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ロシア史にとって大きな転換は「タタールのくびき」とソ連邦崩壊 ―― ロシア史 (その2)

女性

「円安問題で動きがありましたね。財務省、金融庁、日銀が臨時の会合を開いたそうです。そして、財務省の神田財務官は「あらゆる措置を排除しない」と発言されていましたね」

「先日(9/8)の夜のニュースですね。私も見ていました」

女性

「これで止まるものなんですか?」

「一時しのぎ程度と思った方が良いと思います。円安基調が結構強いので、小手先の対策では厳しいと思います。給付金5万円についてもそうですが、短期のスパンで思い付いたことをやるみたいな状況になっています。長期的な戦略に基づく政策の構築をしないとダメでしょう」

女性

「長期的な戦略を立てるのは、日本は苦手なんですよね。今後の推移を見守るとして、今日は中断していたロシアについての続きを発信したいと思います」

「今日はロシアの2回目ですので、前回の話で気になったこと、あるいはよく分からないことがありますか」

女性

「中国もそうですが、ロシアで一番分からないのは、あれだけ広大な領地を持っているのに、なぜ他国に侵略しなければいけないのか。多くを犠牲にしてまでウクライナに侵攻するそのこと自体がよく分かりません」

「普通に考えれば分からないでしょうね。資源大国ですし、欧米と協調していけば確実に発展できる国だと思いますけどね。まあ、敢えて言えば、あるべきロシア帝国の姿を思い描いて、その夢を実現させるのが俺の使命だと思い込んだんでしょうね」

女性

「その辺りの心理もよく分からないのですが、ロシアで独裁的な地位を手に入れたので、それを守れば良い人生が保障されているのに、どうしてじっとしていないのですか?」

「素朴な疑問ほど難しいと言いますが、その問いはそれに当たります。ただ、彼に限らず独裁者というのは歴史的にみた場合、必ずと言って良いほど対外的な侵略行為に打って出ています」

女性

「それは何故ですか?」

「何故でしょうね。1つは、目標設定の本能から来るものですが、国内統治という一つの目標を達成したので、次の目標を対外的なものに設定したということ。2つ目は、周りからの期待の圧力というのでしょうか、「まだまだ前進できるはず」という声なき声を自ら聞いて鼓舞されるということでしょうか。敢えて、理屈を言うとそんなところでしょうか。難しい問題ですね」

女性

「チコちゃんに聞いてみましょうか? ここからが本論です ↓」

 「歴史は繰り返す」(ヘーゲル)の言葉の意味を探る

ヘーゲルは「歴史は繰り返す」と言いました。なぜ「繰り返す」のか。それは民族のDNAがそれぞれの国や地域において受け継がれていて、同じ舞台で同じような性格の役者が歴史を演じるからです。時代は推移しているものの、DNAを受け継いだ人たちがその国や地域を構成しています。移住や移動はありますが、移ってきた人たちは周りの人たちに同化されていきますので、総体として見れば余り大きな変化は起きていないのです。

歴史的な事件は、偶然と必然という2つの面から説明されます。必然性がなければ、そこで事件が起きやすい環境があったとしても、事件は現実には勃発しません。だから、重要なのは必然性なのです。民族のDNAが受け継がれ、その民族が他の民族とどのような関係を構築したのか、これは必然性が作用する部分が大きいのです。

ということは、その時の関係を歴史的に調べると、それと同じことがその後も起きる可能性があるということです

(「Oggi」)

 「タタールのくびき」が示すもの

「タタール」というのは、モンゴル人という意味です。「くびき」は、牛車や馬車の複数の牛や馬を制御する木のことです。 そこから転じて「自由を束縛するもの」をくびきと言います。モンゴル人は13世紀に西はポーランド、トルコ、東はオホーツク海に達するほどの大帝国を建設します。5代のフビライの時は中国全土を支配し、元と言う国名を名乗りました。この大帝国は元と3つのハン国に成り立っていました。ロシアを支配したのは、キプチャク・ハン国です。ここまでが世界史の教科書にも書かれています。ただ、大事なのはここからです。

