「今年は司馬遼太郎氏の生誕100周年にあたる年だそうです」
「100年前と言うと1923ですか? 元号で言うと、大正ですか、昭和ですか?」
「元号から西暦の返還の仕方は、係数を覚えていれば簡単に出来ます。明治は67、大正は11、昭和は25です。その係数を西暦の下2桁から引けば、元号が出ます」
「1923の23から25を引けないので、大正ということですか?」
「23-11=12なので、大正12年生まれですね。皮肉なことに、彼が最も忌み嫌った頃に生まれています」
「その後、日本は太平洋戦争に突き進むのですね」
「司馬氏は軍隊では陸軍少尉に昇進し、栃木県で終戦を迎えています」
「戦後は時代小説を書いて、人気作家になったのですね」
「彼の小説の題のつけ方にセンスを感じます。「竜馬がゆく」、「燃えよ剣」、「翔ぶが如く」、「坂の上の雲」――思わず読んでみたくなるような気になりませんか?」
「彼の作品の中で人気投票をしたそうです。主催はどこか忘れましたけど、「翔ぶが如く」が1位だったそうです」
「吉田松陰が主人公ですよね。何年か前にNHK大河ドラマで放映されていたと思います」
「幕末から明治の始め頃を舞台にした小説が多いのですね」
「あと、戦国時代ですね。社会の激動期にこそ、人間の本質が見えてくると考えていたようです」
「なる程、私は明治の始め頃は魅力的な方が次々と出たという印象をもっています」
「「坂の上の雲」をみんなで掴みに行った時代だったのでしょ」
「結局、掴めたのですか?」
「今日は、突っ込みますね。その辺りは、各個人が考えることではないでしょうか」
「ここから本論です ↓」
目次
日本人とは何か、日本とはどんな国か、人間とは何かを追究する生涯
司馬遼太郎記念館が東大阪にあります。館長で司馬氏の義弟の上村洋行氏は「全ての作品の根底にあるのは、日本人とは何か、日本とはどんな国か、人間とは何かだった」(「日経」2023.1.1)と話します。
そういった問題意識のもとに書かれたのが『この国のかたち』(文藝春秋)です。時代を問わず、彼の問題意識のまま、縦横無尽に歴史の中を駆け巡りながら時代評論として書かれたものです。手許にその「一」があります。その中で、何故日本は無謀な戦争に突き進んだのか、という問題意識のもと多く書かれています。その辺りについては、現在もなおきちんと総括されていないと思われますが、彼の見解を紹介したいと思います。
(「司馬遼太郎記念館と彼の蔵書」)
統帥権は実質的に軍部にあり―― 海軍軍縮会議で「お化け」が出た
統帥権干犯問題として知られている事件があります。1930年にイギリス、ロンドンで海軍軍縮会議が開かれ、そこで主力艦の建造禁止と補助艦の保有量を決められてしまいます。日本の政府は内容的に承服できないものでしたが、今と同じで弱腰だったのでしょう。押し切られて、ロンドン海軍軍縮条約に調印してしまいます。
この時代は第一次世界大戦が終わり、大きな戦争による多大な犠牲者を出したことに対する反省機運が出た時代です。国際連盟も作られ、共同して世界平和を目指そうとしました。日本は国際連盟の常任理事国として、率先して世界平和に寄与しなければいけない立場ということで、条約の調印に踏み切り、保有量をオーバーしたため大砲で補助艦を沈めるようなことまでしたのです。
そして、この調印を政府が行ったことに対して、そもそも政府にはそういう権限が与えられていないのではないかということで野党の立憲政友会、海軍軍令部などは激しく政府を攻撃しました。これが統帥権干犯問題です。実はこれがきっかけで統帥権の制度上の欠陥が分かってしまったのです。「統帥権というお化けが出た瞬間」(司馬遼太郎『昭和という国家』)だったのです。
「10年間の非日本的な時代の異質性をえぐり出すべき」(司馬遼太郎)
実は、この統帥権は、明治憲法の一番の盲点だったのです。どういうことか。
まず、第一条の「天皇之ヲ統治ス」の条文は、従来のそれまでの天皇の政治への関わり方を追認した上で、それを西洋近代法の用語を使って書かれたものに過ぎません。「大臣ハ朕カ為ニ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク」(上諭(前文))とあるので、その統治権を内閣、議会、裁判所にそれぞれ委任しています。その考え方でいけば、天皇のもっていた統帥権は陸軍参謀本部と海軍軍令部に委任したことになります。つまり、軍については内閣の権限が及ばないこと、それを実質的に動かす権限は陸軍本部と海軍軍令部にあることが分かったのです。
それがこの後の軍の独走に繋がるのです。そして、問題なのは、陸軍本部と海軍軍令部に統帥権を付与したかたちになりますので、当然どちらがイニシアティブを握るかということで争うことになります。このことが、やがて海軍は太平洋で戦争をし、陸軍は大陸方面で戦争をするという事態を生みだすことになります。お互い背を向けて、別々の方向の相手に対して戦う、しかもアメリカの経済力は当時の日本のそれの4倍です。勝てる訳がありません。
5.15事件と2.26事件を経て軍部独裁政権がつくられ、無謀な戦争に突入していくことになります。このことについて、司馬遼太郎は「昭和10年以降の統帥機関によって、明治人が苦労してつくった近代国家は扼殺(やくさつ)されたといっていい。この時に死んだといっていい。私は、日本史は世界でも第一級の歴史だと思っている。ところが、昭和10年から同20年までのきわめて非日本的な歴史を光源にして日本史ぜんたいを照射しがちなくせが世間にあるようにおもえてならない。この10年間の非日本的な時代を、もっと厳密に検討してその異質性をえぐりだすべきではないかと思うのである」(司馬「この国のかたち」(一) 64ページ)
都合が良いからなのか、戦前の日本はすべて暗黒で悪い時代だったという全面否定的な見方が横行しています。分析という言葉があるように、類別し総括する必要があるのです。
(「法政野球部と六大学野球について語るブログ」)
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