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日本は老子的な考え方が似合う風土の国 ―― 日本の伝統・文化は陰、西洋は陽 / 青年期は孔子的な生き方、老年期は老子的な生き方を推奨

「奇数が好きですか? 偶数が好きですか?」

女性

「いきなり、何を調べようとしているのですか?」

「考え方の傾向です。孔子的な考え方なのか、老子的な考え方なのか、その傾向が分かります」

女性

「そんなことで、分かるのですか? 私はどちらかというと、偶数ですね」

「孔子的な考え方ですね。現実主義者で、真面目に何事もきちんとこなそうとする人です」

女性

「まあ、合っているかもしれませんね。老子的な考え方だと、どうなるのですか?」

「自然主義的な考え方の傾向があります。余りかたちに捉われないで生きようとします」

女性

「ただ、両面もっている人も、いるのではありませんか?」

「陰と陽なので、要素として含まれることはあっても、全く半々ということはあり得ないと思います。日本という国は、どちらだと思いますか?」

女性

「えっ、日本ですか? 「にほん」なので偶数ですか?」

「だじゃれは、やめなしゃれ。日本は老子的な考え方が似合う風土の国だと思います」

女性

「儒教の論語が結構読まれているので、偶数だと思いました」

「七五三は奇数ですし、三三七拍子、俳句や和歌は五と七の組み合わせです。1本締め、3本締め。すべて奇数です。2本締めはありません」

女性

「成る程、結構おもしろいですね。ウチの会社でもやってみようかな」

「社長さんのタイプは次のうち、どれですか? 1.俺についてこい的な強いリーダータイプ 2.親しみやすく、仕事もできて皆さんに慕われる、3.いるかいないか分からないような感じ。さあ、どれですか?」

女性

「3番ですね。影が薄い人だね、と皆で囁いています。ここからが本論です。答えは本文の中で紹介します ↓」

 太上(たいじょう)は下之(しもこ)れ有るを知るのみ

「太上は下之れ有るを知るのみ」。意味は、一番よい有り様(よう)は、上(トップ)がいることを部下は分っているけれど、どのような人で、何をしているのか、よく分からないという状態と言うものです。その次に良いのが、2番で、次が1番です。何となく、順番が逆ではないかと思うのですが、これが老子的な考え方です。孔子の発想は、1→2→3となります

それでは、なぜ老子は3が一番良いと言うのでしょうか。続きの文章があります。「功成り事遂げて、百姓(ひゃくせい)皆我自ら然り謂(おも)へり」。つまり、本当のトップは気付かれないように裏からサポートをして、多くの人が全員、自分の力でそれを成し遂げたと思ってしまうような状態を作ることとが出来る人だと考えます。

ただ、人間社会は陰と陽が同時進行していますので、つねに老子的な生き方をすれば上手くいく訳ではありません。時には、孔子的な生き方をする場面も必要でしょう。そこの見極めが人生航路の難しさです。

(「ライフハックアニメーション」)

 青年期は孔子的な生き方、老年期は老子的な生き方を推奨

人生を4つの時期に分けるという考え方があります。古代インドに古くからある人生の過ごし方です学生(がくしょう)期、家住期、林住(りんじゅう)期、遊行(ゆぎょう)期と分けます。前半の学生期、家住期は、力を蓄え、社会の中で活動したり、時には模索をする時期です。忙しく自分を試す時期かもしれません。陽の生活、孔子的な生き方が合うと思います。

林住期というのは、今まで自分の中に貯めていたエネルギーを使って飛躍をする時代です。遊行期というのは、何かに捉われて生きるのではなく、自由に心のままに生きるということです。そこにも新たな発展と気付きがあるはずだと考えます。

人生は長いようで短いもの。漫然と生きようとすると、終わってみて何をするためにこの世に来たのかよく分からないと言うことになります。それでは、折角の人生が勿体ないので、区切りを付けて、それぞれの段階でどのように生きれば良いかを示したものです。

後半の林住期、遊行期は泰然と自分らしく生きるということで、老子的な生き方が合うと思います

(「新刊ビジネス書の要約-TOPPOINT」)

 日本の伝統・文化は陰、西洋は陽

日本の伝統・文化は陰の特徴をもっています西洋は陽です。文化が原色です。そして王権も陽でリーターシップを発揮して活動的です。日本の天皇は陰となります。

日本と大陸の国々とは、ある意味対照的です。何故なのか。それは大陸の国々は他国と国境を接しながら、時には侵略され、時には戦争をしながら何千年と暮らしてきました日本の場合は、四方が荒海ですので他国の人の息遣いを聞かないまま、自分たちの生き方を作ってきました。その環境からくる違いが大きいのです。

そういう地政学的環境のため、リーダー(天皇)に求められるあり方は、先の例で言うと「3」のあり方、「太上は下之れ有るを知るのみ」が由とされるようになっていったのです。それが確立したのが、天武天皇の頃(8世紀)です。それ以来、不執政王が日本の伝統的な在り方となりました明治以降も同じです。大政奉還で政権を返還されますが、それを大臣に委任しています。

そういうことを理解せず、天皇支配という言葉を使う政党や団体がまだいるのが現状です

(「まほろば社会科研究室」)

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