「明治維新擁護者は、「王政復古の大号令」、「五箇条の御誓文」を過大に評価する傾向があります」
「教科書で明治維新の項目を開くと、最初に載っていますものね」
「維新は単なる薩長土肥の政治クーデターです。ただ、下手をすると単なる反乱になってしまいます。それを防ぐために、まだ即位したばかりの15歳の明治天皇を利用したのです」
「ちょうど代替わりだったのですね」
「その前の孝明天皇が1867年に崩御されていますが、死因を巡っていくつかの疑惑が出ています」
「タイミングが良すぎるからということで、怪しむ人がいたということですね」
「天然痘を患っていたことは確かですが、回復途上にある時に、突然お亡くなりになります」
「ただ、もう検証はできないのでしょ」
「そうですね。過去に戻って検証する訳にはいきませんからね。ただ、毒殺説が出ているのは、藩閥政府は都合よく天皇を利用して、自分たちの政権を固めていったことが分かっているからです」
「孝明天皇がご存命ならば、そういうことはなかったということですか?」
「孝明天皇はシラス者としての自覚を持っておられた天皇です。基本的に薩長土肥側につくことはなかったでしょうね」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「歴史専門サイト『レキシル』提供です」」
「王政復古の大号令」、「五箇条の御誓文」は単なるアドバルーン
天皇が何かを発したり、朝廷から何かの文書が出れば、世の中がそれに応じて動く訳ではありません。社会を動かすためには、それに併せてシステムを作る必要があります。
「王政復古の大号令」は大政奉還の年の12月に発せられます。文字通り読めば、これからは天皇親政政治を行うという意味ですが、明治天皇はまだ15歳になったばかりです。その明治天皇がそのことを天下に宣言するとは考えられません。後ろに黒幕がいたことは間違いありません。
「五箇条の御誓文」も同じです。京都御所の正殿・紫宸殿で1868年4月6日に明治天皇が天神地祇(てんじんちぎ)、つまり天界や地上界に住む神々に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示したものです。教科書には「公布」と書いているものもありますが、一般に向けて発した訳ではありません。それに併せて何か制度をつくった訳でもありません。主に諸藩に向けて、明治政府が「正当」な政府であることを示す狙いがあったのです。要するに、錦の御旗というアドバルーンを高々と上げたということです。
(「明治神宮」)
封建制度という誤ったレッテル
封建という用語の出自は中国です。意味は、土地と人民の支配であり、ヨーロッパの中世社会を説明する言葉として使われたものです。ヨーロッパ中世は土地と農奴を支配する領主がいました。そういう社会を説明する言葉が明治時代に日本に移入され、やがて士農工商という身分制度とともに江戸時代を説明する言葉として使われ始めたのです。
明治以降は近代化という名の西洋化を推し進めた時代です。歴史学者たちが「古代奴隷制→中世封建制→市民革命→民主制」という西洋史観の公式に日本の歴史を当てはめようとしたのです。明治維新を市民革命と捉えるため、江戸期も含めて武家政権の時代は封建時代でなければいけなかったのです。歴史は帰納法的に考えなければいけないのに、演繹的に考えたのです。
そして明治維新によって民主制の時代になったはずなので、歴史学会は「四民平等」という用語をつくって、平等社会があたかも実現したかのように思わせようとしました。実際には、下の図を見れば分かりますが、単に名称を変更しただけのことです。特権階級を温存しつつ、非公選の貴族院を設置しています。なお、選挙権が女性に付与されたのは戦後になってからですし、明治憲法には平等権の規定がありませんでした。
(「ホリショウのあれこれ文筆庫」)
最終的に藩閥独裁政権をつくる
司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、雄藩の下級武士たちが手を結んで維新を成功させ、近代化を達成して、当時の軍事大国ロシアに挑んで辛くも勝利を収める物語です。主人公は秋山兄弟ですが、弟の好古(よしふる)は軍人として生きる決断をします。利己的な生き方を捨てて、利他的に生きる姿を作者は描きたかったのだと思います。
そのような生き方を選択した人は他にもいたと思いますが、その傍ら着々と藩閥独裁政権の地固めを裏で行っていたのです。表面的な歴史事象だけを見て判断するのではなく、制度・システムがどのように作られていったのかを見る必要があります。人間の本音は、どちらかと言うと後者に表れるからです。
実は薩長政府は元老院というシークレットキャビネット(1875~1889)を裏で作っていたのです。何があっても不変な組織、構成メンバーは9人です。1人公家の西園寺公望が入っていますが、議長として緩衝帯的な役割を期待されたのだと思われます。
【元老院メンバー】
伊藤博文 | 長州 |
山縣有朋 | 長州 |
井上 馨 | 長州 |
桂 太郎 | 長州 |
黒田 清隆 | 薩摩 |
松方 正義 | 薩摩 |
西郷 従道 | 薩摩 |
大山 巌 | 薩摩 |
西園寺公望 | 公家 |
この元老院はメンバー固定制で、死去により構成員に空席が出来たとしても補充はしません。一種の「特権的な秘密クラブ」だったのです。戦前は軍部が権力を握ることになりますが、軍部も薩長勢力によって占められることになります(下の表参照)。
【日露戦争で活躍して大将になった人】
陸軍大将 | 海軍大将 | ||
山口 素臣 | 長州 | 山本権兵衛 | 薩摩 |
岡沢 精 | 長州 | 東郷平八郎 | 薩摩 |
長谷川好道 | 長州 | 川村 純義 | 薩摩 |
西 寛二郎 | 薩摩 | 柴山 矢八 | 薩摩 |
児玉源太郎 | 長州 | 鮫島 員規 | 薩摩 |
乃木 希典 | 長州 | 日高壮之丞 | 薩摩 |
小川 又次 | 福岡 | 片岡 七郎 | 薩摩 |
川村 景明 | 薩摩 | 上村彦之丞 | 薩摩 |
伊集院五郎 | 薩摩 | ||
出羽 重遠 | 会津 |
「坂の上の雲」を結局、掴みそこなうことになるのですが、その根本原因は上に示した表を見れば分かると思います。要するに、自分たちだけで凝り固まるような組織や軍部組織をつくるからです。一種の脳梗塞が起きたようなものです。
(「ameblo.jp」)
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