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文科省を解体して地方分権教育を実現する時代  ―― 日本の教育改革の課題と未来  

「あなたが小学校を卒業したのは何年ですか?」

女性

「私はちょうど2000年度に卒業しました」

「ということは、ゆとり教育世代ですね」

女性

「えっ、よく分からないのですが、ゆとり教育というのは、何年から何年まで実施されたのですか?」

「1980年頃から検討されていたのですが、実施は2002年度から2010年代の初期までです」

女性

「私の中学、高校時代がそこに該当します」

「総合学習の時間が設けられた頃ですね」

女性

「みんなは「総合」って、言ってました」

「何をしていたか、覚えていますか?」

女性

「受験校を調べたりしていた記憶があります。進路指導の先生の講話とか、とにかく、受験に関係のあることを調べて発表したりしていました」

「あなたの学校は、いわゆる受験校ですものね」

女性

「自分でいろいろ調べる楽しさはありましたね。ここから本論です ↓ 表紙写真は「読売新聞オンライン」提供です」

 脱ゆとり教育に転換

日本の小中高における教科書の厚みが年々増していることをご存じでしょうか。特に、2011年度から始まった「脱ゆとり教育」の流れの中で、小学校の教科書は20年間で約3倍に、中学校の教科書は約2倍に膨れ上がりました。それに伴い、授業時間も増加しています。かつて「ゆとり教育」時代には年間5367コマだった授業が、2020年度には5785コマとなり、実に418コマも増加しました。

この変化の背景には、日本の教育が「詰め込みすぎ」と批判された時代から、「基礎学力の向上」を重視する方針へと転換したことがあります。学力の低下が問題視され、国際的な学力調査(PISAなど)での順位低下が危惧されたことも、脱ゆとり教育を後押ししました。しかし、その結果、増加した授業時間や学習内容の負担が、教育現場にしわ寄せをもたらしています。

特に、教員の負担増加は深刻です。教科書の内容が増えれば授業準備の手間も増え、授業時間の増加はそのまま労働時間の延長につながります。本来であれば、教員の増員によって負担を分散すべきですが、自治体の財政事情により十分な教員補充が進まないのが実情です。その結果、多くの教員が過重労働を強いられ、精神的・肉体的な負担が蓄積されています。

こうした状況は、教職を目指す若者の減少にも影響を及ぼしています。過酷な労働環境が知れ渡ることで、教員志望者が減少し、結果として教育現場の人手不足がさらに悪化するという負のスパイラルに陥っています。脱ゆとり教育によって学力向上を図ることは必要ですが、それに伴う教育現場の負担を軽減する対策も同時に求められます。教育の質を高めるためには、教員の労働環境の改善が不可欠なのです。

(「SlidePlayer」)

 ゆとり教育とは、一体何だったのか

現在、日本の教育は「脱ゆとり」へと舵を切っていますが、そもそも「ゆとり教育」とは何だったのでしょうか。実は、現在の教育内容の増加は「ゆとり教育以前の状態に戻っただけ」とも言えます。時代の進展とともに教育内容が深化するのは自然な流れですが、日本は一時的にこれに逆行しました。

ゆとり教育の導入の背景には、1970年代における「詰め込み教育」への反省がありました。1973年の教育課程審議会で、文部大臣が「児童生徒の生活をゆとりのある、しかも充実したものとすることが肝要」と発言したことが、後のゆとり教育の方向性を決定づけました。当時は、学習負担の重さが「落ちこぼれ」や「非行の増大」の原因と考えられ、学力よりも精神的な余裕を重視する方針が打ち出されました。しかし、これは短絡的な発想であり、根拠に乏しいものでした。

結果として、ゆとり教育のもとでは授業時間が削減され、学習内容が軽減されました。その影響は顕著で、多くの子どもたちが基礎学力を十分に身につけられないまま成長することになりました。国際学力調査では日本の成績が低下し、大学や企業からも「ゆとり世代」の学力不足を指摘する声が上がるようになりました。こうした状況を受けて、2011年度からは再び教育内容の充実を図る方向へと舵が切られたのです。教育政策は時代によって多少の変化はやむを得ないのですが、ゆとり教育の導入は明らかに「失敗した実験」と言えます。教育の根幹は、科学的な検証と長期的な視点に基づくべきですが、当時の政策決定はあまりに安易でした。一度削減された授業時間や学習内容を取り戻すのは容易ではなく、その影響は今なお続いています。これからの教育政策は、過去の失敗を繰り返さないよう、慎重に設計されるべきでしょう。

(数学プロセス)

 文科省を解体する時代

現在、日本の教育制度は文部科学省によって一元管理されています。しかし、この中央集権的な体制が本当に最適なのでしょうか。世界の潮流を見ると、教育の地方分権化を進める国も増えています。例えば、アメリカではつい先日、トランプ大統領が教育省廃止の大統領令に署名しました。機能縮小が打ち出され、州ごとに独自の教育方針を決定する動きが強まるでしょう。日本も、文科省に依存しすぎない教育体制を模索する時期に来ているのではないでしょうか。

現在の日本の教育制度では、全国どこでも同じような教科書が使われ、同じカリキュラムに基づいて授業が行われています。しかし、これは果たして合理的でしょうか。例えば、農業や林業が盛んな地域では、英語よりも実践的な体験学習のほうが重要かもしれません。また、都市部では国際的なビジネススキルを重視した教育が求められるかもしれません。それぞれの地域に適した教育を実施できる柔軟性が必要です。

さらに、現在の制度では、教職員の人件費の3分の1しか地方に支給されておらず、財政面での制約が大きくなっています。本来であれば、地方自治体が教育予算を管理し、地域のニーズに応じた人材を確保できるようにすべきです。教育を画一的に管理するのではなく、地域ごとの特性を活かした教育改革が求められています。

教育の在り方は、時代とともに変化するものです。これからの日本には、中央集権型の教育制度ではなく、地方が主体となり、自らの教育をデザインできる仕組みが必要です。文科省が一元管理するのではなく、地方の教育委員会が主導する形に移行することで、より柔軟で実効性のある教育が実現できる可能性が高くなります。今こそ、日本の教育の未来を見据えた抜本的な改革が求められています。

(「ニコニ・コモンズ」)

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