「前回の話題ですが、資本主義という言葉は適切ではないというご指摘、なるほどな、と思いました。ただ、マルクスは資本制と言っていたのに、いつの間にか資本主義となって、それが定着していますよね」
「その言葉を広めた人がいるのです。私は、シュムペーター(1883-1950)ではないかなと思っています。彼は『資本主義・社会主義・民主主義』という本を書いています。日本版が出たのが1950年です」
「資本主義と社会主義を並べて比較しているのですか?」
「彼は晩年になるに従って社会主義に傾斜していきますが、この書はそういった彼の晩年の到達点を象徴するような著書です」
「シュムペーターというのは、どこの国の人ですか?」
「「ウィキペディア」によると、当時のオーストリア・ハンガリー帝国、現在のオーストリアの出身です。オーストリア共和国の大蔵大臣、ボン大学教授、ハーバード大学教授を経て、戦後は国際経済学会会長の要職に選出されています」
「その彼の思想的影響を受けたのではないかということですね」
「人間社会というのは、民主主義とは名ばかりで、実際にはその時々の社会に影響を与える人の考え、思想、行動にかなり左右されるのです」
「シュムペーターもそのうちの一人だという捉え方ですね。ただ、学校で習っていない名前だと思います」
「まだ、評価が定まっていないということもあるかもしれません。ただ、教科書会社の中には、『政治・経済』や『現代社会』の中で紹介しているところもあります。一応、「シュムペーター経済学」、「シュムペーター体系」という言葉を使っている人もいますからね」
「そういうレベルの方なんですね」
「大雑把に言うと、マルクス、ケインズ、そしてシュムペーターという流れだと思っています。そして、シュムペーターが資本主義と社会主義を対立的に捉えた、その流れが現在まで影響を与えているのではないかと思っています」
「ここからが本論です ↓」
政治と経済は明確に峻別しなければならない
今の日本の政治状況を見ていると、政治は法と制度をいかに作るかということが主要議題だということを、政府関係者も含めて、政治家の方たちがよく分かっていないのではないかと思っています。政治的な営みは、当然権力が絡みます。絡むが故に議会(国会)という場で話し合いをする必要があるのです。しかし、経済については、自由市場経済を採用しているので、権力を絡めないのが原則です。
NHKは、国会の議論を今日も中継していましたが、給付金の話で時間を取っていた印象があります。ただ、その話題を出す場合でも、政治家なので、国会議員としての立場で出す必要があります。どういうことか。本来、ある特定の人たちに対して公権力を使って税金の分配をするというのは邪道だからです。その発想は、社会主義・共産主義です。前回はコロナ禍ということで国民に給付金を配ったと思いますが、そういった突発的なアクシデントや経済恐慌であれば仕方がないと思いますが、選挙公約で掲げて、勝ったから給付金を配るというのは、全くの邪道です。
それではどうすれば良いのかということですが、法制度をきちんと作って、社会的弱者にお金が自然に流れるような道筋を付けることを考えるのが政治家の仕事なのです。18歳以下の子供に一律10万円という太平天国的な発想ではなく、子供たちの中には両親がいないとか、片親で世帯の収入が極端に低いとか、ヤングケアラーであるとかという過酷な状況の中で生きている子供たちもいるのです。そういう子供たちに光が当たるように、余分にお金が支給されるように、法制度をきちんと整備をするのが政治家の仕事です。何をやっているのかと思っています。マスコミもしっかり論理立てて批判をして欲しいと思っています。
(「厚生労働省」)
『資本主義・社会主義・民主主義』について
この表題から、現代社会の混乱が始まったと思っています。それぞれ3つはすべて異質なものです。それを一つのモノサシの上に並べて論じたのです。名もない人間ではなく、それなりの業績がある人が立てた命題であれば、誰もが正しいと思います。混乱は、ここから生まれたと思っています。
まず、民主主義は政治学用語です。社会主義というのは、政治学でも経済学でも使いますが、どちらかというと経済に重きを置いて使うことが多いと思います。社会主義の根底には、下部構造、上部構造といった捉え方がありますし、その時代を規定するのは下部構造、つまり生産力と生産関係という考えがあるからです。資本主義という言い方は間違っているということは、この間、再三再四言ってきたことです。主義はイズムなので、そこには人間の考えによって成り立ったものということになります。資本制でも良いですが、自由市場経済が一番良いネーミングだと思います。
シュムペーターは、資本主義を社会主義の対抗関係で論じているのですが、実は彼はマルクスとケインズの影響を受けているのです。マルクスとケインズを対比的に捉える見方もありますが、両者の共通点は、資本主義の崩壊と衰退です。シュムペーターもそれに影響を受けて資本主義はやがて崩壊するであろうと考えています。ただ、理由が違います。マルクスとケインズは、「崩壊ないし衰退の原因をともに経済的失敗に求めている」(シュムペーター『資本主義・社会主義・民主主義』東洋経済新報社、1995年/39ページ)のに対して、シュムペーターは「すばらしい成功こそが資本主義崩壊の諸条件をつくり出していく」(同上、40ページ)と言います。少し分かりにくいと思いますので、項を改めて説明します。
(「紀伊国屋書店」)
資本主義の崩壊について
シュムペーターは『資本主義・社会主義・民主主義』の中でわざわざ「解体」という章を立てて、資本主義の崩壊について述べています。彼が特に言っているのは、家庭の崩壊です。「資本主義過程は自らのつくり出す精神的態度の力によって漸次家庭生活の価値を曇らせ」(同上、158ページ)と言います。つまり、資本主義が発展すれば、身の回りに富が溢れるようになります。そうなると、人々の関心は家族を維持するという原始以来人間が殆ど本能的に守ってきた事柄を忘れて、目先の利益や享楽に関心を向けるようになっていくと言います。
確かに、そういう方向で世の中は動いている面があります。日本は家族主義的国家観をもった国ですが、大家族制から核家族主流となりました。データで見ると、全世帯の23.3%が18歳未満の児童がいる世帯で、そのうちの82.7 %が核家族です(2017年統計)。ちなみに、1986年の調査では、核家族の割合は69.6 %でしたので、確実に増えていることが分かります。ただ、これを崩壊と見るのか、産業構造の変化の影響を受けた現象と見るのか、評価は分かれるところです。
しかし仮に、すべて核家族になったとしても、自由市場経済はビクともしないでしょう。つまり、資本主義の崩壊には繋がらないということです。むしろ、今まさに行おうとしている給付金の発想の方が怖いのです。政治家が政治の力でお金の流れを一律にコントロールしようとしているからです。この発想が常態化すると、崩壊に繋がります。何故なら、発想そのものが社会主義だからです。
(「リセマム」)
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