「岸田首相が誕生して、昨日は所信表明演説もありました。感想を伺いたいと思います」
「新聞で所信表明演説の全文が掲載されていましたが、熟読した訳ではありません。一応、そういうお断りをした上で感想を言っても良いですか?」
「こういうものは、直観が大事だと思いますので、是非どうぞ」
「3つのことを思いました。熱意は感じられました。その部分では、随分前のめりになっているなと思いました」
「『前のめり』というのは、プラスと評価しているのでしょうか、それともマイナスでしょうか?」
「条件付きプラスです。気持ちが前に行くことは、それはそれとして良いことです。問題なのは、それをカバーできる足腰の強さがあることです」
「『足腰の強さ』というのは、何でしょうか?」
「学問的な裏付けとそれを支持する時代の流れでしょう」
「2つ目は何ですか?」
「経済について何か誤解しているのではないかと思いました。経済というのは、すべてコントロールできないのです。それが政治とは違う点です」
「経済は生き物だと、よくおっしゃっていますものね」
「コントロール出来る部分と、市場の実勢に任せなければいけない部分、その見極めが必要ですし、そこが難しいところですが、演説を聞いている限りに於いて、経済のすべての分野において人為的なコントロールが出来ると考えているのではないかと思ってしまいました。」
「3つ目をお願いします」
「「成長と分配」ということを言っておられますが、成長するためには人材育成が必要です。特に、21世紀においては、学校教育を含んだ戦略的な人材育成を考える必要があります。そういった視点はなかったですね」
「「成長と分配」ではダメということですか?」
「分配のシステムは出来ています。今、日本経済の成長が止まりつつありますので、考える必要があるのは成長の原動力となる人材育成のあり方です。それが上手くいけば、経済成長を達成することは比較的容易ですし、それさえできれば分配というのは、それ程難しい問題ではないのです」
「作物と同じでしょうね。ウチの実家は農家なので、よく分かります。祖父がよく言っています。いかに作物の質を高め、いかに多くの生産量を上げ、その担い手をいかに育てるか、と言っています」
「豊作になれば多くの収入が入ってくるので家族で単純に分ければ良いだけの話、そこまでいくのが大変なんでしょ」
「多分、その辺りの理屈は、国であろうと、農家であろうと同じだと思います。ここからが本論です ↓」
「成長と分配」ではなく「育成と成長」
成長さえ出来れば、その果実をどう分配するか、それ程難しいことではありません。市場の流れに任せて、仮にその分配が不公平であれば法によって分配の仕方を半ば強制的に変えれば良いからです。
何と言っても難しいのは、成長戦略とそれに見合った人材育成です。岸田首相の所信表明演説で特に欠落しているのは、学校教育を人材育成の観点から捉えていないことです――「成長戦略の第一の柱は、科学技術立国の実現です。学部や修士・博士課程の再編、拡充など科学技術分野の人材育成を促進します。……」(所信表明演説)。大学から先を考えれば良いというものではありません。
アメリカやイスラエルはギフテッド教育(英才教育)に取り組んでいますが、世界の流れは、子供の持っている個々具体的な能力をいかに早く発見し、どのように育成し、それをいかに経済発展に結び付けるのか、そのためのプログラムをどうやって開発するのかということで動き始めています。そのことがその子にとっても、国にとっても一番プラスだと考えるからです。5歳児義務教育というのは、そういった流れで出てきた動きです。
日本の場合は教育は子守りだと思っているフシが多分にあり、なかなか学校教育と人材育成をリンクして考えることが出来ていません。所信表明演説を読んでも、そういった問題意識で語っているところはありません。早く考えを改める必要があると思っています。
(「ロボえもん」)
新しい資本主義とは?――「深刻な分断」など生んではいない
所信表明演説の中で目に付く言葉の中の一つに「新しい資本主義」というのがあります。それの定義について明確に語った言葉はありませんが、それを説明しようとしている部分があります――「私が目指すのは、新しい資本主義の実現です。新自由主義的な政策については、富めるものと、富まざるものとの深刻な分断を生んだ、といった弊害が指摘されています。世界では健全な民主主義の中核である中間層を守り、……」としています。
その内容から判断すると、経済政策として新たな分配のシステムを導入することを考えているように思えますが、自由競争市場を阻害するような改革は慎むべきでしょう。それは、資本主義ではなく社会主義だからです。
そもそも資本主義の大きな特徴は、自由競争を前提にした経済システムです。当然その結果、勝者と敗者が出ますが、それが経済の活力を生む原動力になっています。「深刻な分断」という言葉は、いわゆるリベラルと称される左翼陣営がよく使う言葉ですが、勝者と敗者は固定的なものではないという視点が欠落しています。「富まざるもの」も起業によって「富めるもの」になることもあります。世界のトップメーカーになったテスラは起業してわずか20年です。日本でも10年足らずで、マザーズに上場する企業はいくつもあります。
当然、その逆もあります。オーナー会社を受け継いだ2代目が経営戦略を誤って倒産させてしまい、「富まざるもの」に転落することもあります。ただ、またそこから再起をする人もいます。要するに、経済社会においての「敗戦」は真の敗戦ではないということです。一発逆転満塁本塁打も、ダブルプレー、ゲッツーでゲームセットもある社会ですが、また試合は出来ます。「深刻」という言葉は当てはまりません。
(「日本経済新聞」)
政治が考えることは、規制ではなく、頂点を高くすること
「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」というアフリカの諺を何回か使っていました。言葉の意味するところは、多様な意見を集めることによって、組織や集団はより発展できるというものですが、今の日本にピッタリ当てはまる言葉ではありません。
今の日本の状況は、足を引っ張りながらみんなで進んでいるからです。「和」の国ですが、変にもつれてしまっているように見えます。「もつれ集団」から脱出して、周りを余り気にすることなく、勇敢に一人荒野に飛び立とうとする人材を育てる時代です。真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞を受賞したというニュースが流れました。彼は日本から米国籍に移して、米国にシフトを置いて研究を続けてきた方です。言ってみれば「頭脳流出」なので、そのことをもう少し取り上げる必要があるのですが、マスコミの報道はおめでとうの一色てす。こういうのをおめでたい国民性と言うのでしょう。国を引っ張るような優秀な人材が、次々と日本を離れる事態にならないように、最先端研究を取り巻く状況を様々な観点からチエックする必要があると思います。
真鍋氏は米国を選んだ理由について2つ語っています。1つは、研究資金の贅沢さ、もう一つは研究環境の雰囲気です。「(米国では)他の人が感じていることを余り気にせず行動できる」、対して日本は「互いを邪魔しないように協調する」(『日経』2021.10.6日付)。協調を暗に求められるところが、彼にとってプレッシャーだったのかもしれません。研究を貫くために一人アメリカに飛び出していかれました。自分の思いを強く持って、飛び出す方向さえ正しければ、一人でも遠くに行くことが出来ます。みんなで進めば、必ず遠くに行ける訳ではありません。
過去を振り返れば分かるように、最先端を極める場合は常に一人での旅立ちとなります。政治はそういった人材を育てること、育てるための制度を作ること、育てた後、その面倒を見ること。それが求められているのです。
(「テレビ朝日」)
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