「昨日の話の続きですが、結局、韓国の文大統領の来日はなくなったみたいですね」
「今までのように会えば何とかなるだろうという感覚で首脳会談を申し込んできたのでしょ」
「二階幹事長が韓国側に来日を要請したという話も出ていますけど……」
「いずれにしても、事前に懸案事項についての何らかの合意が必要です。その妥協点すら探る動きもなかったですよね」
「質問ですが、韓国の「反日」は戦後の建国した時からずっと続いているのですか?」
「いや違います。ここ20年位ですね。だから、21世紀に入ってから、酷くなったというのが私の見解です。あなたの若い頃に韓流ブームがあったでしょ。「冬のソナタ」に夢中になった方じゃあないですか?」
「そういえば、「ヨン様ブーム」がありましたよね。私の高校生の頃です」
「その頃は、今のような反日はありません」
「きっかけは一体何ですか? 何があったのですか?」
「大きな原因と直接の原因があります。大きな原因は、韓国が日本に経済的にかなり追いついたという自信が根底にあります。直接の原因は、謝罪外交でしょう。マスコミはどちらかというと、後者に目が行ってますけど、前者の視点が重要なのです」
「経済的に追いつくと、どうして反日になるのですか?」
「個人に例えます。同僚の時はやたらペコペコして、出世した途端に威張り始める方がいますよね。中には、パワハラをする輩もいます」
「いわゆる、「手のひら返し」ということですか? 中国と似ていますよね」
「大陸の民族の中に流れているDNAがなせる業(わざ)だと思っています。何千年と、そういった処世術を使って生き延びてきたので、自然に出ているものだと思います」
「であれば、お互い話し合っても一致点など作れないと思いますけど……」
「私は無理だと思っています。実は、日本の先人たちは、はるか昔からそのことを見抜いていたのです」
「ここからが本論です ↓」
「事大主義」と「小中華思想」と「恨(はん)」――「反日」を支える考え方と感情
半島の国を語る時に用いられる言葉としては、「事大主義」と「小中華思想」です。「事大主義」と言うのは、力が大なる国に事(つか)えるという考え方ですが、中国という大国と常に国境を接して生きながらえるために身に付けた合理的な考え方なのかもしれません。
ただ、事えていた相手が自分と対等、もしくは格下になったと思った瞬間から、「手のひら返し」が始まることになります。
しかも、「手のひら返し」の速度が「小中華思想」によって加速されることになります。中華思想というのは、世界の中心を中国とし、周辺国家は文明の遅れた野蛮人たちが住んでいるというものです。半島は中国に近く、日本は大陸から海一つ隔てた、はるか遠方にある野蛮な国という捉え方です。
ただでさえ、そのように速度が倍化するのに、それに加えて1910年に日本に併合されました。併合で近代化の礎が築かれたということより、周辺の野蛮国家に統治をされていたという歴史が許せない、まさに「恨(はん)」の民族感情によって3倍、4倍、5倍と増幅しているのが現在の状況だと思います。
3つの要因が絡み合っての「反日」ですので、話合いなど成立はしません。ひたすら遠巻きに付き合うしかないと思います。解決策は、経済的な力を日本が付けること、これ以外にありません。その点、例えば労働生産性の直近のデータを見ると、韓国に追い抜かれています(日本26位/韓国24位)。さらに国防費は2018年の時点で韓国に抜かれています。2025年には、韓国の国防費は日本の1.5倍になるだろうと言われています。反日はますます酷くなると思います。
(「You Tube」)
半島の古代の歴史を反日の観点から書き換えようとしている
21代雄略天皇の「狼の子のように人に慣れ従わず、ともすれば危害を加える心を持っており、飽食すれば離れ、飢えれば寄ってくる」という言葉が『日本書紀』に残っています。雄略天皇の時代も含めて、記録によると日本が鉄資源を求めて朝鮮半島に盛んに武力進出していたことが分かっていますので、半島の人達の行状を間近に見ていたことでしょう。
4世紀に建てられた「好太王碑(広開土王碑)」が中国の吉林省の鴨緑江中流の北岸に残っています。碑石は高句麗の好太王の時に、百済、新羅を支配下に置き最大勢力を築いたことを後世に知らせる目的で建てられたものでしょう。その「好太王碑(広開土王碑)」については、日本史(山川出版社)の教科書にも記述がありますが、倭(日本)が391年に海を渡り、百済、新羅、任那といった国々を破って臣民としたと書かれています。
ただ、彼らの「小中華思想」に照らし合わせると、あってはならない歴史なので、「好太王碑(広開土王碑)」は日本軍が設置したものだなどと屁理屈をつけて否定しようとします。
(「旅情中国」/好太王碑の観光情報)
韓国の半導体産業は日本を踏み台にして成長した
今や半導体は「産業のコメ」であり、経済発展や安全保障に絡んだ戦略物質になっています。かつては日本の半導体産業は、世界をリードしていたのですが、1990年代以降国際競争力を急速になくします。無くして、韓国の後塵を拝するような状態です。
【世界の半導体市場/国別売上シェア/2020年統計】
アメリカ | 55% |
韓国 | 21% |
台湾 | 7% |
欧州 | 6% |
日本 | 6% |
中国 | 5% |
(「米調査会社ICインサイツ」)
何故、日本の半導体産業が急速に衰えていったのか、そのことについて大前研一氏は86年に締結した「日米半導体協定」がきっかけだったと指摘しています。今月号の『PRESIDENT』の中で、その協定を結ぶ際に日本企業が買う半導体の2割は輸入することという密約が交わされたことを明らかにしています。日本はその密約を律儀に守ろうとして、韓国の半導体産業を育て、そこから輸入することを考えます。そのためには技術移転をする必要もありますので、日本の技術者が九州のシリコンアイランドから赴いて技術協力をします。「ノウハウを学んだ韓国企業が積極的に投資した結果、日本企業は90年代後半に追い抜かれ、寝首をかかれた形になってしまった」(大前研一「文在寅の反日路線に見る韓国人の本音」『PRESIDENT』2021.8)のです。彼がここで言っている韓国企業というのは、サムスングループのことであることは容易に分かると思います。
そんなことから、サムスングループの創業者一族と日本の財界人との関係は深いものがあったとのことですが、日本から吸収すべきものがあったからに過ぎません。大前氏に言わせると、日本との関係に深くこだわったのはサッカーのW杯を共同開催した2002年頃までの話で、今や韓国財界人たちの目はアメリカに向いているとのことです。雄略天皇の「飽食すれば離れ」るという言葉通りです。
「優秀な人材の留学先は日本からアメリカへ移り、米国流の経営を学んでグローバル市場へ目を向けるようになった」(大前研一 同上)ので、必然的に日本との関係は疎遠になります。そして、経済や軍事の指標が日本を追い抜いた今となっては、日本はもう眼中にないので、反日を叫んで今までの恨みを晴らそうということなのです。
日本人も頭を切り替える必要があります。相手は表面上はともかく、心の底ではそっぽを向いています。国の戦略をきちんと立て、大元の経済を立て直す。そのためには、人材育成の戦略も必要です。上辺の外交交渉を繰り返しても韓国の反日は終わりません。大統領が変わったとしても、大きな流れは変わりません。お互い独自の道を歩むことも考える時代です。
今の政府は、近視眼的に対応する場面が多過ぎます。大局観をもって対処することが重要です。
(「年収ガイド」)
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