どのような統治形態であったのかが、今後を占う大事なDNAのデータになるからです。ハン国の統治は、ロシアの自治を認めるというあり方でした。ハン国はカネさえもらえれば良いというような合理的な考え方でしたので、実際に宗教に対しても寛容でした。そのため、ロシア正教会の信仰も組織も温存されることになります。

民族の結束は、宗教によって保障されます。ハン国によって宗教弾圧をされたらロシア民族は少数民族の運命を辿ったかもしれません。ロシア正教会が当時の人たちを人間的にも情報的にも繋ぎ止める役割があったのです。ただ、これを破壊したら徴税システムが機能しなくなるため、カネが欲しいモンゴル人たちは弾圧をしなかったと考えられています。

「タタールのくびき」は1480年のモスクワ大公国の台頭によって終焉を迎えることになりますが、この240年間の統治によって、ロシア内の覇権がキエフ公国からモスクワ大公国に移ったこと、そして、ロシア人の視点がウラル山脈を越えてシベリアにまで広がったこと、さらにはモスクワ大公国のイヴァン3世の活躍によって英雄伝説が生まれたのです。

力の強い指導者に従えば、苦難から逃れ、さらには広い視野が得られるという学びが民族のDNAに刻まれることになったと思います。気になるのは、中国との関係です。モンゴル人たちに対して大した抵抗もせず、服属に甘んじます。今で言う、植民地支配です。攻められた時に、意外に弱いというDNAをロシアは受け継いでいると思います。それは中国との関係だけなのかもしれませんが、中ロ接近の時代となり、歴史のDNAを当てはめると中国のロシア支配という答えが出てきます。

(「ゆかしき世界」)

 ソ連の崩壊――社会主義経済の行き詰まりとゴルバチョフ大統領の登場が合わさったことにより起こった

ソ連最後の大統領のゴルバチョフ大統領が8月30日に死去しました。冷戦終結に導いた指導者ということでノーベル平和賞(1990)を受賞しています。歴代のソ連の指導者とは一味違った人でした。彼はウクライナに近いロシア南部のスタブロポリの出身、婦人はウクライナの出身です。そういった出自に関係があるのではと思っています。

プーチン大統領はソ連を崩壊させた張本人といった認識だったのではないでしょうか。死亡直後に遺体と対面し、花を手向けて手を合わせましたが、結局、彼の告別式には公務の都合を理由に欠席をしています。

ソ連というのは、簡単に言うとロシア共和国を中心とした東欧社会主義国の連合体です。ただ、傘下の国は主権が制限されていました。現代の国際社会において国家の主権を制限しつつ共同体を維持するためには、核となる国家の経済的、軍事的求心力が必要です。軍事的求心力は充分だったのですが、経済力は伸びなかったのです社会主義は国営企業と計画生産ということが特徴ですが、上手くはいきませんでした。価格競争による自由市場を否定したところに社会主義経済を考えたのですが、それが大きな過ちでした。ソ連崩壊の必然性の条件がそこにあるのです

必然性の条件が出たところに、偶然ゴルバチョフが大統領として歴史の舞台に登場します。強大な権力で周辺諸国を縛っていたものが、プツンと切れます。1990年、リトアニア、ラトビアが独立を宣言します。それにつられるように、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンが独立を宣言します。

ソ連邦解体の決定的な決め手となったのは、ウクライナで行われた国民投票だと言われています。実に国民の90%が独立に賛成したのです。ゴルバチョフ氏はソ連邦解体までは望んでいなかったと言われます。ただ、必然性と偶然性が重なった時、歴史は時代の流れを一気に早めます。その瞬間風速を間近で見ていたプーチン大統領、その思いが今の侵攻になって現れていると思っています。

(「AFPBB NEWS」)

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