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財務省による支配がすすんでいる ―― 独立法人化による 天下り構造の温存 / 「エリート」選抜の誤謬と歴史の教訓

「前回、プライマリーバランス(「PB」)の話で終わってしまいました。PBの意味は分かりましたか?」

女性

「要するに、借金を借金と考えてはいけないということですよね」

「そこまで理解していれば、合格です。企業を見れば分かりますが、大企業ほど借金をしています」

女性

「経営者的な発想が必要なので、その判断は難しいとは思いますが、そのための組織ですからね」

「ただ、組織の体をなしていないのではないかと思います。完全な教条主義に陥っていて、これは何かなと思っています」

女性

「「ザイム真理教」ですか?(笑)」

「日本にはそういった官僚病に罹った歴史がありますからね」

女性

「戦前ですか?」

「戦前の陸軍がかなり酷い状態だったと思います。海軍は、それよりも少しマシかなという程度です」

女性

「今日は、その辺りの歴史についてもレクチャーしてもらえればと思います」

「私は一番の問題は、官僚の採用と養成の仕方だと思っています。まあ、これに尽きるでしょうね」

女性

「ただ、なぜそういった総括が今までなされてこなかったのですか?」

「日本人は総括が苦手なんです。視野が欧米人に比べて狭いからです。そして、戦争に行って生々しい体験をした方が存命中は、なかなか総括というものは進まないものです」

女性

「成る程、ここからが本論です ↓  表紙は「紀伊國屋書店」提供です」

 財務省支配が進んでいる

「最強官庁」と恐れられる財務省は、霞が関はおろか永田町さえも支配している、と高橋洋一氏(『財務省バカの壁』)は言います。首相から官房長官、官房副長官に至るまで、秘書官ポストの多くを財務官僚で固めているのです。秘書官の数は10数名から20名弱ほどで、その「枠」を各省庁が奪い合う構図になります。

秘書官の定数は首相秘書官が5名(当面は8名)などと決まっていますが、配分のルールは明文化されていません。実際には「政策助言・官僚組織との調整・国会答弁準備」といった役割に対応できる、省庁の実力者が抜擢されます。結果として、財務省・外務省・経産省・警察庁は恒常的に送り込むことができる一方、農水省・国交省・文科省などは政権テーマ次第の臨時登用にとどまります。復興庁や消費者庁にはそもそも割り当てがなく、この差が省庁間の「力関係」を如実に示しています。政権運営を支える秘書官ポストは、省庁間の見えない勢力争いの最前線なのです。

(「ダイレクトアカデミー」)

 財政均衡論と独法化 ― 天下り構造の温存

『中央公論』(2025年3月号)で今井尚哉氏が語った「公務員にとってのエクスタシーは、自分が世の中を動かしている実感」という言葉は、官僚の自己認識を象徴しています。黒子に徹するべき官僚が、前面に出て政策を主導する。その思想的基盤となっているのが、財務省が固執する「財政均衡論」です。

本来であれば信用経済の仕組みに合わせて柔軟に財政を運営すべきですが、組織は硬直化し、教条的な財政運営が続きましたその一方で、2001年以降の独立行政法人化は急速に進みました。2002年には農林・労働系機関が、2003年には造幣局・印刷局などの特殊法人が、2004年には国立大学・病院が法人化されました。

表向きは「行政から切り離し効率化する」という理念でしたが、実際には運営費交付金や委託料に依存し、独立採算には程遠い構造です。しかも、省庁OBが理事や理事長に天下る例が急増しました。従来は部局長ポストで終わっていたものが、「法人トップ」という格上の役職として温存され、天下り先が拡大したのです。これは知能犯的な天下り確保策であったといっても過言ではありません。国民の利益より省益優先の考え方が21世紀を境に出てくるのです。

(「X」)

 「エリート」選抜の誤謬と歴史の教訓

日本の官僚の多くは国家公務員総合職試験を突破した人材です。その難関試験合格を「栄光」と勘違いし、自分たちこそエリートだと錯覚している点が問題です。しかし模範解答のある試験で、本当のエリートを選ぶことはできません。これは歴史が教えるところです。将棋に例えると、詰将棋でプロの棋士を選ぶようなものです。

たとえば中国の科挙や、日本の陸軍大学校がそうでした。陸大は士官学校卒業後に部隊勤務を経て受験資格を得る制度でしたが、やはり模範解答型試験だけで選抜したために、現場経験を欠いた将校が昇進しました。その結果、日清・日露戦争の勝利体験に囚われ、白兵戦ドクトリンを太平洋戦争まで維持してしまいました。史上最悪と言われたインパール作戦を考えたのは、陸大出身の牟田口中将です。牛に荷物を轢かせて、食料がなくなればその牛を殺してジンギスカン料理にして食べろと言ったという冗談のような作戦を本当に行わせたのです。道なき道を進むことが実感として分かっていなかったということです。現場を知らないと、突拍子もない事を人間は考えるものだということです(下の絵)。ただ、現在の財務省の「財政均衡論」はその類のものです。

同じ過ちが現在の官僚機構にも見られます。金融の現場を知らない財務官僚、教育現場を経験しない文科官僚が政策を指導する。現場経験を経て養成する仕組みが欠けているため、ピント外れの政策が繰り返されるのです。エリートとは、試験で選ばれるのではなく、現場で鍛えられ育成される存在である。学歴重視、点数重視で選抜しても構わないと思います。重要なのは、育成の仕方です。まずは現場感覚を肌で感じるために、「下積み」の期間がどうしても必要です。それ抜きで、いきなり昇進の階段を昇らせれば、自己過信による「視野狭窄症」になり周りが見えなくなります。そうすると、指揮官として必要な俯瞰力がないまま政策を担当することになります。今日の経済の低迷をはじめとする社会の病理現象は、キャリア官僚の育成の仕方の誤りからきているものです。

(「You Tube」)

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