っています。

鼻から生まれたスサノヲは何なのかということです。スサノヲは天界にいる時は、傍若無人のまさに荒ぶる神です。ところが地上世界に追放された途端に、善なる神として活躍します。これは、人間の2面性を説明しています。環境によって人間という生き物は、180度変わってしまうと言っています。人間の見方として、性悪説、性善説がありますが、そういう固定的な見方は間違っていると『古事記』は言っているのです

(「草場一壽」)

 神話のかたちにしたのは、中国に原理を知られたくなかったため

こういう話を書くと、そのような大事な法則を説明するのに、どうして分かりづらい例え話を使う必要があったのかと思う人がいるかもしれません。当然の疑問です。実際に、イザナギ、イザナミの国生みの場面は、非常にまぎらわしいです。

これは要するに、中国対策です。古代の日本が最も恐れていたのが、中国だったのです。特に、古事記が書かれたのは712年ですが、その約50年前の663年に白村江の戦いで中国・新羅連合軍に惨敗し、およそ3万人の兵を失ったと言われています

兵力に勝る中国の唐、その帝国が地上の法則を知ってしまったならば、ますます巨大となり手が付けられなくなり、やがては日本は呑み込まれてしまう、そんな恐怖心があったと思います。簡単に言えば、セキュリティーコードをつけたまま『古事記』を編纂したのです。どうすれば良いのか、神話のかたちにして例え話の中にメッセージを託すことを考えたのです。そして、最後は表題です。中国は日本の最新情報を知りたいはず、そのため古いことを書いたということで『古事記』にしたのです。2重3重に用心したのですが、そのため日本人にもよく分からなくなってしまうという事態が起きてしまいます。

『古事記』は懐が深い書物です。関心をもたれた方は、よろしければ私の著書をお求め下さい。



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