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SDGsが言う「質の高い教育」とは / 戦後の教員養成は、教える技術者だけを養成してきた

「最近は、何かというとSDGsという言葉が出てきますね」

女性

「こういうものに日本人は飛びつきやすいですよね」

「特に、今回は3拍子揃っていますからね」

女性

「何ですか? 3拍子って?」

「国連への忖度、横文字忖度、最後は、こういう目標を掲げるのが好きな国民性なのです」

女性

「なるほど、特にSDGsは2015年9月に開催された国際サミットで全会一致で採決された目標なので、日本人は義務感に包まれるのでしょうね」

「まあ、そういう感じになっています。ただ、きちんと理解されていないのではないかと思っています」

女性

「そのことは、前々から言っておられますよね」

「そうですね、17の目標をバラバラに捉えるのではなく、有機的に捉えないとロスが出たり、無駄が出たりします」

女性

「簡単に言うと、関連付けて対策を考えるということですよね」

「ただ、その際に、ある意味自己流の解釈も実際にはあるのです」

女性

「例えば、どういうことですか?」

「例えば、ある企業が地域の楽団にSDGsということで多額のお金をポンと寄付してしまうことです」

女性

「行いとしては称賛されるべきことだと思いますけれど……」

「社会的な波及効果を考えなければダメだと思います」

女性

「ところで、その寄付行為はSDGsのどれに該当する、と言っているのですか?」

「そんなに厳密に考えていないと思います。寄付をすることが、地域文化の活性化や社会貢献活動に繋がっているという認識だと思います」

女性

「寄付して、終わりという感じですか?」

「その辺りは判断しかねますが、そういった考え方では趣旨を正しく理解していないということで、ここで紹介をしたのです」

女性

「ここからが本論です ↓」

 内閣総理大臣がSDGsの推進本部長

日本社会は典型的な忖度社会なので、長の意向を受けて周りが動きます

SDGsという「難しい言葉」がこれだけ普及した背景には、「SDGs推進本部」が2016年に設けられ、総理大臣が本部長、官房長官、外務大臣を副本部長、全閣僚を構成員とした体制がとられるようになったからだと思っています

また日本の取り組みの指針として「SDGs実施指針」があり、この指針に基づいてSDGs推進のための具体的施策をとりまとめた「SDGsアクションプラン」というのが、毎年決定されているのです。

こういったことがあり、SDGsがいろいろな場面で取り沙汰されるようになったということです。

 

 SDGsが求める「質の高い教育」とは

SDGsが4番目に求める「質の高い教育」を「持続可能な開発のための教育」(ESD/ Education for Sustainable Development 注1)と読み替えた上で、それはユネスコが主導している持続可能な社会を創造する担い手を育てる教育と捉えます。ただ、教育と言っても、下は幼稚園から上は大学生までいろいろありますが、小中学校に焦点をあてて考察を進めることにしたいと思います。

そして、ESDの実施には、人格の発達や人間性を育むこと、他者や社会、自然環境との関係性を認識した「関わり」や「つながり」を尊重できる個人を育むこと、この2つの観点が特に重要視されています。ただ、日本で従来説かれていたことを、単に言葉を変えただけではないかと思います。特に、目新しさは感じません

日本には、「薫陶」という良い言葉があります。「香をたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら陶器を作り上げる」というのが直接の意味ですが、教育の在り方を示す言葉として使われてきた歴史があります。

要するに人づくりには、その子を教師の徳の力で丸ごと包み込み、感化し、理想の方向に導いて上げるという意味がそこにはあるのです。その位の手間暇が掛かるし、包み込む教師側に人格的な魅力が備わっている必要があります。

「人格的に陶冶(とうや)する」という言い回しは、「薫陶」という言葉から来ていると思われます。このような言葉が遺っているということは、日本では知識伝達も教育の重要な側面ですが、それよりも子供を一人の人間として認め、成長させるということに重きを置いてきたというのが、日本の教育に対する考え方なのです

そして「質の高い教育」が保障されるかどうかは、そのような人格的に子どもたちを感化できるような教師を配置することができるかどうかで決まります

 

 戦後の教員養成は、教える技術者を専ら養成してきた

あらためて教育とは何か、考えてみたいと思います。要するに、人格の完成(「教育基本法」)を目指しつつ、その過程において社会や自然の法則や決まりなど様々な知識を伝達することです。2つの意味が含まれているのですが、戦後の教員養成には、前者の視点が完全に抜け落ちています

「教師」ではなく、単に知識を授ける「教員」とし、教育学部に入らなくても教職課程をとって余分に単位をとれば教員免許が取れるようにしたのです。

学校の教員は、学校で勉強を教える人、塾の先生は、塾で勉強を教える人。両方とも、勉強を教える人。多分、文科省の捉え方は、そういうレベルではないかと思います。大学全入時代を迎え、当然のように教師の質の低下が生まれます。単に、勉強さえ教えればよいという感覚の者が教員になれば、わいせつ事件が増え、不登校やいじめといった問題が起き、教育荒廃がすすむことになります

この世界は、すべて因果関係で繋がっています。偶然に良からぬことが増えることはありません。

対策を立てなければ、事態は悪化するだけです。自然治癒はありません。

(注1)

ESDはEducation for Sustainable Developmentの略で「持続可能な開発のための教育」と訳されています
今、世界には環境、貧困、人権、平和、開発といった様々な問題があります。ESDとは、これらの現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動です。
つまり、ESDは持続可能な社会づくりの担い手を育む教育です。                 (文科省 ホームページより)

読んでいただき、ありがとうございました。

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