「今日の朝、駅頭で地元の自民党議員の応援スタッフがマイクで何やら喋って、何人かの運動員がビラを配っていました。いよいよ選挙なんだなと改めて思いましたが、見ていると受け取る人は殆どいなかったですね」
「選挙の意味は、自分の独自の主張を掲げて、他の政党の違いを充分理解してもらい、その上で選んでもらうという意味なんですが、アピール度という点からすると、ピント外れあり、主張が弱かったりということで、何となく不満です」
「バラマキ批判がありますよね」
「一律10万円とか言っている政党もありますが、それを聞いていると何か情けないと思います。何かそれ以外に言うことがないのかと」
「そういう時だけ子供が出て来る感じがしますよね。お子さん一人につき……、みたいな感じですよね。日本人は、それを聞くと逆に票を入れない国民性なのではないかと思います」
「私もそう思います。逆効果だと思います。勿論、お金は有難いと思うかもしれませんが、それを聞いて1票入れる自分の中に何か醜さみたいなものや後ろめたさを感じる国民だと思います」
「あと、立憲と共産が選挙協定を結びましたよね。いろいろなところに波紋が広がっているようですね。支持母体の「連合」がよく許しましたね」
「「連合」はここに来て神谷会長から女性の芳野会長に変わりました。神谷氏であれば、今回の協定を結ぶことが出来なかったと思っています」
「間隙を縫ったということですね」
「その辺りの立ち回りは、共産党は上手いですよね、感心する位に。ただ、小選挙区制で、そういった選挙協定という名の「談合」が許されて良いのかという問題があると思います。であれば、中選挙区制に戻して、きちんと政党選挙をすべきでしょう。ただ、そういった小細工をされてもビクともしないような、きちんとした政策を与党は提示すべきでしょうね」
「どこが物足りないですか?」
「前にも言いましたが、成長戦略が殆どありません。多分、政治家の発想が縦割り行政的になっているような気がします。俯瞰的な視点がありません。教育が子守り的な発想になっています。小さな子供も国家の大事な人材でそれを育てていこうという発想がありません。そこから出発すれば、様々なことが思い浮かぶはずです」
「子供は福祉という固定観念があるかもしれませんね」
「その点では、中国は抜け目がないですよね。「三つ子の魂百まで」教育を実践しています。幼児も大事な戦力と考えています」
「日本は家庭だけですか? そう考えているのは」
「日本はもともと、子供を貴重な戦力と考えていた国です。そのうち、そういう意識が薄れ、それと共に虐待する人が増えているという図式です」
「相関関係にあるということですね。ここからが本論です ↓」
野党の広範な選挙協定を認めれば、小選挙区制の意味がなくなる
現代政治は代議政治なので、代議員をどのように選ぶのかという問題が必ずついてまわります。定数がありますので、当然選挙区があります。その選挙区から何人の代議員を選ぶのか、その人数によって、小選挙区制と中選挙区制・大選挙区制に分かれます。
小選挙区制というのは、それぞれの選挙区で一番支持が得られている政党をそれぞれ選ぶ作業をした上で、その代表者が議会に集まって予算や法案を審議してもらうという考えです。この選挙区制は、それぞれの選挙区で一番支持を得られた政党を選ぶところに意味があるのです。票を取るために選挙協定を結んで、仮に当選すれば民意が歪む可能性が出てきます。政策や考え方がかなり違っている場合、協定を結んだ政党に投ぜられた住民の意思がよく分からないからです。
例えば、自民党以外の政党が連合政党ということで全選挙区統一候補を立てることができれば、今の状況であれば簡単に政権は執れます。そして、選挙協定は選挙の時だけのものなので、選挙が終わった途端に元の政党に戻り、それぞれの政党による連立政権を作ることが出来ます。
当然そうなると、国民の政治意思と現実政治の間に大きな齟齬、食い違いが出て切る可能性があります。例として示したものは極端なケースかもしれませんが、理論的には可能なので全く起こらないとは言えません。共産党が与野党連合とは言わないで、しきりに野党連合といっているのは、そういったことを狙っているからでしょう。だから、今回の立憲との選挙協力は大きな一歩と言っているのです。二歩目、三歩目があるということです。
