「今日は憲法改正問題を話題にしましょうか」
「私が小学校で習った時の印象は、日本の憲法は素晴らしいなというものです。だから、これは変えるどころか、そのまま伝えていかなければいけないなと思いました」
「我々の子供の頃もそうですが、これからは平和の時代、平和憲法を守ろうという感じの時代がしばらく続きます」
「今回のロシアのウクライナ侵攻でその夢から醒めたというのが、私の感覚です」
「多くの日本人もそうじゃないかと思います。朝日新聞の世論調査ですら、改憲派が護憲派を上回りましたからね」
「あとは今回の参議院選挙次第ということですね」
「そうですね、改憲仕方なしと思う政党勢力が2/3以上になれば、一挙に憲法改正論議にはずみがつくと思います」
「そういう意味では、今まで以上に今回の参議院選が注目をされているのですね。そして、争点として、専ら9条が話題になっているような感じがしますけど……」
「実は、私が最も気になっているのは前文なんです」
「前文ですか……? 今まで、殆ど話題になっていませんよね」
「9条をどのようにするのかさえ決まっていない段階なので、前文まで頭が回らないということだと思っています。ただ、前文を読んでもらえば分かりますが、9条のアリバイ文章になっています」
「9条を変える、あるいは何か条項を追加するならば、それに連動して前文も変わるということですね」
「変えざるを得ないでしょうね。ただ、前文はその国の歴史と文化について書くというのが大原則です。日本王朝という視点からすれば、一つの連続的な歴史を刻んできたのは確かなので、それをきちんと憲法に書き込むということだと思います」
「9条だけでこんなに揉めているのに、前文の内容までとなれば収拾がつかないような気がしますけど……」
「そういうことが何となく分かっていたので、国会では敢えて話題にしなかったのではないかと思っています」
「ここからが本論です ↓」
日本は有史以来一つの王朝として歴史を刻んできた国
有史以来多くの時間を積み重ねてきましたが、世界の中で日本だけが一つの王朝として約2000年の歴史を刻んできた国です。世界最古の国であること、それは紛れもない事実なので、そのことを憲法の前文に書く必要があります。そして、それを読んだ人が「君が代」の意味と第一章の「天皇」の規定の意味を理解できるような内容のものを書き込む必要があります。
先人たちがどのような思いでこの国を想い、地域を支え、家族を支えようとしたのか、そのことが分かるような前文を用意する必要があるのです。
そして、そこに書き込む国家像は、その二面性について記述されなければいけません。一面的に、立憲主義国家観を掲げて政治活動をしているのが共産党と立憲民主党です。国家観が間違っているので、政府に対する対応の仕方や政治に対する考え方において、国民とのズレが生じるのです。
立憲も共産も支持率が1ケタの政党です。その根本原因は、彼らの国家観です。立ち位置が違うので、言っていることが国民にすべて受け止められていないのです。
(「キャリアコンサルタントプラス」)
国家には2面性がある
国家の2面性を指摘するのが憲法学者の百地章氏です――「常識的な話ですが、国家という場合には二つの側面があります。一つが『権力機構としての国家』、つまり『社会契約説』の言う国家です。……(略)……これに対して、『国家』という場合には、歴史、文化、伝統を共有する『国民共同体としての国家』を指すことがあります。『国を愛する』とか『国家を守る』という場合の『国』や『国家』がそれです」(百地章『日本国憲法八つの欠陥』扶桑社新書、2021年/256ページ) 。
「1面的」、「単細胞」という言葉は良い響きをもっていません。つまり、本来的に物事は2面性を兼ね備えたものなのです。人間を見れば分かります。善の心と悪の心、2つを兼ね備えています。陰陽の考え方です。つまり、物事には表と裏、2つの視点から見るので立体的によく分かるということです。1つの視点からしか論じないのは、基本的に誤っているということです。先人は、そういうことがないように「単細胞」という言葉を編み出したのだと思っています。
立憲主義ということで国家の暴走を抑えなければいけないというのは、権力機構としての国家に対する警鐘を説いています。ただ、我々は国家の一員として、国家に守ってもらう必要があります。外から飛んで来るミサイルを迎撃してもらう必要があるのです。
仮に、日本という国家がなくなって亡国の民になったことを想像してみて下さい。日本という国家の屋台骨があるので、我々は安心して生活できるのです。
その屋台骨を国民全員で支える必要があります。支えてくれる存在を愛し、その国家を守るのは当たり前のことです。ウクライナの人たちが、手弁当でロシアの軍隊と戦っています。何のために戦っているのか、それはウクライナという国家を守ることが家族をまもり、家族を愛することだと思っているからです。
多分、そういった感情は、どの国の国民にも普通にあるものです。教えられるものではなく、自然に身に付くものです。ところが、日本では反日教育が行われていたためなのか、そういったことに対する罪悪感をもつ人たちがいるのです。
『檻の中のライオン』に描かれた国家像の矛盾
前にこのブログでも取り上げましたが、楾大樹「かもがわ出版」2016年)の絵本の話をしたいと思います。この絵本をもとにして、現行憲法擁護の活動をしている団体があります。結論から言いますと、絵本の中の話は半分合っています。ただ、国家の全体像を正しく捉えていませんので、誤った国家像をまき散らしているだけです。いわゆる、一面的な国家の捉え方です。
「ライオン」は国家権力を表し、「檻」を憲法に例えているのです。登場する様々な動物たちは国民です。発想は面白いのですが、二面性の視点がないという根本的な誤りがあるので、辻褄が合わないところがどうしても出てきてしまいます。
絵本の中に「檻は硬く作っておこう」「檻から出たライオンは取り押さえよう」というのがあります。要するに、国家は常に檻の中という発想ですが、その論理は外敵が来た時に破綻します。立憲や共産の主張が日本の周辺国との対応で歯切れが悪くなるのは、実はこういうことなのです。共産は自衛隊は違憲と言いながら、外敵が来た場合は自衛隊を「活用」すると言っています。違憲なものを活用(?)と普通は思います。活用したいのならば、「違憲」のレッテルを外してあげれば良いだけの話です。現実と憲法の規定が乖離しているだけなので、それを解消すれば良いのです。
そして、外敵に対しては、ライオンに活躍してもらうしかないのです。国民は小動物なので、立ち向かうことは出来ません。どう考えてもライオンの出番なのですが、それを許してしまうと『檻の中のライオン』という前提が完全に潰れてしまうのです。だから、できないのです。
その矛盾は一体何なのか、作者自身に気付いて欲しいと思っています。
(「人民新聞」)
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