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過去に前例のない衝突に発展 ―― ガザ紛争 / 建国当初は共生を模索する動き

女性

「最近は連日、イスラエル問題が大きく取り上げられています。直近のSNSの投票によりますと、パレスチナ問題に関心がある88.5%、少し関心がある3.8%で、合わせて90%を超えています」

「90%超えは、凄いですね。ウクライナ侵攻や北朝鮮や中国の動きもあり、国民が全体的に武力攻撃に対して敏感になっていると思います」

女性

「パレスチナの市民たちの映像やイスラエルが戦車隊を終結させている映像が流れていました。そういう影響が当然あると思います」

「イスラエル側は3000発のロケット砲を撃たれて、一気に頭に血が上ってしまったようですね」

女性

「ただ、気持ちは分かりますが、過剰防衛という言葉があるように、これ以上はやり過ぎと思いますけど……」

「ただ、ここで止めれば、イスラエル世論が政権批判を始めると思います。ハマスの解体を目標にして軍事行動をするでしょう」

女性

「人質解放はどうなったのですか? 一番に考えなければいけないのは、人質の救出だと思いますが、何となく二の次になっているような気がします」

「人質解放とハマス解体の二つを同時に追求しようとしているのだと思います」

女性

「ハマスのトップと人質を解放すれば、直ちに攻撃はやめる、建物の損傷について、ある程度こちらで修復するとか、言えないのですか?」

「対立は長期間にわたり、根深いものがあるのでしょう」

女性

「千載のチャンスとばかりに、一挙に攻撃を拡大しているように思えます」

「だからイランがもうこれ以上止めろと自制を求める声明を出しました」

女性

「他の国が言えないことを、イランが言ったのですか?」

「イランはイスラム教シーア派の国です。イスラエルとは敵対関係にあり、パレスチナに対して同胞意識があるのだと思います」

女性

「喧嘩というのは拡大する傾向がありますので、初期段階でいかに鎮火するかが重要だと思います。その割には、仲裁や火消しに入る国が少ないと思っています」

「確かにそうですね。真っ先に動いたアメリカ任せになってしまった感じがします。そして、イスラエルに対して何かモノを言いにくい雰囲気が世界にはあるのです」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「Wired Japan」提供です」

 

 建国当初は共生を模索する動き

同じ地域に住む2つの民族が、いがみ合わなければいけない。これ程、不幸なことはありません。今だけではなく、これから先、未来永劫憎しみ合わなければいけなくなるからです。ユダヤの知恵という言葉がありますが、隣国同士仲良くなるための知恵はなかったのでしょうか。それが「キブツ」だったのですが、歴史の中でその構想は消えていきます。それを振り返りたいと思います。

建国当初はユダヤ人とパレスチナ人、共生を模索する動きがあったのです。当時の政権政党はイスラエル労働党。社会主義的な政策である「キブツ」を掲げていました。「キブツ」というのは、共同農場。一つの土地を共に耕し、収穫物を共有する。同じ農民、労働者なので連帯できるはずと思ったのです。

それが第四次中東戦争で暗転します。エジプトとシリアが奇襲を仕掛けました。緒戦で苦戦を強いられたものの、はねのけて勝利します。それがきっかけで、労働党への批判が高まります。代ってリクードという右派政党が力を伸ばし、1977年には政権政党になります。その後、しばらくは労働党とリクードの政権交代劇が繰り返されます

(「note」/キブツで働く人達)

 

 アメリカの仲介によってオスロ合意を結ぶ

いろいろありつつも、1992年に労働党のラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長がアメリカの仲介によってオスロ合意を結びます(下の写真)。両者はここで握手をして、お互いを承認します。ただ、合意と言っても、お互いの存在を認めますというような大枠合意で、肝心な両国の境界線を定めることはせず、それについてはその後の交渉で決めることとしたのです。

大体、こういうことをすると失敗するというのが歴史の常です。日本も中国との友好条約締結の時に、尖閣問題を協議事項とした上で条約締結をしてしまいました。それが現在まで尾を引いています。

(「Wikipedia」)

 

 過去に前例のない衝突に発展

オスロ合意に基づいて、イスラエルとパレスチナ自治政府との交渉が行われますが、イスラエルの人口が増えたということもあり、その間もヨルダン川西岸地区へのユダヤ人の入植は進みます。パレスチナの大きさは、日本の四国くらいの広さです。今から50年位前、つまり第四次中東戦争の頃のイスラエルは約300万人程度の人口でしたが、現在は約1000万人です。

そして、パレスチナ人たちの出生率は約4.4人。ガザ地区の広さは種子島くらいの広さに約200万人の人が暮らしています。お互い土地の狭さを日々感じることとなり、イライラ感が募ることになります。オスロ合意の3年後に、ラビン首相はユダヤ人によって暗殺されます。そして、スイスのような平和なパレスチナ国家を建設しようと言っていたアラファト議長も2004年、パリの病院で死去します。

その後パレスチナ人たちの中から勢力を伸ばしたのがハマスです。ハマスが活動をし始めて約30年ですが、ガザ地区を実効支配しています。PLOとハマスは、考え方が全く違います。イスラエルを認めない。パレスチナにイスラム国家を打ち立てる。これがハマスの政治目標です。そんな団体を認める訳にはいかないというのがイスラエルの主張です。ちなみに、パレスチナ人との共生を説いた労働党の国会での議席は現在は4議席です。

様々な要因と歴史の流れの中、現在の衝突に繋がってしまったのです。

(「日本経済新聞」)

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