そういう危険性があるので、小選挙区制のもとでの選挙協定は禁止すべきなのです。それが不満であるならば、中選挙区制にすれば良いだけです。そうすれば、得票数が2番目、3番目の政党も当選することが出来ます。そういう努力はせずに、世界観が違うと言っている相手と選挙前だけ協定を結ぶようなことは、あってはならないことなのです。
(「まほろば社会科研究室」)
立憲主義は共産主義の一里塚
候補者一本化に対し、選挙目当ての「野合」といった批判が出ていますが、それに対して志位委員長は「市民連合」を介して共通政策に合意しているので問題ないという認識を示していますが、説得性はありません。市民連合の素性も分からないまま、立憲はよく協定を結んだなというのが最初の印象です。そして、本来は「仲介」は必要ありません。不動産の取引ではないからです。逆に、何のための「仲介」なのかを説明する必要があります。
共産党の幹部は「共産主義の思想を入れるなど、野党の共通政策で一言も触れていない」と憤ったとのことですが、選挙協定に思想問題を入れるのは非常識です。弁明になっていません。志位氏は今回の衆院選について「政権交代選挙」と命名し、「私たちが目指す政権交代は、日本の政治に立憲主義、民主主義、平和主義、そして、暮らしの安心と希望を取り戻す」と説明したとのこと。立憲主義を共産主義の一里塚と考えているということです。
(「アマゾン」)
肝心なことを隠しながら政治活動をしている
「立憲主義、民主主義、平和主義、そして、暮らしの安心と希望」と言っていますが、立憲民主党が言うようなスローガンを並べています。共産主義という言葉を堂々と示して選挙戦を戦うのでなければ、共産党という党名を掲げる意味がありません。ましてや「議会の多数を得ての革命」と言っているのですから、選挙という国民の関心が高まる時に、自分たちの言っている主義主張を具体的に示す必要があると思います。また、「多数」と簡単に言っていますが、圧倒的多数なのか、過半数なのか、多数の賛同なのか、数さえ取れば良いという考えなのか、それによって革命のイメージが変わります。
そして、国民政党のようなスローガンを掲げるならば、ヨーロッパの共産党の多くがそうしたように、革命を説くのをやめて、議会主義を貫く中で改革を志向する政党として再出発することをお勧めします。
そもそも革命によって具体的に何をどうするのかということが全く示されていません。さらによく分からないのが、今の憲法を守ると言っていることです。反米を唱えながら、アメリカが原案を作った憲法を守る、そうなるとそれは革命政権とは言えなくなります。
結局、肝心なことを隠しながら政治活動をしているのではないかという猜疑心が常について回ることになります。
(「テレビ朝日」)
共産党は有権者の素朴な疑問に答えるべき
衆議院選挙の前哨戦として位置付けられている参議院の静岡補選について、静岡朝日テレビが報道しています。ただ、共産党の鈴木氏に肩入れした内容となっています。それに対する、ヤフーの読者コメントをいくつか紹介します。
とにかく否定から始まり、どう実現するのかもわからない夢を語り、時流に沿った公約を叫ぶ・・・でも、共産党の目指す本当の目的って何なのでしょうか?
前面には出ずとも、今もマルクス関連の思想は引きずっていらっしゃるのでしょうか。私には不気味としか思えない政党です。(「スライム斬り *****」)
共産党が目指す共生社会、富を国民平等に分配すると言ってるが、そのためにはすべて国民の私有財産を没収して国有化しなければならないだろう。共産党からの立候補者はこういう反民主主義的政策を承知で共産党から立候補しているのだろうか。それだったらそういう人間に、人権・民主主義を守れなどと言う資格はないのではないのか (「ysg *****」)
共産党政権になれば中露路線の国民がんじがらめ政治になるのは明白。一部の特権層が富を独占して貧富格差は今以上になり恐怖政権の始まりになる。
なぜ共産党を応援するのは理解できない(ママ)。党首も20年以上変わらず古い体質のまま。公約も守らないでしょう (「hir*****」)
これらの投稿は18日から19日にかけてのもので、賛同クリックが反対クリックの10倍以上ついていたものの中から選びました。多分、無視してマイウェイを走り続けることと思いますが、目指しているものは現実にはあり得ない世界ですし、そのことはマルクスが一番知っていたはずです。
(「国際勝共連合」)
読んでいただき、ありがとうございました。
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