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日本学術会議の任命問題は、日本の国の防衛問題 / 戦前の国家と戦後の民主国家を並べて論ずる愚

女性

「日本学術会議の問題がまだくすぶっていますね」

「任命という地味な問題なので、すぐに消えてしまうかなと思っていたのですが、新聞、マスコミは連日報道しています」

女性

「今日発売の週刊『新潮』がこの問題で特集を組みましたね」

「実は、さっそく買いました」

女性

「あら、さすがに早いですね。中身はいかがでしたか?」

「中国の日本人科学者への工作が進んでいることが分かりました」

女性

「日中友好交流という捉え方は出来ませんか?」

「そういう捉え方は、20世紀まででしょうね。「一帯一路」という世界征服計画を公然と掲げ、南シナ海、東シナ海への拡張政策をとろうとしています」

女性

「相手の出方が変わってきたので、こちらも変えなければいけないということですね」

「簡単に言えばそういうことですが、日本はその対応が非常に遅いのです」

女性

「どうして、いつも後手後手に回るのでしょうか?」

「時代の流れを読み、先を読んで動いている政治家が少ない、野党の多くが反日的な姿勢をとっていて、政権に非協力的、議院内閣制という問題もあります」

女性

「最後の議院内閣制というのは、どういう問題なのですか?」

「トランプ氏を見れば分かりますが、大統領制だとあのようにかなり自由に政治活動、外交活動ができます。ただ、議院内閣制は議会の足かせがついて回ります。その点で自由に動けないのです」

女性

「モノも自由に喋れない感じを受けますが……」

「変なことを言えば、必ず国会で追及されますからね。プレッシャーを感じながら、日々政治活動をしておられると思います」

女性

「ここからが本論です ↓」



 任命問題は「学問の自由」の問題ではなく、日本の国の防衛問題


学術会議の問題が、国会や新聞、マスコミ、さらには週刊誌などで現在においても取り上げられ、話題になっています

現在の論点は2つです。1つは、最初からの論点で、6人の任命拒否問題。もう1つは、学術会議の組織の有り方です最初の論点について、菅総理は「俯瞰的観点から」と説明したのですが、言葉として分かりにくいです。分かる人には分かるかもしれませんが、具体的に語っていないので、一般の国民にはよく分からない説明になっています。

踏み込んで説明して欲しいという希望があるので、期待に応えてはっきり説明されれば良いと思います。①日本学術会議は政府機関であり、会員は非常勤の特別職の国家公務員であること。②首相に任命権があるということは、罷免権が担保されているということ。形式的なものであったというのは、今までのことであり、前例を踏襲する義務はないということ。③その理由は、政府と日本学術会議との間の信頼関係が無くなったから。何故無くなったのかと言えば、日本政府からの防衛研究について頑なに拒絶する姿勢を貫いているからです。④その一方で、日本学術会議が中国政府直属のアカデミーである中国工程院と連携していること。そして、その中国工程院は中央軍事委員会や軍事科学院とも密接な関係がある組織であること。⑤日本学術会議を反日媚中の組織に変質したことにおいて、中心的な役割を果たしたと思われる方を今回任命しなかっただけ、と。

だから、任命問題は「学問の自由」の問題ではなく、日本の国の防衛問題だということをはっきり言われれば良いと思います。その最初の論点がすっきりしないために、次の組織問題に話題が移れないのです。口ごもるので、逆に突っ込まれる、対韓外交、対中外交と同じで遠慮している場合ではないと思います。

 

 戦前の日本の国家と現在の民主国家を同列に並べる愚

「朝日」や「毎日」の論法は、国家が学者の組織である学術会議の委員の任命に介入することは、学問の自由に関わる由々しき問題であるという捉え方をします。そして、戦前の天皇機関説や滝川事件の例を挙げて、それと同じような学問弾圧事件として捉えようとしますが、そもそも戦前の国家と現代の日本の国家を同列に並べて論じるのは不適切です

何が違うか。二院制は同じですが、一つは民選ではない貴族院でした。選挙権も女子には与えられておらず、男子の普通選挙権が保障されるようになったのは1925(大正14)年です。現在は、承知の通り18歳の男女に選挙権が与えられ、2つの民選議院があり、その国会が内閣総理大臣を指名して、そのもとで内閣が組織されます。そのように民主的な手続きを経て選ばれた政府の方針を、ことさらに国家の不当な介入といって批判するのは、お門違いだと思います。

 

 最後の最後は国家意識を高めた国が強くなる

国がなくなった時に、その民族は滅びます。国が弱くなった時に、他の民族に征服されます。中国のウイグル自治区やモンゴル自治区で起きていることを見れば、明らかでしょう。自治区ということで、自由に統治はさせてはくれません。香港を見れば分かります。やがては、呑み込まれることになります。

それがある意味では冷たい現実なのかもしれません。それを前提にして防衛策を国家、地域、家族、個人と、それぞれのステージにおいて考えておかなければいけないのです。とにかく、まとまるということだと思います。日本は和の国です。言葉を変えれば、自分を抑えて、みんなでまとまろうとして命脈を保ってきた国です。だから、126代という皇統の歴史を織りなすことができたのです。

学問の自由といいますが、何のための自由なのかそれは学問の発展のため。学問を発展させてどうするのか。それは社会を発展させるため。世界平和と言う人がいるかもしれませんが、世界は一つにまとまっていない中で、現実的には難しいし、まず考えるのは自分の生まれた国のことだと思います

常に世界の中の日本の位置を見、常に民族の歩みが、自分の歩みと重なるように行動することが求められると思います。

自分だけ勝手に好きな学問ができれば良いという発想ではダメだということです

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